最終章・小石桜子
第70話
「えー、それでは、これから追悼式を始めていきたいと思います」
私は事務の種田の滲んだような声にじっくりと心を入れた。
「中沢敦也店長、よろしくお願いします」
「はい。えー、今回我がショップ・ミラクルアースではたいへん悲惨な出来事が発生しました。ある店員の乱心により、五匹の猫が命を落とすという大変悲惨で残虐な事件であります」
あのロッカールームでの出来事の次の日、昨日の朝、大倉は警察へ出頭し、殺人罪と動物愛護法違反で逮捕された。まだ裁判は始まっていないが、おそらく懲役十年程度になるのではないかと報道されている。
「今日はそこで亡くなった猫たち、また、殺害された我がショップのトリマーで、生きていればビューティーサロン・憩い荘の井戸橋店で勤務していたはずだった浅田有樹君の御霊を慰める日であります。二階の魚類・爬虫類・両生類・鳥類・昆虫担当の皆さんにはあまり馴染みのないことかもしれませんが、ここはどうか、亡くなられたショップの同胞や小さな命に真摯に向き合っていただけたら幸いでございます。以上で挨拶とします」
パラパラとまばらな拍手が起こった。
隣にいる宮田は、魂が抜け落ちたかのような顔をして突っ立っていた。
――無理もないか。
一昨日の夜の出来事で、色々なことを考えてしまっているのだろう。どうせ、深く考える必要は無いのに。
ふと、私は一昨日の結末を思い出していた。
***
「そしたら、明日の朝、君は警察に行ってこい」
「……はい」
まだ涙が残り、声が上ずっている。
「極力、その黒猫のことは言わないようにな」
「はい」
「……そうだ、この猫、どうするわけ?」
加藤が言った。
「え……どうしましょう?」
富岡が答えた。
「私が、飼い主の私がサラを責任を持って元に戻します!」
と、宮田がいきなり挙手していった。
「え……」
「それで、もう一回また、以前のような緩くて暖かい暮らしをしたいと思っています。サラ、こっちおいで。ほら、私だよ私。さっちゃんだよ」
宮田は座り込んでいる大倉のそばで座っているイエロー・アーモンド・アイに目線を合わせた。
「ね、また、今度は誰にもいじめられない楽しい暮らしをしよ? ちょっと会ってなかったけど、私、ずっとサラのこと大好きだから。サラも、そうだよね?」
「ちょ、宮田さん……」
この黒悪猫が宮田の元へ渡ったら……色々と面倒なことになる。
「目を覚ましてください。この子はすでに死んで……」
だが、全く反応が無いことに気づいてしゃがんでいる彼女を見てみると、無垢な少女の顔をしてイエロー・アーモンド・アイの目の前まで片手を伸ばしていた。
「ほら、お手。また、一緒に、ね?」
――まずい、現実と夢の狭間から抜け出せてない。
あまりのショックだったのか、それとも別の何かなのか、宮田は愛猫が生きていて、何かをすれば普通の可愛らしい猫に戻ってくれると思っている。だが、それは完全なる勘違いだ。
この猫は、この世のものではない。
「ほら」
さらに手を伸ばした、刹那。
パシッ
イエロー・アーモンド・アイは引っ込めていた右手をバネのように伸ばし、宮田の差し伸べた手をはたいた。
「え……」
そして、そのままそいつは百メートルのオリンピック選手くらいのスピードでドアの前へ駆けて、と思ったらジャンプして体重でドアノブを下ろし、できた隙間から野外へ飛び出していった。
「……サラ?」
宮田の目はいっぱいに見開かれ、視点の定まらない黒目がせわしなく震える。
「……なんで、逃げたの? サラ、私のこと嫌いなの? おかしくなっちゃった? サラ、サラ、サラ、ねえ、私のサラ、どっかいかないで、ねえ、帰ってきてよ、ねえ、ねえ、サラ、サラ、さラ、サら、さら、さら、さらぁ……っ!」
また、ガタンと音を立てて外界への入り口を閉ざした鉄扉へ宮田は手を伸ばした。かと思えば、ヒクッとしゃっくりをして、へなへなと倒れこんだ。目を開けたまま、動かなくなった。
黒く湿った短い毛をいくつか含んだ冷風が、宮田の髪を微かに揺らした。
***
昨日は休んで、今日は何とか出勤してきたが、それでも目は虚ろで口はぽかんと開き、話しかけてみても意識が妖界へ飛んでしまっているらしく反応が無い。
「小石さん、はい、こちらです」
「あ……」
と、事務の女性が真っ白いトーチを渡してきた。
「これに、浅田さんや猫たちへのメッセージを書いて持ってきてください」
また次の人へ彼女は移動していく。
「……メッセージか」
よく見れば、室外機の上にネームペンがたくさん入った箱が置かれてあった。
ピコーン
と、スマホが鳴った。
取り出してみると、澤柳からのメッセージだった。
「『協力ありがとなぁ。大倉と今川をそれぞれ殺人罪と殺人ほう助罪、それと動物愛護法違反でとっ捕まえたから、もう安心しなぁ? あの猫もパートナーがいなくなったら動かないだろうしなぁ。今後は絶対に警察に関わることが無いように、頼むなぁ』」
私は小声でメッセージの内容を読み上げた。
「……澤柳さん、すみません」
スマホをポケットに戻して、私はネームペンを手に取り、トーチにメッセージを書き始めた。
文面はすぐに思いつき、サラサラと手が動く。
シリコンのトーチはひんやりとしていて、それが私の手の熱を少しずつ奪っていった。この冷たさが、霊界と現世をつなぐ温度なのだろうか、と考えてみる。
あっという間に文を書き上げ、ライターが置いてある場所へ向かい、トーチのろうそくに火をつけた。
これまでにショップで亡くなった動物たちが眠る墓の前に設けられたトーチ立てにトーチを差し、クルクルと回して位置を調整してから、無心で手を合わせた。
文面がこちら側から見えず、石碑側からしか見えないことを確認してから、私は石碑へ一礼し、背中を返す。
『浅田さん、シャム、ハチワレ、キング、ブチ、ミケ。みんなこれからも大好きだよ、ありがとう。そして、私も私でしっかりやることを果たします。絶対にこの手で、皆々が持つ恨みを晴らします』
これが、私の書いた、霊界の皆へのメッセージだった。
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