第65話

 ◆◇◆


 大倉壮紫は、とある中小企業の経営者である父と母の間に生まれた。この時の名前は、今川壮紫だった。

 中小企業と言っても地元の名士のような存在で、政治家とのパイプも太く、大手企業との取引も多々あり、金はかなり持っていた。

 大倉が生まれた十五分後、今川圭壱朗が生まれた。一卵性双生児だった。




 二人はすくすくと成長していった。生まれつきのつむじの巻き方や利き手はちょうど左右対称で、いわゆるミラーツインと言われるやつだったが、見た目はまさに瓜二つ。髪には生まれつきの茶色が入っていて、低い鼻や細めの目などはそっくりだった。

 二人は母に寵愛されていた。だが、区別はされていて、未だに古い価値観のある両親は長男の大倉には厳しく色々なことを教えている面もあった。今川は無条件に溺愛されていた。

 それが少し性格の違いを生んだようで、大倉は面と向かっては言えないのだが両親に愛を求めたくて仕方が無かった。一方今川はあまりの溺愛ぶりに嫌気が差して、離れたいのだが面と向かっては言えなかった。




 小学五年生の時、我が家に猫がやってきた。大倉の希望で、三毛猫のオス。母によって、名前はリヒトとなった。

 リヒトはなぜだか母にだけよく懐き、母もまたリヒトを息子たち以上に溺愛した。まるで猫に会社の跡を継がせるのかとでも思ってしまうほどに。

 大倉にはそれが悔しくて仕方が無かった。これまで母の厳しくも優しい愛を一番獲得してきたのは他でもない自分と圭壱朗なのだ。それをよりにもよって猫に吸収されるという。

 しかも、弟に対する愛情というのは全く変わらずに自分に対する愛情だけが変わっていくのが余計に大倉の心を掻き立てた。

 それを小学校で愚痴れば、たちまちマザコンだのなんだの揶揄われる。唯一庇ってくれるのが今川だったのだからまた質が悪い。

 常にキレていて、誰とも話さず、苛立ちから物を壊し、人を殴り、それで鬼教師に叱られる毎日。




 そんな中、小学校三年の時くらいだったか、サラに出会った。サラは、リヒトとその取り巻きによくいじめられていた。

 目が病気からか濁っていて、形もいびつ。牙も、今のプチサーベルタイガー状態ほどではないとしても他よりも少し長い。そんな見た目から、人間にも嫌われている状態だった。

 性格はどちらかと言えば内気で、この世の全てに絶望してしまったかのような立ち振る舞いをしている灰色のブチ猫。


 彼女は、泥まみれで土管の中で丸まっていたところをたまたま見つけた。うわ、猫だと思って顔をしかめたら、猫はのそのそと土管から出て来て、ランドセルを背負ったままの孤独な大倉の前に行儀よく座った。

「……もしかして、自分を、助けてくれるのかい?」

 なぜだか大倉はそう語りかけた。

 猫は、こくりと頷き、僕の周りを一周回って肩にヒョイと上ってきた。

 ――なんだか似てるのかな。

 大倉は、いびつな顔をした孤独なブチ猫と、枯れ木のような体をした孤独な人間がどこか似ているような気がすると思った。

 と、首輪に和紙のような二つ折りの白い紙が挟まっていた。それを取って、開けてみると、「メス・サラ・連絡は宮田まで」というデコ文字が出てきた。

「サラって言うのか。宮田さんの子なのか」

 サラはコックンと頷いた。

 宮田さんの家は父の取引で繋がりがあって知ってる。

「なら、遊んでやるよ。野球ボール投げるから、取って来て」

 まだ上手い放物線を描くことが出来なかったが、腕を振ればすぐにサラはものすごいスピードで駆け出した。

 ――こいつ、猫じゃないんじゃないか?

 と、思えるほど身体能力が高く、不思議で仕方が無かった。


 結局、何はともあれ大倉とサラは友達を超えて盟友になった。




 やがて、六年になる頃には周りにいるだけでこの世の中が嫌になるようなオーラを発し、ストレスからまともに食べられなくて枯れ木のような体になっていた。

 六年が終わった春休み、四月二日を迎えるとなぜだかサラが外に出てこなくなった。いつもの土管の前に来ても、来ない。宮田の家へ行ってインターホンの前でサラへラブコールを送っても出てこない。

 どういうことだろうと思っていると、たまたま宮田さんの中学生の娘が通りかかった。同じ学校で顔は知っていたが話したことは無く、大倉は引き留めてなぜサラを外に出さないのか聞くと、「いじめられるから」とだけ答えてどこかへ行ってしまった。

 春休みが終わるまで毎日僕は宮田家へ通い、インターホンを押し続けたが、中学に入ったところで「もう来ないで」と貼り紙をされて諦めた。




 中学校は田舎なわけで、半分ほどは同じ小学校出身のメンバーだった。そこでももちろん大倉は触れてはいけない毒物として扱われた。むしろ、扱いはどんどん酷くなっていくばかりだった。

 部活動は、少年時代から唯一続けてきた野球だった。


 そして、あの日、こたつの中で冬休みの課題をこなしていた。隣にミケ猫がのそっと入って来て、こたつの中で身体を丸めた。すっかりやつれてしまった母がトカゲのようにリヒトを追ってこちらに来た。

「あんた、せっかくリヒトが寝てんのに邪魔しないで。課題なんてこたつの中じゃなくても出来るでしょう?」

 母はやっていた課題をこたつの向こうへ吹っ飛ばした。

 ――。

 もう、母に対して感情を抱くことが困難になってきていた大倉はボーっと課題を拾って、階段を上ろうとする。

「……っ?!」


 その時、見てしまった。


 こたつの中で、リヒトの顔を自分の胸に埋め、それを止めたかと思うと顔面に猛烈なキスの雨を降らせ始める中年女性の姿を。

 あまりにも衝撃的で、これまでの何千倍も酷い母の“お猫様”の扱いに大倉は言葉を失くして立ち尽くした。

 リヒトに夢中の母はこちらを向く気配もない。

 身体の内側で幾度も核爆発が起こった。炎は辛うじて残っていた自制心を燃やし尽くし、熱風はかすかに残っていた豆粒ほどの母への愛情を吹き飛ばした。

「殺してやる……」

 だが、殺そうにも今の状況ではどうしようもない。

 と、大倉の身体は独りでに動いた。

 音を立てず高速で階段を駆け上がり、床に課題を放って、黒い樫の木のデスクに一人だけ置いてあった銀のハサミを手に取った。

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