第30話

 急な逮捕予告じみたもので、宮田はイラッとした顔になった。

「……小石さん、入ってるのは分かってますから。その挑発的な物言い、どうにかなりません?」

 彼女の胸に入っている大鍋に入った水がぐつぐつぐつぐつ泡立っているのが目に見える。

「挑発的な物言い、とは?」

「そのままですよ。あまりにも、人間をおちょくっているような気がするんですが。接客にも影響が出ているような気がしますし、猫のスタッフは基本上下関係なんて気にしない決まりですが、それでもある程度のことはわきまえてください」

「そうですか。それはすみませんでしたね。以後、気を付けます」

 すました顔でさらりと言いのけ、小石はハチワレ猫が描かれたメモ帳を覗き込み、次の話題に移ろうとしている。

 それを、宮田は許さなかった。許せなかった。

「……あんた、ホント舐めてない?」

「は?」

「ちゃんと、一人前の社会人としてやってくれる。第一、アリバイが無いとかそういう問題だけで私が殺したみたいな物言いをしないで。私だけじゃない。浅田さんだってそう。先輩だからどうのこうの言うつもりはないけど、そこんところはわきまえて」

 大鍋に入った水が一気に沸騰し出した。ぶぶぶぶぶと大粒の泡が噴き出し、頭の上からはものすごい量の蒸気が……。

「別に、宮田さんが殺したなんて一度も断定したことはありません。それどころか、別に誰が誰を殺したなんて一言も言っていません。ただ、誰がやったという可能性を示しているまでの話です」

「なら、もう少し絞ってから示してくれる?! みんな混乱するの。それで人間関係もどんどんダメになってっちゃうわけ。分かる?」

 額が赤くなってきた。眼が血走ってきた。

 加藤が止めに入ろうとしたところを、小石が目線で制止する。

「別に、人間関係なんて気にする必要はありません。ただ淡々と自分の役割を全うすればいいだけです」

 ギロリと、刺すような眼光を宮田に向ける。宮田は、少し気圧されたようにのけぞる。


「私は、人間なんて、信用してない」


 その声は、僕からすれば、何だか青色を含んだものに思えた。少なくとも、怒りとか恨みなんて言う赤い要素は全く含んでいない。

 ふぅ、と諦めたように吐く息と一緒に出てきたその言葉は、思っているよりも多くの意味を含んでいるのかもしれない。


「とりあえず、咲月も小石さんも、喧嘩はこれくらいにしてさ。そんなにギクシャクされたらこっちもやりにくいのよ」

 アハハ、と誤魔化すように加藤は笑ったが、空中でぶつかり合う視線を見て、その笑みも吹き消されたろうそくのように消えて無くなった。

「……ひとまず、小石さんが言おうとしてた報告を聞こうか」

 小石にチラっと目をやる。

 彼女はふっ、と身体の中に溜まった汚いものを輩出するように短い息をつくと、ハチワレ猫のメモ帳を広げた。

「……浅田さんについて、その時の行動をトリマーさんなどから詳しく聞きました。第二の事件は不確かな要素が多いので、とりあえずは第三の事件についての行動です。倉庫付近にいた葉山さんは、浅田さんが四時四十四分四十四秒の少し前に、水色の軽自動車で帰ってきたと言います。自身はその後、一度店の中に戻ったそうです」

「……まあ、葉山の言うことだしね」

「また、五時ごろにサロンに姿を見せました。六時半ごろには、途中で帰宅した大倉さんに電話をかけると言ってサロンを出ていますが、実際にその姿を見た人はいませんでした」

 ペラリとメモ帳をめくる。


「浅田さんは、一度自宅に帰り、数本あるうちのいくつかのハサミを置いてきたそうです」


 それが何を示唆しているのか。

 僕でも、うすうす想像はつく。

 加藤の大きな体に隠れている宮田が、顔を青くした。

「また、帰ってくる前にどこかで一度着替えをしています。普通に考えるなら、毛や汗なんかで気持ち悪くて着替えたというのが妥当ですが、そうでないとしたら何を意味するのか、分かると思います。現在出ている証拠はこのくらいです」

 このくらいでも、証拠としてはかなり上等だと言える。

 浅田が行ったのは五分で着く範囲の家三件だ。一時間四十五分よりももっと早く終わってもおかしくない。自宅はその家から反対方向の、田舎側にあるそうだ。ショップからは、車で約十分。

「ですけど、せっかくビューティーサロン・憩い荘の井戸橋店に行けるんです。わざわざそんな、栄転がふいになるようなことをしなくても良いんじゃないですか?」

 宮田が言った。会心のセリフをかました、という満足感の溢れ出ている顔だ。


「栄転の前祝いとして、自分の欲求を満たすために殺した、という可能性もありますが」


 にべもなく小石は切り返した。

 きまり悪そうに、宮田はキュッと口を閉じる。

「まあ、もう閉店時間過ぎていますし、今日はこの辺でということで。あっ……」

 聞き覚えのある音楽が流れる。隣の国の女性アイドルグループの楽曲だったっけ。

 ――この人、案外そんな趣味してるんだ。

 表情をほとんど顔に出さず、ただただ冷徹で面白くない、猫だけは好きな女というイメージが少し変わったような気がした。

 というよりは、僕の心が、ずっと世話をしてくれている小石に悪いイメージを植え付けるのを許せなかったからかもしれない。

 小石はポケットからスマートフォンを取り出すと、サッとスワイプして耳に押し当てる。

「はい、小石です。……はい、例の件ですね。どうでした? ……え? あの、もう一度言ってください。……嘘でしょ?」

 なんだ、よほど衝撃的なことがあったのか。

 グルルルルと騒ぐ腹の虫の鳴き声を聞き流し、僕はクッションにベタッと倒れ込む。今日は何かと疲れた。

「どうせ誰かが嘘ついてるんじゃないんですか? ……それでも、それは無いでしょう。合理的にあり得ません。お客様がやったなんてこともあり得ないでしょう。……分かりました」

 電話が終わったらしい。

「店長から電話がありました。ハチワレの頭部が屋根に上げられた時のことを色々と教えてほしい、と依頼していました」

 かなり衝撃的な顔をして、小石は言った。


「ハチワレの頭部が屋根に上げられた二十分ほど前まで、店員は誰も外に出ていないそうなんです」

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