第31話
――え?
頭部が、屋根に上げられた?
一体どんな状況か僕は見当がつかない。頭が屋根に上げられる? しかも、ハチワレの?
「え、つまり……」
「誰も、ハチワレの頭を屋根に上げることが出来た人がいないんです。ハチワレの頭は勝手にパイプをよじ登って屋根に上がったのでしょうか?」
――想像がつかん。
ハチワレの頭だけがパイプをよじ登る? どうやって? すぐ落っこちるに決まってる。大体、キャットタワーも頂上まで登ったことのないような猫だったのに。
「……誰かがどうせ、嘘ついてんじゃない?」
「私もそうだと思うんですが……全員嘘をついていなければ、どう説明すればいいですか?」
――うぅむ。
どうもこうもない。説明しようがないじゃないか。機械を使って運ばれたとか?
「適当に打ち上げるだけなら、あんな隙間にキレイにすっぽり、ちゃんと正面向いて収まらないだろうからね……」
話が止まった。
下を向いて首を傾げながら、チラッと加藤が宮田の方を向く。
宮田は、薄ら笑いを浮かべて、身体をゆさゆさゆさゆさ、せわしなく揺らしていた。
「どーせ、小石さんとか理論的な人は信じてくれないとは思いますが」
第一声は、皮肉成分百パーセントの言葉だった。
小石は若干の興味を持ったかのように、宮田の方を向く。
「ごがらすさまのせい、って言う可能性はありませんか?」
「……?」
加藤はあっちゃー、と額を押さえ、隣にいる小石の顔を見る。小石の頭の上では、彼女の小顔の一点五倍ほどのハテナがグルグル回っている。少なくとも、僕はそんな風に見えた。
「ごがらすさま、って一体なんです?」
突っ込んでもらえて嬉しかったのか、宮田はさっきまで喧嘩をしていた相手であることも忘れて、エプロンのポケットから折りたたんだ紙を取りだした。
「これ、これです! これの猫バージョンなんじゃないかなって」
小石は厳しい表情で渡された紙を開ける。
「……何ですか、これ」
「これの猫バージョンなら、どこかから屋根に上ってハチワレの首を置いて、すぐに降りることが出来ませんか? 全然目立つこともありませんし」
「……」
小石の顔がますます険しくなる。
「こんな都市伝説的なものが存在するのなら、事件の解決にこれほど手間取りませんよ」
「んーまあ、頭カッチカチの学級委員長ならそう言うと思いましたけどー」
宮田はわざとらしく語尾をだらっと伸ばして小石を煽る。そのまま紙を受け取ろうとした。
それが、小石の、決して触ってはいけない何かに、触れた。
彼女は紙を思いっきり地面に叩き付けた。そのまま、細い足で踏みつけ、ぐりぐりぐりぐりと足を回転させる。瞬く間に紙に穴が開いた。それを拾ったと思うと、ビリッ、ビリリリリリッと、これまで見たことのないような鬼の形相で紙をシュレッダーにかけたように破いてしまった。
「……ふぅ」
さっきと同じように、身体の中の悪い成分を短い息で全部吐き出したらしい。
そのまま、宮田と加藤に背中を向ける。
――あれ?
だが、一つだけ、さっきと違うことに僕は気付いた。
真っ白い目尻に、一粒の水滴が光っていたのだ。
もうすぐ、店の電気が全部消える、という前に僕たちは一つの大きなプラ船に入れられた。
「ミャァン?」
「ニャァオ」
ブルーは真ん中で、堂々と周りを見渡しながら座っている。シロは端っこの方に身を寄せ、ブチは一番前で前足をプラ船からダランと出して、何が起こるのか興味深げだった。
「……ちょっと、覚悟は持っておいてね」
いつもは早く帰ることが多い富岡が、今日は残っているのが僕は意外だった。
彼女の瞳からは強いエネルギーと、ほんのわずかな迷いを見て取れる。
初めて入ったロッカールームを出ると、ビュゥン、ピュゥゥンと、骨の髄から凍らせていくような、乾いた寒風が吹き付ける。
夜空は分厚い黒雲が羽毛布団のように空を覆い隠していて、星や月の光は全く見ることが出来ない。田んぼのど真ん中にあるショップの周りは無音で、グオォーンという飛行機の音だけがアスファルトに染み込んでいった。
こちらもこの時間には珍しい、大浪が木の蔵にかかった南京錠を開錠する。
ゆっくりと、プラ船は倉庫の中へ入っていった。
「ミィャァン!」
と、シロが鳴いた。
――うっぷ。
なんだ、この強烈な臭いは。これまでどんなエサからもこんな臭いを嗅いだことは無い。例えるなら、誰かの弁当から臭ってきた、ナンプラーなる調味料の臭いにカケル百くらい。
やっともらったエサが喉元まで帰ってきている。それでもなお、胃から腸へ流れる胃酸を刺激し続ける。
そして、その先に、いつもエサなどが載ってくる、見慣れたお盆があった。その上に載っているのは、普段のエサでもおもちゃでもない。
「ミャァァァァァァァン!」
こんなにも恐ろしい光景が、あってもいいのだろうか。
ザクっと縦に大きく裂かれた腹からは、肝臓がずるりと抜け落ち、腸のグネグネが見える。まだビクンビクンと動いているように見えるのは僕の錯覚か。
身体は、一体どんなナイフを使ったのか、まるで立体パズルのように細かく切り分けられ、それが完成したパズルのつもりなのか、綺麗に並べられている。
「ニャァォォ……」
ブチの声が尻すぼみに小さくなっていく。逃げ出したくても逃げ出せないらしく、身体がブルブルブルブルと震えている。怯えで、目は細かく揺れていた。
ブルーが、硬直しながら見つめる首の辺りなどには、綺麗だった灰色の毛にべっとりと、真っ赤な血がこびりついていて、首元に至っては十字に大きく切り裂かれている。一体殺した人間は、どれほどの激しい感情を宿していたのだろう。
狭い部屋に閉じ込められたキング。そのキングの首根っこをつかみ、思いっきり地面に叩き付け、激しく鳴く喉にナイフを突き立て、十字に大きく開く。そのまま腹を裂き、まだ動いている内臓に手を突っ込んで、膵臓を取り出す。そのまま、クフ、クフフ、ヒャハ、カハハハハと愉快で仕方ないような笑い声と、化け物みたいな笑顔を浮かべて、ザクッ、ザクッと頭からキングの身体をバラバラに切り刻んで……。
そこまで想像して、歯がカチカチ鳴っている音が聞こえた。他ならぬ僕が発している音だった。
キングは、その風貌と性格から、王様だとか勇者だとか言われていた。
その王様が殺されたなら、僕は、僕らは、国の平和を守り続けるため、絶対に仇を討たなければならない。
――絶対、キングを殺した奴の首を取るから、もう少し待ってて。
流れもしていない血の涙をこらえ、僕は密かに、厚い雲の向こうにあるはずの星に誓った。
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