第27話

 二人は眼を鋭くして、顔を見合わせた。緊張が稲妻のように走る。

「何か、あったんですかね?」

「どっから聞こえた?」

「……ロッカールームな気がします」

 鋭かった目がグワッと開いた。

「……行ってみよっか」

「どちらかが残ってた方が良いんじゃないですか?」

「……それもそうか。まだ六時半。分かった、じゃあ私残っておく」

「了解です」

 宮田は、二つあるロッカールームの入り口の奥の方へ走っていった。


「……怖くないからね」

 独り言のように加藤が言った。

 ロッカールームに人が集まっていく様はここからでもはっきり分かる。

「お客さんどうしようか……。これじゃあ目立つよな……小石さんどこ行ったのかな」

 せわしなく、彼女はつま先を床に打ち付ける。

「やっぱり、彼女が殺ったんじゃないでしょうね……」

 と、噂をすれば、埃まみれのエプロンで小石が入ってきた。

「ちょ、あんた何やってんの?! 何でこんな埃まみれなわけ? こんなので接客しようって言うの?」

 小石は無表情で、シー、と口の前に人差し指を立てた。

 訝しげな表情の加藤の手をクイっと引く。引っ張られるようにして加藤は部屋を出ていった。




「……あ゛あ゛」

 宮田が帰ってきた。目には涙が溜まっていた。

 ――可愛らしい顔が台無しだよ。

「……ごめん、ごめんね、本当に、私のせいで、ううっ」

 宮田はビニール袋を一枚手に取り、急ぎ足でバックヤードへと入っていった。すぐに、ガッ、グボッ、と聞くだけで反吐が出そうなほどの猛烈な音が耳に飛び込んでくる。

「あぁっ、あぁぁ……キング……」

 バックヤードから微かに聞こえる声。

 一体何が起こったのか、恐らくここにいる全員が悟った。

 まざまざと絵が脳裏に浮かんでくる。腹を裂かれ、首を切り開かれ、舌がだらりとたれ、失禁で足の辺りが濡れていて、無念な表情をした奴の死にざまが。


 ヴヴヴヴヴヴヴヴッ……ヴルルルルルル……ッ


 ――え?

 犬か。でも、犬じゃない。一番声が低いヌシでも、ここまで低い声は出せまい。もっと別の、得体の知れない何か。

 低く、冷たく、禍々しく、恐々しく、そして恨みがましい声。聞いただけで悪寒が走り、全身の毛がビリビリと逆立ち、ガクガクと震えが止まらなくなるような声。

 僕は躊躇いがちに、首を攣りながら天井を見た。


 長細く白いLED電灯に、何かが座っていた。


 太い鉄筋がちょうど重なり、下半身しか見えないが、猫よりも犬よりも大きい。

 前足からは、そんじょそこらのハサミやカッターやナイフとは比較にならないほど、分厚くて、鋭利で、長い爪が五本ずつ伸びている。

 黒い毛は整えられているとはいえず、長毛ではないが、長さがバラバラで乱れている。

 と、こちらに気付いたのか、その猫は立ち上がった。

 ――飛び降りるのか?

 そして、電灯を、隆々とした筋肉の付いた後ろ足で力強く蹴り、僕の視界から消えた。

「あれ? なんか、あの電灯揺れてない?」

 泣きはらして真っ赤になり、鼻の元はじゅくじゅくの鼻水に覆われた宮田は、ただただ揺れているだけの電灯を不思議そうな表情で見上げていた。




 加藤と小石が、意気消沈した表情で帰ってきた。

「……犯人、どれだけ異常なんでしょうか」

「ホントだよね。いくら恨みがあるとしても、手間暇かけてあんなことしなくてもいいのに……」

 加藤に至っては、エプロンの一番上の部分に大きなシミがあった。何やら酸っぱい、腐った肉のような刺激臭がするのは僕だけだろうか。

「あれはおかしいですよね、ホント」

「あ、咲月、そう言えばだけど……」

 言っていいのかいけないのか、迷っている表情だった。

「どうしたんですか? 早く言ってください」

 それでもなお、加藤は悩んでいたが、意を決して口を開いた。


「膵臓だけ、すっぽり抜き取られてたよ」


「……本当ですか?」

 宮田は驚きの声を上げて、少しだけ嬉しそうな表情をした。が、すぐに冷静な表情に戻した。

「本当。他の臓器は全部そろってるのに、膵臓だけ無い」

 加藤は、信じられない、と言った表情で首を横に振った。

「……膵臓って言うのに、何か意味はあるんでしょうか?」

「そりゃ、ごがら」

 言いかけたところで、加藤が顔の前に大きな手を突きつけ、ストップ、を促す。

「膵臓って、十二指腸で消化に使う膵液とかホルモンを分泌して、消化を助けたり、糖分をエネルギーに変えたりする器官ですよね」

「そんなの聞かれたって私はどうとも言えないけど……」

「何か、意味があるんでしょうかね。例えば、宗教的な意味合いがあるとか……」

「あんたもそんなの信じてるわけ?」

「あくまで、例ですよ」

「じゃあ、私も聞き返すけど」

 じろりと、加藤は小石を睨む。

「なんで、キングがバラバラに切り刻まれて、うちで使うお盆に載せられてね」

 一度言葉を溜め、もう一度小石を睨んだ。


「あんたのロッカーの荷物を全部抜き出してまで、そんなところに入ってるわけ?」


 ――バラバラ? 切り刻まれる?


 一体何がどうなっているのか、僕はすぐに理解することが出来なかった。

 ただ、なぜか小石が加藤に疑われているという状況と、キングは僕の想像をはるかに上回る、醜い状態で発見されたということは、はっきり理解することが出来た。

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