第26話
――危ないっ。
僕は居ても立っても居られなくなって、後ろ脚が地面を大きく蹴っていた。
パタン
鍵が掛かっていなかったのか、ドアがあっけなく開く。
体勢を崩しながらも、僕は何とか着地を決めた。
「シャーッ!」
喉を震わせる。相手は刃物を持った男。それでも、ひるむことは出来ない。
彼らの仇を、討たなければいけない。
上唇を上げ、犬歯を剥き出しにした。爪を床に突き立てる。
「あぁ?」
今川がこちらを向いた瞬間、僕は走り出し、今川の足に飛びついた。
「痛っ」
くるぶしの部分に細い傷跡を付ける。
捕まえようと、今川は手を伸ばすが、野生の本能で、その手によじ登り、大きなジャンプで頬を思いっきり引っ掻いた。
すかさず飛び降り、もう一度くるぶしに一撃。
「畜生、すばしっこい奴め……これだから猫が嫌いなんだ」
「シャーッ!」
今川を見上げるように睨みを利かせ、威嚇をする。
「こんな奴は、こうだ」
次の瞬間、今川の右足が動いた。
僕は、一瞬のことで何が起こったのかが分からなかった。
次の瞬間、視界が二転三転、グルグルと回る。そのまま背中が地面に打ち付けられた。
腹の辺りにズーンとした重さがある。胃腸がぐにゃりとへこんだような錯覚を僕は覚えた。背中の毛はチリチリになっていた。
「シャーッ!」
それでも、小石を犠牲にするわけにはいかない。
僕はもう一度、ぐるりと背中側に回り込む。
と、今度は硬い革靴の踵が一直線に飛んできた。
――マズい!
速度は想像以上で、首元に強い衝撃。脳が一瞬にして断裂したかと思った。首の骨がグッと強く押さえつけられ、気道が塞がり息が出来なくなる。
もう一度、僕は首の気持ち悪さと背中のヒリヒリとした痛みをこらえて立ち上がった。
「シャーッ!」
だが、今川はクハハハハと笑いながら、ゆっくりとした歩みで小石の隣をすり抜け、ゲージスペースを出ていく。
「シャーッ! シャーッ!」
僕は木の床をガリガリと強く引っ掻いた。
「……ありがとね」
小石は、これまで初めて見る、女神様がいるのであればこんな顔なのであろう、慈悲に満ち溢れた柔和な笑顔を浮かべて僕を抱き上げた。ギュッと抱いて僕の頬に唇を重ねてくれる。ジュッと、不思議な熱が身体中を駆け巡った。そのまま、ポンポンと背中を軽く叩いて、ゲージの中に入れてドアを閉めた。
「加藤さん、オカルトチックなもの、見つけましたよ」
六時になっても、デジタル時計の四時四十四分四十四秒は直らない。
宮田は、興奮した様子でタブレットを持ってきた。
「何?」
「ごがらすさま、です」
目を輝かせるそれは、見知らぬ美しい昆虫を捕まえた虫取り少年のようだった。
「ちょ、それダメでしょ、言っちゃダメなやつ」
「それでも、私は今回、ごがらすさまが絶対に絡んできてると思うんです。資料、見てください」
***
ごがらすさま(御鴉様)
ごがらすさまとは、全国各地に出没する妖怪の一種である。
様々な動物の姿で現れ、その姿はどれも真っ黒く、通常の一点五倍ほどの大きさ。共通することは、どの姿でも驚異の身体能力を持ち、同じ種類の動物を殺戮することが多いという点である。また、知能も非常に高い。現れる前は、烏が落ちてきたりするなど、不可解な出来事が起こる。
元々は巨大な黒い狼で、畑を荒らす害獣を駆逐してくれる存在であったため、先人たちはその黒い姿を烏になぞらえ、「御烏様」と呼ぶようになったという。
その後、明治維新ごろから狼は忌まわしい生き物へと変遷し、ごがらすさまも空恐ろしい黒い怪物と見なされるようになった。漢字が、烏から鴉に変わったのもこの頃だと言われる。
人間、そして、自分たちを祖先としながら人間に可愛がられる犬への恨めしさが、恐ろしい妖怪としてのごがらすさまを産んだのだろう。
現在では狼の他にも犬や猫、
ちなみに、食性はどの動物であっても肉食で、ある一定の部分の肉や臓器を食うと、それが止められなくなるのだそうだ。
なお、ごがらすさまはとんでもなく屈強で、人間にも手に負えないほどであるため、倒す方法は今のところ見つかっていない。寺社の、強い力を持った魔除けの札が苦手だという説があるが、真偽は不明である。
(不定期刊行・古今東西怪談話集 編集部公式サイト『東雲暗夜の、本日のピックアップ怪異のコーナー』より)
***
「ヤバくないですか?」
「……なるほどね」
「それで、私ちょっと思いついたんですよ。同じ動物が同じ動物を殺るんでしょ? それなら、猫のごがらすさまがやったんじゃないかって思って。めちゃめちゃ屈強で、しかも膵臓だけ取られてるってのも納得じゃないですか?」
「……まあ、それはそうだけど、一回しか無いから。もう一度死体が見つかって、膵臓が取られてたらそうかもなってなるけど」
少し白けたような顔をして加藤は言った。
どのような内容なのか、僕には全く分からないがとりあえず聞いておく。
「あと、あの首に開いた二本の穴ですけど、あれもしかするとごがらすさまの牙でやられたんじゃないかなって」
「……うーん、そもそも存在するかも分からないものを信じろって言われてもなぁ」
「私、でも絶対何かあると思うんです。一回、何も無いのに蛍光灯が揺れた時もあったし」
間髪入れず、宮田は早口で息もつかずに喋り切った。
「……まあ、その可能性も入れておくわ」
「この可能性随分高いと思いますけどねー」
「ウギャーッ!!」
と、突如、あの日と似たような悲鳴が、小さなペットショップを揺らした。
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