第19話

 小動物コーナーからぐるりと回って、また猫コーナーへ戻ろうと、息を少しばかり整えていた時だった。

「え?」

 ほんの一瞬。

 だが、確かに車の間を駆け抜けていった黒い影があったのだ。

 ――速い。

 と、そんな場合じゃないことを思い出し、額にきらめく汗を拭って、再び小走りで私は逃走を再開した。


「あ、お帰り。さっき来たフード並べとくから、そっちいて」

 加藤がゲージから出ていった。

「ええぇ?」

 この前の事件を受けて、絶対に三人のうち一人はゲージゾーンの中にいなければいけないというルールがミラクルアースに出来た。安全面では間違いないのだが、その分陳列棚の作業などの労働時間が増えて困る。

「小石さんいないし……。ちょっと遊ぼっか」

 私はミケ、ブチ、キング、ブルーをゲージから出した。シロは、優雅にすやすやと眠っている。

「寂しい?」

「ニャーン」

 キングが弱々しい声を出した。猫じゃらしを目の前にぶら下げてみても、キングは目にもくれず、ただ腕を舐めるだけ。

 ――寂しいんだな。殺されたってのは分かってるのかな。

 仕方が無く、ミケとブチを相手に遊びだすことにしたが、大好きな赤いフサフサの猫じゃらしに関しては反応が薄い。

「何なのよぉ。分かった、今日はこれ、解禁してあげる」

 この前、ついにうちに入荷された新型の、猫の目への被害が限りなく少ないレーザーポインターだ。ボタン一つで緑色の光が点灯する。

 それを目の前で動かしてやると……。

「ミャァン!」

 二匹は競うようにして光を追いかけていく。

 この光が小さな虫のように見え、狩猟本能をくすぐるらしい。

「良いよいいよ、走れ走れっ」

 光をあっちこっちに移動させるだけで、猫の黒目がそちらに動き、しなやかな動きで走っていく。いつの間にかキングまで二匹に加わって光を追いかけていた。

「ミャオン!」

 ブチがバシッ、バシッと地面を叩く。そこに緑の光があるだけなのに。

 思わず私はスマホを取り出して、シャッターとフラッシュが出ないように設定して写真を撮った。


「あの、宮田さん」

 と、浅田と大倉が並んで立っていた。

 シュッと、針が脊髄に通ったような感覚を覚える。

「さっき、サロンの窓覗いてました?」

「はははひ?」

 ――出だしは最悪だ。

「いや、誰かに写真撮られたんですよ。フラッシュで一瞬俺なんか目、潰されかけました」

 そういう浅田はかぎ爪のことは全く頭の中には無いらしい。

 よく彼の身体を見回す。白いワイシャツに深緑のエプロン。全く服装に問題は無い。

「そうなんですか? 何で写真なんて撮られたんですかね。心当たりありますか?」

「特には?」

 サラリと浅田は言ってのけた。こちらを見くびるような表情をしていると感じるのは気のせいか。だが、とぼけている様子は無く、本心から出ているようだった。

「じゃあその時、何してたんですか?」

「なんかゲームに出てくるかぎ爪を自慢されていました」

「自慢ってなんだよおい」

 少し強く、浅田は大倉を睨んだ。大倉はひるんだような表情になる。

「まあ、ひとまず私は存じませんね。お客さんが撮ったんじゃないですか? それこそトリマーを目指している人なんかが」

 私は語尾を強めて言った。これくらいの演技なら分からないだろうし、どうせ深く追及されることもあるまい。

「それなら堂々と撮影しませんかね……?」

 大倉が何か呟いたが、浅田は耳に入れず、かもしれませんね、とだけ残して踵を返した。

「ありがとうございました。帰るぞ」

「はい」

「あの!」

 思わず私は声を荒げていた。

「大倉君の顔の傷は、何なんです?」

「さぁ、知りません」

 後ろを向いたまま、浅田は言う。大倉は少しビックリしたような顔をしたが、すぐに浅田について帰っていった。

 ――なんか、本当に知らなさそうな声色なんだよなぁ?




 そのまま、猫と戯れていると小石が小走りで帰ってきた。

「どうしたの? トイレ行きたいの?」

 彼女はずっと足を動かしていて、その場に止まる素振りを見せない。歯を食いしばっているのか、頬が角ばっていた。

「それが、トイレが封鎖されてるんですよ」

「え、封鎖?」

 毒物でも見つかったのだろうか。

「店長と、大学の友達って言う人が多機能トイレにずっと籠ってるんです。でも、彼らの用は多機能トイレだけっぽいのに、なぜかトイレ全体が封鎖されてるんです」

 ――店長が、トイレに籠っている?

 一人だけならまだしも、彼の友達。

「店長って、確か犯罪捜査とかの勉強もできる大学だったんだよね」

「まあ、生き物のことを扱いますから、そういうところもあったみたいですが……」


「もしかして、店長は多機能トイレからハチワレの血液を探し出そうとしてるんじゃない?」


 小石は、尿意を忘れたようにハッとした顔をして、その場に立ち止まった。

「……間違い、無いと思います」

「あったらヤバいよね。ちょっと。私も容疑者になっちゃう」

 冗談めかして言ったが、小石は真面目な表情で

「すでに容疑者ですから」

 と返してきた。


 刹那。

 小石のズボンのポケットが振動した。

「電話……店長からです」

 私とは違って、驚く素振りも無く、彼女はディスプレイをスワイプした。

「もしもし……そうですか。良く分かりましたね。……時間を割り出す技術は無いんですか? ……そうですか。分かりました。宮田さんにも伝えて良いですか? ……彼女、一応容疑者ですけど大丈夫なんですか? ……分かりました、伝えておきます」

 スマホを耳から外して、呆れたようにこちらを向いた。

「良かったですね、宮田さん。長年の勘で、店長は宮田さんがやっていないと信じているらしいですよ」

 その後、小石はさっぱり意味が分からない、と両手を上げ、下唇を突き出した。

「で、ところで何だったんですか?」

「あぁ、そうそう。その時刻まで割り出すことは出来なかったのですがね、見つけたそうですよ」

「……何を?」

 無論、聞くまでも無いことはなんとなく察している。

「何かの動物の血液に決まってるじゃないですか」

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