第20話
「……なるほど、そういうことがあったんですね。そうですか」
小石は興味深げに頷いている。
「凶器の形は、その跡に当てはまるんですか?」
「そんなの、実際に見聞してないんだから分かりませんよ。でも、候補の一つではあると思います」
「……なら、どうやってかぎ爪を見せてもらいましょう?」
「見せてください、って言うのが一番いいのかな?」
「調子乗って見せてくれるかもしれませんね」
「犯人だとしたら、そう甘くは無いんじゃないですか?」
「後輩にあんなに見せびらかしてるんだから、犯人じゃないかよほどの自信があるのか、のどちらかに決まってるじゃないですか」
バッサリと意見を退けれ、少しばかり気分が悪かった。
一瞬、彼女を睨んでから私は言った。
「とりあえず、接客しておきます」
可愛らしい新人、というイメージからすっかり様変わりし、溜口を使うことも出来なくなったのは、なぜだか敗北感もあって、それと少し虚無感があった。
◆◇◆
「何食べてるんの?」
「あ、ちょっと疲れたのでおやつにと思って……」
「おやつにそれ食べるの? 胃が重くならない?」
「まあ、良いんじゃないですか? 学生時代そんなのだったので……」
「まあいいけどさ……」
親しみの湧く先輩でも、世話好き過ぎて逆に困る。
――こちとら、大事な作戦を決行しているところなんだ。
「ちょっと、トイレ行ってきます」
「はーい、早く戻って来てねー」
ヒリヒリと身体が痛む。嘘をつくのも決して楽ではない。
ロッカールームに一度立ち寄り、先輩からもらったお揃いの鞄から、一枚の紙切れを取り出す。
「……これで、良いな」
ぼそっと一人呟いた。
誰かが見ていないか十分に見回す。生物の気配は感じない。
ロッカールームの扉をそっと開け、いつもの黒いコートを着て、口元はマフラーで覆う。ハットを眉毛まで下げて、足音を立てないように歩き出した。
人の気配は相変わらず感じない。
入り口付近まで歩かなければいけないのは全く面倒臭いと思うが、しっかりと“これ”を読んでもらうためだ。
そこまで辿り着いて、ハットを少しだけ上げる。駐車場には誰もいない。
――しめた。
素早く“これ”をねじ込む。鉄は手に触れた瞬間、刃物のような痛みをもたらしたが、それももうすぐ快感に変わることだろう。
――刹那。
ヴーという、動きの悪い自動ドアの音。
――誰か出てくる。
少し前のめりになって歩き出すが、すぐに姿勢を元に戻した。
目の前をバスが走り去って、ガソリンを含んだ冬の風がほどよく髪を揺らす。
――だって、慌てて逃げだして見られるよりも、堂々と歩いていた方がカッコいいじゃないか。
◆◇◆
ハチワレ猫がいなくなってしまった、と知り、幼稚園児くらいの子供はかなり沈んだ様子だった。
「やぁだ、あのニャンちゃんは僕のなの、僕のなのーっ!」
座り込んで大粒の涙を服に滲み込ませ、いくつかは床にも落ちた。
「こら、あなた本当に、別の飼い主さんが出来たんだから仕方ないでしょう?! ホントすみません、この子すっかり飼う気になっていたもので……」
嬉しいことだが、別の人物がハチワレを飼ったと思い込んでいるお母さんを見ると、胸が苦しくなった。
「本当に、行くよ、もう! また別のニャンちゃんと暮らしたらいいでしょう?」
「やーだやーだ、あの子が良いの、もう!」
これを見るに、動物のことは子供の方が知っているように思えた。
――大きくなったら、一緒に働こうね。
腕を抱えられ、強制連行されて行く子供の背中に私は語り掛けた。ちょうどすれ違った小石は、無感情で子供を見つめていた。
そのために、これ以上猫を消すわけにはいかない。
電話だ。中沢からだった。
「店長から電話です」
小石と加藤に言って、私はバックヤードへ一人入った。
「もしもし?」
「ちょっとね、急なんだけど、ハチワレ猫の頭、よく見たらへこんでるんだよね」
へこんでる?
何を意味するのか、小石と違って成績優秀者ではない私は咄嗟に理解することが出来なかった。
「頭頂部のやや右って辺りのところが。ここがへこんでるわけ。これ、鈍器で殴られた跡だと思う。一体どんなものかは分からないけど。骨が若干へこんでるね。二本の穴との時間差はどうか分からないけど……」
――殴られた、ってことか。
だが、それほど驚くことは無かった。
「すでに小石君にも伝えてるから。でね、ちょっとまあ、大変と言ったらなんだけど、危ないものがあって」
「何ですか?」
「ポストに、殺人予告状が投函されていた」
「……殺人?!」
「正確に言えば
いたずらだろうか。だが、警察は呼んでいないし、前回も今回も殺されたなんてことは一言も客に知らせていない。
――誰かが漏らした?
だが、厄災と言っているだけで、別に殺されたなんて言ってない。
「で、また妙なのが、差出人のところ」
「誰からだったんですか?」
「ゴガラスノミギケンシ」
ゴガラスノミギケンシ、と全部、字が少し崩れたカタカナで書いてあったそうだと、先に店長と会っていたらしい小石は言っていた。
「私は、なんかその殴り書きから、怨念のようなものが感じられました」
とも。
「ゴガラスノミギケンシ……」
ゴガラス、というのはごがらすさまのことなのだろうか。ミギケンシ、というのは何だろう。剣士、検死……。
そして、誰かが情報を漏らしたのか、という件。
私は、ついつい視線が小石に行くのを自覚していた。
ずっと事件について調べているように感じる。ハチワレの時もアリバイ工作でもしていたのではないか、と思える。猫に対する恨みがあるのかは分からないが、猫を減らしたらいいという希望があるのも気になる。
――何よりも。
ポストに手紙が投函されたと中沢が言っている時間、小石は何をしていたか。
私がハチワレ猫が欲しかった幼稚園児を接客している間、小石は入り口部分やトイレに行っていたという。手がかりが見つかるかもしれない、と言って。
手紙が投函されたポストは、入り口がある壁の一番端にさりげなく付いている。
「それじゃあ、今日は帰らせていただきます」
「うん、お疲れー」
加藤に見送られ、私は早めの帰路に着いた。
あまりにも色々なことがありすぎて、心身が追いついていない。一歩歩けば膝が、もう一歩歩けば太ももが、あと一歩歩けば踵がキシッと痛む。
「……ん?」
と、ロッカールームへつながる扉を開けると、暗闇の中で音が聞こえる。
キィ、ガチャン、キィ、ガチャン、キィ、ガチャン……
少しずつ、黒い影が見えてきた。上背は無く、髪はショートカット。
「小石さん……?」
よく響くロッカールームでも、その声は目を鷹のように光らせる彼女の耳には入らなかった。
キィ、ガチャン、キィ、ガチャン、キィ、ガチャン
小石は、闇の中、黙々と一つ一つのロッカーを開けては閉めてという作業を繰り返していた。
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