第18話
「ういーっす」
気に食わぬ声がまた入ってきた。
「今日入荷の日なんでね。忘れてない? たっぷりフード積んできてるから、早く来い」
「忘れてませんよ!」
加藤が、怒りのマークが見えそうなほどに額を割って吠えるが、当人の今川はすでにロッカールームの奥へと消えている。
小石も加藤と張り合うのを諦め、加藤の後についてロッカールームへ入っていく。気に食わない目線で彼女の太っい背中を刺していた。
「ちょ、今川さん、なんで人のロッカーを覗いてるんですか! 変態!」
土に埋まった骨を探す犬のような幼い顔で犬猫担当のロッカーを開けては閉めを繰り返す今川に、私は手が勝手に動いてワイシャツに差さっていたボールペンをダーツのように投げた。
「痛っ!」
と、スローモーションでボールペンはクルクルと横回転をしながら高度を落とすことなく飛んでいき、ペン先は今川の目を捉えた。
「ああっ……」
目を押さえ、と思うと右目の両瞼を手でバッと開けている。ハンカチで再び目を押さえたと思うと、顔をこちらに向けた。
左目から、異様なほどの殺気が漂っている。落ちているボールペンをハサミにでも変えて投げてきそうな強い殺気。
「お前まで俺のことを舐めやがって……」
「だだだだって、その、人のロッカー勝手に漁られて良い思いする人なんていないじゃないですか……?」
「俺はまた内臓が入ってねぇか点検してやってたんだよ! それが何だ、勝手に漁ってるなんてよぉ人聞きの悪いこと言いやがって!」
果たしてどんな理由なのかは知らないが、ひとまず加藤が無言で、腹で今川の肺を圧迫しながら通り過ぎて行った。私たちも無言で目を押さえて喘いでいる彼の隣を通過する。もちろん、ボールペンを回収して。
「え、本当ですか?」
「本当なんだよ」
サロンに入ろうかというところで電話がかかってきた。なんと中沢からだった。
富岡の不思議そうな視線を痛いほど感じながら、私は大窓を避け、奥の壁にもたれかかる。
「なんで私の携帯番号知ってるんですか?」
「店長室のデータから調べただけだよ」
いきなりかけてこられればビックリするじゃないか。事実、今驚いて心臓がまだ止まりかけだ。
「でね、その内臓のイカやエサは新しいもので、死んだのは最近だと思われる。五時以降。まあ、大体時間は分かってるけどね。葉山さんの時間から九時までの間。そこらへんの、誰もゲージを見ていない時間の間で多分何かが起こっている」
興奮気味で、中沢の口調は冷えているのに暑苦しかった。
「で、あの猫の首だけどね。首の根元にかなり重要なものがあった」
数秒続いた間。この間は何だろう。
「何かが刺さったような跡、だよ」
ビーン、と何かに弾かれたように顎が上がった。
「しかも、二つある。薄っぺらいナイフじゃなくて、なんかね、分からないんだけど結構太いものだ。断面は円に近い」
そんな凶器はなかなか思い浮かばないが……。
「死因は失血死だ。大動脈がプツンと断ち切られている。恐らくこれだ。毒が使われてた可能性は低いんじゃないかな」
つまり、容疑者は私たちに絞られたことになる。小石は、高確率で犯人では、ない。
チッ、と電話の向こうに聞こえないように、私は舌を打った。
「まあ、そういうことね。何か凶器に近いようなものがあったら報告してくれ。ある程度鋭利で、バナナほどの太さがあり、断面が円に近い物。分かったね? 小石君にも報告しておいてくれ」
一方的に通話を切られ、私はふぅ……と空に息を吐いた。
スマホをズボンのポケットに入れ、再びサロンの大窓に近づいた。
「これ。結構鋭いだろ? アルミ缶ぐらいなら貫通するぜ、多分。実際に人殺せるかもな」
おちゃらけた声が聞こえる。貫通、人殺せる、というワードに引っ張られ、私はそっと大窓からサロンの中を覗いた。
――これは?!
先が袋に包まれているが、動物の牙のような形をし、太いところはバナナほどの太さがある鈍器が二本並んでいる。
「ゲームでこのかぎ爪はマジで強いんだぜ」
浅田が指にはめているかぎ爪は、薄い猫の皮を貫き、大動脈を断ち切るには十分すぎるほどの大きさと鋭さだった。
しかも、それを見せつけられている大倉は、なぜか顔にいくつかの引っ掻き傷のようなものがある。血の塊の短い線となっているそれは、見ればどうしても、浅田が大倉をかぎ爪で引っ掻いた、という妄想が膨らんでしまう。
――まさか、そんなことは。
大倉は殺人ゲームの自慢話を聞かされながら、洗面台に戻ってキレイなハサミを冷水で洗い始めたが、それでもなお浅田は話を止めない。
認めたくは無いが、それでも決定的な証拠だった。
サロンへの用事なんぞ私の頭の中からはすっぽり抜け落ちている。踵を返し、小走りで私は小石の元へと向かおうとした。
と、ふと思いとどまり、サロンの大窓に戻る。
まだ彼はかぎ爪を手にはめていた。
スマートフォンを取り出し、そっと窓からレンズを出す。
シャコッ、シャコッ
そのまま三回、数秒開けてシャッターを押す。写真を見れば、これまでカッコよく見えてきた顔が、かぎ爪を持って後輩に見せつけている姿となると妙に傲慢に見えてくる。
富岡の叱りつけるような声。
もう一度、私は心の中で富岡に謝りながらシャッターを切る。
シャコッ、ピリッ
「あっ!」
と、思わず大声を出していたことに気付く。絶対、浅田や大倉、富岡は何かがいることに感づいただろう。
――フラッシュが……。
窓から覗く勇気も無く、私は冷や汗をかき、頭の中が真っ白になっていた。
キィ、とドアノブの回る音が聞こえる。
迷っている暇は無かった。
私はサロンから少しでも離れるべく、陳列棚を縦に突っ切って、向かいの小動物コーナーを目指して全力で走り出した。
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