第17話

「宮田さん、何かマズいものでも……」

 と言って間もなく、あっ……と情けない声を出して小石も“それ”と目を合わせ、石像化した。

「……あれって、あのハチワレじゃないですよね?」

 恐る恐る彼女は訊ねる。

 あまり特徴のない黒い八の字のような模様を見る限り、他の個体だという可能性もある。それを信じたかったが、目の前の首は、異様な形相をしているが、ずっとペットショップで暮らしてきた朗らかな猫という雰囲気を醸し出していて、とても彼女の意見を肯定することは出来なかった。

 小石も感じ取ったのか、しばらく目を剥いて見ていたが、やがてがっくりと肩と視線を落とした。

 目の前のハチワレ猫は、在りし日の姿が分からないほどに乱されている。目がえぐられ、口は大きく開いて舌が出ている。額にあった白い艶やかな毛は全部そられて、皮膚が剝き出し。頭の上には、薄いピンク色のような色のグネグネとしたものが見えていた。

「どうしましょう、こんなものなかなか置いておけませんよ。いつ見つかるかも分からないし。早くしないと」

「分かってる。ちょっと、事務の人呼んできて。私はどうにか人の目を逸らせるようにするから」

「わ、分かりました」

 小石は慌てて、正面から店へ突入していった。チラチラと上を見つつ。


「これはマズいですね。すぐに降ろさないと。ちょっと種田さん、脚立持ってきて!」

 幸い誰も客が来ることは無く事務スタッフが駆け付けた。

 種田は上を見ないようにまた店内に入っていく。

 ものの二分で二点五メートルほどもある脚立が二人がかりで運ばれてきた。

「私たちがどうにか回収するので、お二人は店の中に入っていてください」

「分かりました。あの……多分、店長がそれを調べると思うので、上手い事保存しておいた方が良いと思います」

 だが、その心配は無いようで、すでに、いつからいたのか宇野が脚立を登っている。

「猿みたいですね……」

 途端にうげっ、という声が聞こえた。ぐらっと脚立が揺れる。

「危ないっ!」

 だが、何とか持ちこたえて、ハチワレの首を入れた袋を持って宇野はまた降りてきた。

「きゃっ!」

 ビニール袋の中はものすごく湿っていて、所々に血も見られた。そして、後頭部を覆う毛も皮膚も完全に取り除かれており、クネクネした脳がギュッと詰まっているのが見えた。あの時に並ぶほどの異臭が袋の中からでも浮遊し、私たちは耐えきれずに店内に駆け込んだ。

 ――ヤバい。

 口元まで、ドロドロした酸っぱい物がやって来ている。


「そうだったんですか? 本当のことですか? 葉山さんから命令された、なんて言うことはありませんか?」

「いや、無い、本当に無い。本当に信じてほしい桜子さくらこちゃん」

 意識がもうろうとし、足元がおぼつかない中で私はやっと女子トイレから出てきた。と思えば小石と宇野が口論している。

 ――小石さんを下の名前で呼ぶ人物がいたとは。

「どうした……グォホッグォホッ」

 少しだけ、黒いカーペットの敷かれた地面に黄土色のものが飛び散った。

「宇野さんがそこにいた理由を尋ねているんです。トイレをしに来たら出くわしたって言うけど、私は犯人に命令された可能性もあると思うんですよ。問い詰めるんですけど、違うトイレに行っただけの繰り返しで全く進まないんです」

 スタッフ用トイレが入り口のお客用トイレと同じでなければこんなことは起こらなかったはずなのに。

「本当に違うから、信じて、な? とりあえず仕事に戻ろうぜ? 加藤さんも待ってるだろ」

 完全なアリバイを持つ宇野は、逃げるように自動ドアの向こうへ消えていった。


「ところで、宮田さん」

「何?」

「誰があんな場所に、いつから猫の首なんてものを上げたんでしょう」

 地面に平行な、蛇腹の屋根にかなり前からこの状態で乗せていたなんて不自然だ。誰も見ないなんてことはまず無い気がする。見つからなかったのは、偶然だろうか。

 また、屋根まではは二点五メートルほどの高さがあり、脚立をどこからか搬入しないと物を乗せることは不可能だ。投げたと考えるにも、きっちり真正面を向いて蛇腹の窪みにピッタリはまっていたわけで、偶然だとは思えない。脚立で作業するにしてもそんな目立つようなことはどうすればできる。どこかで工事のようなものをしたことは無い。

「って私は思うんだけど」

「同感です、おかしいですよね。早朝ならまだ脚立を使って作業しても見る人いないからいいかもしれませんけど……」

「それでも道路からすぐ見える位置にあるんだし」

「やっぱり、たまたま誰も見なかったんでしょうかね……? しかも誰がなんでそんなことをするんでしょうかね」

「自分が殺害した、みたいなことを誇示したかったとか?」

 よほどのヤバい奴か。

 そんな快楽で猫を殺すような人間は、到底許すことが出来ない。

 ――いや。浅田さんならそんなことするか?

 いや、そんなわけがない。そもそもそんな性癖を持っているはずがない。

 可能性を頭から跳ね除けるのもなかなか苦労する作業だった。

「ですかねぇ……?」

 さすがの小石でも、これには攻めあぐねているようだった。




 やっとホッとして、でもいつも通りじゃない陳列棚の作業。

「猫が少なくなるのは良いんですけど、やっぱり許せないですよね……」

「だよね……ん?」

 何か不服そうな顔をして作業をしている加藤が言った。

「少なくなるのは良いってどういうこと?」

 バチッと、二人の目の間で火花が散った。視線を押し合わせる。

「いや、猫の数のわりにゲージが狭いと思って。もう少し猫の数を減らしてゲージを広くしたらいいのになぁって思ってたんですよ」

「……は? それで殺されて喜んでるわけなの?」

「誰がそんな! なんで猫が殺されて嬉しいんですか!」

 珍しく小石が怒っている。

 感情的になっている小石を見ることはあまりなくて、私はヒヤヒヤしつつも珍しいものを見ることが出来たような気分でいた。

「だってそういう風な口ぶりだったでしょ? まさかあんたがやったんじゃないよね?」

「何言ってるんですか! 私がそんなことするわけ無いじゃないですかっ!」

 何だか私は、疑いを持たれている小石を可哀そうに思いつつも、それ以上に完全鉄壁だと思われた彼女のアリバイが少し剥がれたことが妙に嬉しかった。

 実はこちらも、叩けばどんどん埃が出るんじゃないか?

 なんてことを考えると、少しばかり心が弾んだ。

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