第11話

 葉山は、視線を一点に集め、放心している。

「早く、話してくださいよ。洗いざらい話してください。辛い過去があったんでしょ? それを一人で抱えていたって仕方が無いじゃないですか。話せば分かるはずなのに。おかげで私たちはとんでもない迷惑を被り、失われなくても良い命を失ったんです」

 彼女の言うことは、温かく優しいようで、冷たく厳しいものだった。


「……アタシの母は、猫好きだった」


 ボーっと上を向いたまま、彼女は記憶をゆっくりと吐き出す。

「でも、ある日、猫に噛まれて、病を患った。……カプノサイトファーガ感染症だった」

 葉山をぐるりと取り囲む人間が、一様に疑問符を頭に浮かべる。

「その病気で、母は髄膜炎になって、長く苦しんだ。家族はみんな動揺したし、アタシだって心がボロボロになった。もう、死んじゃおうかな、って思った」

 喉に針が刺さった時のような、痛みの表情をする。

 恐らくその話は、彼女の頭に、深く刺さって取れない釘のようなものだったのだろう。

「それをアタシは入ってきてしばらくして、ずっと隠してたけど、極端な猫嫌いが店長にバレて、事情聴かれて、全部話した。で、店長は色々な優しい話をしてくれて、アタシはそれで自分を抑えることが出来た。でも、でもでもでも、この前その母が……おかあさんがっ……!」

 続きを聞かずとも、何の話なのか分かった。

 葉山が店に一週間ほど来なかった一カ月前のことを私は思い出した。


「それで自分を抑えろなんて無理でしょ?! 猫を殺したくもなるじゃん!」


 血走った目で叫びながら、彼女は泣きじゃくった。

「……でも、あたしは殺してない。それは本当。何度も殺したくなったし、一回あの、メインクーンの猫を蹴ったこともあった。ここまで言ったら絶対アタシだと思うと思うけど、それでもアタシじゃない。天国のおかあさんに誓って、本当に違う」

 ハァ、ハァと肩で息をし、泣きはらした真っ赤な顔。そんなこと言われても、信じられるはずがないじゃないか。

「……そんなこと言って信じられるわけないよねぇ。ここまで猫に対する恨みを持っている人間が、そんな、ねぇ」

 と、今川が皮肉な顔をして、粘り気ある声で言う。

「この人に営業も散々に断られて、一級品のネクタイピンも捨てられて……全くもう酷いもんだ。人遣いも荒いしねぇ。まあつまりは、こいつが犯人で間違いないってことだ」

 彼の一撃で、葉山は電池が切れたロボットのように、カクンと首を落とした。




「そういうわけね。なるほど。……葉山さん、結局抑えられなかったわけね?

「違います、アタシは猫を殺してなんていません。アタシは……っ!」

 悲痛な叫びを聞いて、中沢はふーんと腕を組み、首をコキコキと回す。

「……まあ、まだ彼女を犯人にするのは早計だね。もう少し、じっくりと犯人捜しをしなきゃいけない。次の日の空き時間に事情聴取しようと思うから、そのつもりでいて」

 中沢は、意味ありげな笑みを浮かべた。

「……ところで、葉山さんのロッカーに入っている内臓、誰かに取り出してもらいたいんだけども」

 全員が戦慄した。私と小石の様子で、毒薬の効果は皆分かっている。

「誰か、頼めないかな?」


「……じゃあ、僕行きます」


 と、皆がギョッとした顔をする。

 挙手したのは、枯れ木のような体をした大倉壮紫その人だった。


 手袋とマスクに、トリミング用のバンダナを巻いて大倉はヨボヨボとロッカールームの奥へ歩を進めていく。

 枯れ木が、ミシッと音を鳴らして折れてしまわないか。

 だが、大倉は予想に反して、スピーディーに歩き続け、あっという間に葉山のロッカーへ辿り着いた。

「……あの臭いで大丈夫なの?」

 小石が思案顔で彼の後ろ姿を見つめている。

 そのまま大倉は袋に、ロッカーに入っていたものをすべて突っ込んで帰ってきた。

「お帰り、大倉く……ウゲッ」

 さすがの中沢でも耐えきれなかったのか、口元を押さえ、ゴホッゴホッとむせる。白い床に、黄土色の米粒や人参が飛び散った。

「……失礼。これが今回ロッカーに入っていた全てだね?」

「はい」

 大倉は右上を向きながら答えた。

「ウギャーッ!」

 と、その瞬間に断末魔の叫び。

 葉山が全身に痙攣を起こしていた。

「ち、近づけないで、こっちに近づけちゃいや……」

 女王蟻は座った状態からズルズルと後ずさる。

「アタシ、血液恐怖症……」

「え、そうなんですか」

 逆に浅田はフンフンと鼻歌でも歌いだしそうな陽気な顔で、内臓が入った袋を興味深げに見つめる。


「俺、大学時代解剖の授業が大好きだったんですよ」


 爆弾発言。私の脳に電撃が走り、数秒ショートしていた。

 鼻の穴をヒクヒクさせて内臓を観察する。ズボンを見れば、股間が膨張し、ヒクヒクと奇妙な動きを見せていた。


「……ところで、死体はどこに行ったのかが分からない。誰か見た者はいないか?」

「……死体?」

 目の前にあるこれこそが死体じゃないのか?

 いや。

「内臓は出てきても、それを包む骨や皮膚、体毛が出てこない。これは、何か臭う気がする」

「まあ、何があったとしてもこのミラクルアースが潰れてくれれば満足だからな」

 鋭い目で、今川は中沢を見つめた。

「……少なくとも、絶対にこの店は潰さない」


「潰してやるからな、これまでの恨みを全部この場で返してやるからな」


 これまで見たことのない、鬼の形相で今川は言った。

 中沢は肩をすくめ、両手のひらを水平に上げた。

 葉山の過去、血液恐怖症、浅田の性癖、今川の手のひらを返したような発言と、中沢と睨み合い。

 ――なんか、引っかかるな。

 

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