第7話

 キングのトリミングを終え、私は大倉と浅田に礼を言って帰ろうとした。

 が。

「ねえ大浪君。思わない? 職人っぽいから言うけど、やっぱり出来てないよね、あの子。全然ダメダメ。あんな人にハサミを握らせれば本当に何をやらかすか分かんないよ。しかも今日なんて……」

 ――またか。

 葉山は大浪に愚痴をこぼしていた。自分の仕事はどうなんだ、とツッコみたい。

 相変わらず職人顔で、真っすぐにお客さんの猫のコートに向き合っている彼は全く耳に入れていないみたいだった。

「ところで大浪君、真剣になるのは結構だけどねぇ、そんなに真剣にならなくても。別に作品つくってるわけじゃないの。まあ、犬ならしっかりやってもらわなきゃ困るけど、猫は別にそんなに頑張らなくても良いから。猫なんてねぇ、懐かないし、引っ掻くし神経質だし全くもう良いこと無い。猫を飼う人の心理は理解しがたいわぁ」

 握った拳に爪が食い込む。

 一体何があってそんなに猫嫌いになるわけなんだ。

「……葉山さん、大浪さんを集中させてあげてください」

「あー、またあんたか。大浪君は何もしなくても集中できるから大丈夫。ところで、証拠は出てきましたかぁ?」

「……今、頑張っているところですっ」

「そっかそっか。ま、加藤の非は変わらないから。最近やたらよそよそしいよね。なんかずっと緊張してる気がするの」

 それはそうだった。だが、加藤に限ってそんな酷いことはしないはず……。

「あの、ところでそんなに猫のことを酷く言わないでください。猫には何の罪もありません」


「……何の罪もない?」


 葉山はこれまでの憎たらしい挑発的な表情から一変、怒りの形相になった。

「……何を言ってんの? 罪がない? 冗談言わないでくれる? そんなことあるわけないじゃない。猫のせいで私は、猫のせいで私の家族はめちゃめちゃにされたのよ。猫のせいで私の母親は人生を狂わされそのおかげで家族もめちゃめちゃにされ私の人生まで狂ったし猫がいなければ幸せにみんなで今でも暮らしていたはずなのにこんなショップには来なかったはずなのに何でこんなことになったのこれでもあなたは猫に何の罪もないと言えるの」

 目をガンガンに開いて、葉山は最初は感情的だったが、徐々にトーンダウンし、やがてロボットのように、読点を挟まずつらつらつらつらと言いたいことを棒読みし続けた。

 ――ついに、気が狂ったか。

 ところで一体、彼女にはどんなくらい過去があるのだろう。

 私にはその方が気になった。

「あの、お二人さん」

 大浪が珍しく、電源を入れたままのバリカンを握って、低くやや濁った声で言った。

「トリミングの邪魔なので、出ていっていただきたい」

 



 七時となり、営業を終えた二階の魚、両生類、爬虫類、鳥類の売り場のスタッフが続々と階段を降りてくる。

「……あ」

 ちょうど、大学が同じ鳥類担当のスタッフが降りてきた。

「ちょっとはる、今日さ、なんか叫んでなかった?」

「ん? あぁ、オウムのオウちゃんがゲージから飛び出したから」

 ここまでは、想定の範囲内。

「へぇ、そう。で、どうなったの?」

「ゲージを出てすぐに捕まえた」

 ――嘘でしょ?

 電球が揺れていたのは一体何だったんだ?

「なんか、一階に飛んできたり、とか無かった?」

「別に? 五秒後には捕まえたもん。大体、オウムに関してはそんなに飛ばないように管理してるから……」

 さっき、葉山との言い合いでショートした脳が、急激に冷えていく。

 ――嫌な予感がする。




「ところで、加藤さん……」

「何?」

 八時になって、閉店三十分前、蛍の光が鳴りだした途端だった。


「もしかして加藤さん、前回、シャム猫がいなくなった件、加藤さんがやったのではないですか?」


 三人を取り囲む何気ない空気が一瞬で固まった。そして、ピリピリと加藤に向ける視線が強くなる。

 彼女は時間が止まったかのように動きを止めて、顔を紅潮させていた。

「わ、私はそんな、猫を殺したりなんてするわけないじゃない!」

 加藤は顔を真っ赤にして叫んだが、広い額には大きな汗が滲んでいる。

「別に、誰も殺したなんて言ってませんけど」

「え」

 加藤は拍子抜けしたように言った。そして、顔をまた固めた。

「宮田さん、あなたが違和感を抱いていた正体が分かりました」

「え?」

 今度は私?

 小石は、漫画に出てくる名探偵のように細い目をキラリと光らせた。

「加藤さんが、私たちに対してよそよそしくなったこと、それがあなたの最大の違和感ですよね? そのわけは、今回の事件にあったんです」

「は、はぁ……」

「加藤さん、あなたが今回の悲劇の犯人です」

「……どうして?」

 強がって小石を睨むが、それとは対照的に、声は先細りに小さくなる。


「あなたは、全てのドアを開けっぱなしにしていたからでしょ?」


 ただ冷徹に、小石は言い放った。

 加藤は、ごくりと生唾を飲み込んだが、やがてがっくりと項垂れた。

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