第8話
「……小石さん、あなたなんで分かったの?」
ゆっくりと加藤は顔を上げた。その顔は、まるで幽霊のような激しい怨念にまみれていた。
「何でと言われても、状況的にそれしかないじゃないですか。そこから逃げ出したなり誰かが侵入したなり……」
全く空気を読めない新人学級委員長はサラリと言ってしまう。
「……チッ、葉山に勢いをやったし」
よほど嫌いなのか。
だが、これで加藤のよそよそしい態度も明らかになった。
「けど小石さん、私はシャムを殺したということにはならないんだよね? ね?」
「まあ、そうですね。でも、誰かと共犯でやったという可能性も否定はできません」
「そんなわけ無いじゃない! 咲月、分かるよね? 私が猫に注いでる情熱は! ね! 私の過去も知ってるでしょ?」
加藤は自分にこれ以上の汚点を付けないように、小石に問うたが、何の感情も無しに事実だけを述べる彼女にまた顔を真っ赤にさせる。私には、その頭から大量の湯気が出ているのが見える気がした。
「……まあ」
加藤は、恵まれた家庭環境ではなかった。一時期は山奥のプレハブで暮らしたこともあるという。そんな状況に両親の離婚危機まで訪れ、家族は完全にバラバラになろうとしていたが、それを救ってくれたのが猫だった。そこから少しずつ貧乏生活を脱出していったらしい。加藤の猫に注ぐ情熱は、間違いなく本物だと思う。
だが、ここまでの状況を見ればなかなか首を強く縦に振ることは難しかった。
「加藤さん、今のところは、扉から出ていってしまったシャムが不慮の事故で亡くなった、という可能性が一番大きいですから。それは間違いありません。ただ、その可能性もある、ということです」
この歯に衣着せぬ物言いから考えると、学生時代はさぞかし嫌われていたのだろうなぁと思える。
そして、私の中ではこの女も疑わしい者の一人。
私は今、誰も信じることが出来ない。自分もまた、何かやらかしたのではないかとずっと戦々恐々している。何が本当で嘘なのか、もう何も分からず、ただ言葉の渦巻く世界の中でゆらゆらと彷徨っているというイメージ。
「……とにかく、私はそんなおかしなことしないから!」
その言葉は、自分に言い聞かせるような口調に聞こえた。
蛍の光がショップに響きだした。
もう間もなく八時半。一階と二階でこのショップは営業時間が違う。
客はもうほとんどいないため、私たちは店じまいを始める。
私はゲージに備え付けられているカーテンを降ろしていく。ドアの鍵も閉めた。
「本当か?」
「……」
何か深刻そうな雰囲気で、猫のゲージスペースのドアの前で大倉と今川が話している。よく考えると、身長も同じくらいで、顔も何だか似ている。決定的に違うのは、身にまとうオーラだろうか。今川はどーんと厚かましいのに対し、大倉は近寄ったらこっちまで陰鬱になりそうな雰囲気。
「じゃあ、私、お先に帰るねー」
「あ、はーい、お疲れさまでしたー」
富岡が手を振りながら帰っていく。
「あ、それじゃあ……」
と、なぜかとんでもない時間に来店した今川も大倉との話を止め、彼女に釣られて帰ろうとする。
「ちょっとちょっと。何か話があってきたんじゃないんですか?」
なんてったって、たった二分前に来たばかりなのだから。
「いやいや、そんな、帰り道にここ通るんですよ。ちょっと田舎の方に家があるんで、そっから都会まで通ってるんです」
「だからってここに来なくても……興味ないんでしょ?」
「いやいや、しっかり営業のチェックして来いって言われたんで。どうでしたか、最近、フーズ・Z・プレミアムの商品の売れ筋は」
正直、ライバル会社の方が売れてるとは言えない。
「まあ、ぼちぼちですね」
「ぼちぼちじゃ困るんですがね」
ゲージスペースから、エプロンの正面のポケットに片手を突っ込んだ浅田が出てきた。ガタン、というドアの音が聞こえた。
「あの」
蛍の光が鳴り止んで約三十分後のことだった。小石は加藤に声をかけた。
「何、小石さん」
あの件以来、加藤はますます小石に冷たい態度を取っていた。小石は全く気にしていないようだが。
「ハチワレネコがいません」
「……え?」
あまりにも普通に言うもので、加藤も私も耳に入れて数秒してからやっとリアクションを打てた。
「……本気で言ってる?」
「本気です。ゲージは、ハチワレネコのところだけ開いています。ドアは開いていません」
私はぞわっと体中が震え、ぞわっと鳥肌が立った。
またか。
シャムをこの前失ったばかりだというのに。
突如、今朝の呪文が脳内に蘇ってきた。
――ごからすさまごからすさま、どうかどうかわたしにふくしゅうのごかごを。
謎の呪文、死んだ烏、唸り声、歯ぎしりする音、吹き付ける風、黒い影。
「……今いるのは誰?」
「今川さん、私、加藤さん、宮田さん、浅田さん、大倉さん、宇野さん、葉山さん、以上です」
「……この中に犯人がいる、的な?」
浅田のポッと出た発言で、葉山がニタリと笑って、顔を引き締める加藤にビシッと指を差した。
「私は、絶対加藤だと思う」
一斉に周囲の目線が加藤に向く。
「この前、シャム猫が死んだ事件。あれ、加藤がドアを開けっぱなしで出ていって誰もいなくなったことが原因なの。あれ、ひょっとしたらわざとじゃないかって私はずっと思ってた。どうよ、加藤。あんたが殺ったんじゃないの?」
加藤は顔を真っ赤にして、肩で息をしていた。
じりじりと、私と小石以外のみんなが後ずさる。
「……私の猫への情熱は、そんなもんじゃないわよ」
加藤は、汗でぐしょぐしょの顔から絞りだした。
「んん? そんなこと誰が信じられるの。あんたの情熱なんてあんなしょうもないミスをしている時点で無きに等しいわけ。そうよね? みんな?」
誰も答える者はいない。その無言が、同調圧力を加藤に加えていた。
「……加藤さんはそんな」
「まあ、加藤は随分生意気な人間だったからなぁ。うちに対する非礼と言ったら一体どれくらいあったか」
私の声に被せるように今川が挑発的に言った。
「そう言えば、あんたいつしか言ってたな。『もう、疲れた』ってさ」
これで、勝敗は決定づけられた。
みんな、悪魔を見る目で加藤を見ている。
「店長、呼びますか?」
宇野が汗を垂らしながら言った。
「そうしてそうして」
葉山がルンルンと言う。
「そうだ、俺の武器でこの場でこの人殺しちゃう?」
浅田までそんなことを言い出した。
「まあ、ひとまずこの人はもうここにいさせてはいけないから」
どこから出してきたか、白いロープを今川はブンブンと振り回した。
加藤は、耐えがたい屈辱感で身体がワナワナと震えている。クソッ、クソッ……と呟いているのがかすかに聞こえた。
「よし、ひっ捕らえるぞ!」
刹那。
「ギャーッ!!」
この世の終わりのような、甲高い絶叫が、全員をまたも震え上がらせた。
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