落花枝に返らず破鏡再び照らさず

三鹿ショート

落花枝に返らず破鏡再び照らさず

 私と彼女の関係を知っていた人間は、示し合わせたかのように、同じ言葉を吐く。

「何故、彼女のような人間と別れたのか」

 そのような言葉を吐く理由は、想像することができる。

 それは、彼女が良い人間だったからだ。

 異性の目を奪い、同性の羨望の的と化しているかのような佳人であり、常に穏やかな笑みを浮かべて他者を安心させ、蟻も殺めることがないほどの優しい人間であるために、その評価は間違っていない。

 だが、それは他者に見せている姿である。

 共に外出をしている際は、他者の目が存在しているために下手な行為に及ぶことはないものの、自宅で二人きりのときなどは、様子が一変するのだ。

 胡坐をかきながら酒を飲み、品の無い笑い声を出し、私の事情など構わずに自身の欲望のために私と身体を重ねようとしていたのである。

 交際を開始してから初めて本性を知ったのだが、彼女のそのような姿は、想像もしていなかった。

 初めは、本当の姿を見せてくれていることに喜びを感じ、彼女の行為に付き合っていたものの、何時しか私は、彼女と二人で過ごす時間を回避したいと考えるようになっていた。

 私との時間が減ったことに対して、彼女は不満を口にしていたものの、私と別れるつもりはないらしく、孤独な時間を過ごすようになっていたのだが、私は異なっていた。

 私は、他の異性に逃げたのである。

 相手は彼女の友人であり、彼女ほど美しくはないものの、彼女のように乱れた本性の持ち主ではなかった。

 共に過ごしていて疲れるようなことはなかったために、私は彼女の友人との時間を愉しむようになったのだ。

 しかし、彼女の友人は、私との関係を明かしてしまったのである。

 それは、彼女から私を奪おうと考えていたわけではなく、彼女との関係を知りながら私を奪うような真似をしてしまったことに対して罪悪感を覚えていたことが理由らしい。

 私の裏切りを知ったことで、彼女はいきり立つかと思っていたが、落ち着いた様子で、私に問いを発した。

「あなたは、私と過ごす時間と、友人と過ごす時間の、どちらを求めていたのですか」

 正直に答えることで、彼女との関係を終了させることができるのではないかと期待したために、私は後者であると答えた。

 その答えを聞くと、彼女は寂しげな笑みを浮かべた。

 そして、彼女は私の前から姿を消したのだった。

 これは私が望んでいたことだったが、それでも、彼女の寂しげな表情には胸が痛んだ。


***


 結局、彼女の友人との関係も、終焉を迎えた。

 私が恋人を裏切るような人間だと分かっているために、当然の結果だろう。

 それ以来、私は数多くの女性と交際した。

 それぞれの女性の個性を愉しむことができたために、関係を持ったということについては、何の不満も無かった。

 だが、しばらく交際した後、私は女性たちと別れていた。

 恋人関係が半年も続けば長い方であり、ほとんどの女性とは、数週間で別れていた。

 喧嘩をしたわけでもなく、相手の女性が私のことを裏切ったというわけではない。

 ただ、私が飽き性だというだけのことだった。

 ゆえに、相手の女性が悪いということではなく、私の性格に問題が存在しているのである。

 そのことを相手の女性に何度説明したのか、憶えていなかった。

 しかし、考えてみれば、私が原因ではなく、相手が理由で破局したのは、彼女だけだった。

 それを思えば、彼女は私にとって特別な存在だと言うことも可能だろう。

 彼女の本当の姿を我慢し続ければ、私は多くの女性に怒りを抱かせるような事態を避けることができたのではないか。

 そのような思考を抱いたが、実現することは不可能な話である。

 何故なら、彼女は既に、この世に存在していなかったからだ。


***


 私の裏切りを知った後、彼女は廃墟と化している背の高い建物の屋上から飛び降りた。

 遺書は存在していなかったものの、私と別れた直後であることを思えば、それが理由だったとしても不思議ではない。

 彼女が飛び降りた建物を見上げながら、私は彼女のことを思い出していた。

 この世界には、私よりも彼女の方が必要な存在だったことは、間違いないだろう。

 誰もが認める善人を裏切り、その善良な人間を死に追いやっただけではなく、数多くの女性を現在進行形で泣かせている私のような人間がこの世界にとって不要であるかどうかなど、誰に訊ねたところで首肯を返すに違いない。

 だが、今さらそのようなことを考えたところで、既に遅いのである。

 たとえ彼女が生き続けていたとしても、私が彼女と関係を戻そうなどと考えることはなく、彼女もまた、自分以外の女性と関係を持っている私など、願い下げだっただろう。

 つまり、我々の関係が元に戻ることはなく、互いに誰かを幸福にさせ、誰かを不幸にさせていただけなのである。

 そのようなことは、私や彼女ではなくとも、実行することができるだろう。

 ゆえに、彼女が消えてしまった現実には、それほど大きな意味は存在していないのである。

 しかし、彼女のような素晴らしい人間を死に追いやることになってしまったことについては、一応は反省していた。

 そうでなければ、彼女が選んだ最期の場所を、頻繁に訪れることはない。

 それでも、私は己の行為を改めようなどと考えていない。

 私は、私の人生を進むだけである。

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