初心者サンタクロース(2)

 寝ているはずの彼女と目が合う。

 という事実の意味するところはつまり。

「……おかえり」

「――うわっ!?」

 見下ろす顔がはにかむと、俺はうろたえ飛び退かざるを得なくなった。


 何せ手にはプレゼントの袋がある。

 これを見られたら、今までの計画も努力も水の泡だ。


 慌てて後ろ手に隠すと、彼女は気づかなかったのかちょっと笑った。

「そんなに驚かせちゃった? ごめん」

 真琴の声ははっきりしていて、寝起きのものではなかった。

「い、いや、寝てると思ってたから……」

 答える俺の声はわかりやすく動揺していた。

 正直、死ぬほどびっくりした。

「起きてたよ」

 寝返りを打って仰向けになった彼女は、妙に嬉しそうにしている。

「だって播上、帰り遅いんだもん。何か気になっちゃって寝つけなかったから、ついでだと思って待ってみたんだ」

 そう話す口調は明るかったけど、心配してくれてたってことは俺にでもわかる。

 悪いことしたな、と密かに思う。

「私の寝たふり、上手かった?」

「うん、すごく。起きてるとは思わなかった」

「そっか、やったあ」

 布団に包まりながら笑う真琴はちっとも眠そうじゃなく、目も冴えているようだった。

 これは一旦引いて、彼女が本当に寝つくまで待つべきだろう。プリンを背中に隠したまま考えた。

「着替えといでよ、待ってるから」

 彼女にもそう言われたので、

「わかった。……ちょっと、待っててくれ」

 俺はよろよろと立ち上がり、不自然な後ろ歩きで寝室を出た。


 プリンを台所の冷蔵庫にしまい、ついでに寝巻きに着替えておく。

 と言っても寝るわけにはいかない。サンタクロースとしての任務を果たすまでは眠れない。何としてでも真琴を先に眠らせて、その枕元にプレゼントを置かなければならない。

 しかしその任務は前途多難のようだ。


 寝室に戻った俺を、彼女は全く眠気を感じさせない笑顔で迎えてくれた。

「おかえり」

「あ、ただいま」

 言いながら、俺は彼女の隣に敷いてあった自分用の布団に入る。冬場だけあって敷布団はおろか、毛布さえも少しひんやりしていた。つい背を丸めたくなる。

 真琴は身体ごとこっちを向く。暗闇にまだ視覚が慣れていなくても、彼女の目がじっと俺を見ているのはわかった。

「お布団、冷たくない?」

 そう聞かれて、寒さに震えつつ俺は答える。

「さすがに、入ったばかりだからな」

 すると彼女は、自分が被っていた布団を少しだけ、まるで招き入れようとするみたいに持ち上げた。

 少しだけためらいがちに尋ねてくる。

「……こっち来る?」

「え」

 気の抜けた声が出た。

 真琴も俺の反応を頼りなく思ったんだろう。すぐに付け加えた。

「こっち、温かいよ」

 温かいのはわかってる。こういう冬場の寒い日は布団を別々にしないで一緒に寝てしまう方が快適だってことも知っている。


 いつもなら全く遠慮もしないけど、今日ばかりは困った。

 真琴の布団に入れてもらったらそりゃ温かいだろう。でも快適すぎてそのまま俺が寝てしまうんじゃないかという不安がある。

 冷蔵庫のプリンを思えば、俺が先に寝てしまうわけにはいかない。


「いいよ、俺も結構手足冷えてるし。黙ってれば直に温かくなるよ」

 嘘ではなかった。

 でも彼女の好意を拒んだようで、もやもやと罪悪感がくすぶる。いっそサンタ業務なんてさっさと終わらせて、その後は迷わず彼女の隣で寝よう。そう心に決める。

 上げていた布団を元に戻し、真琴は小声で話しかけてくる。

「外、雪降ってた?」

「降ってた。ちょっとは積もるかもな」

「……それなら」

 そう言うなり彼女は、今度は布団から手を伸ばしてきた。俺の布団を捲り上げたかと思いきや、スムーズに、だけどやたら勢いよく滑り込んでくる。

 一瞬冷たい風が吹き込み、すぐに温かくて柔らかい身体がどん、とぶつかってきた。


 いや、飛びついてきた、の方が正しい。

 言葉も出ない俺にしっかり抱きついている。

 絡めてくる細い脚の温かさに、思わず息を呑んだ。


 もっとも、真琴も違う意味ではっとしたようだ。布団の中からくぐもった声が上がる。

「播上、足冷たっ」

「だから言っただろ、冷えてるって」

 手足だけじゃなく、布団もまだ室温とそう変わりないくらいだ。

 わざわざ寒い思いしに来なくても、と苦笑していれば、真琴は顔を上げて言った。

「う、うん、そう思って……ほら、温めに来たんだよ」

 大胆な行動の割に、言葉はちょっと、恥ずかしそうだった。

 冷たさに抱き締め返すのを迷う俺の手を抱きかかえるようにして、彼女は続けた。

「播上の手が凍えちゃったら、大変だもん」


 その言葉を口にしてから数分もしないうち、真琴はうとうとし始めた。

 黙って見守っていたらすぐに寝息が聞こえてきた。無理して起きていてくれたのかもしれない。

 それ以前に間違いなく、俺は彼女を心配させていたようだ。帰りを待っててくれて、こうして温めにも来てくれて、真琴は俺にはもったいないくらいの、いい女だ。


 寝入ってからも彼女は俺の片手を握ったままだった。

 だから空いた方の手で彼女の肩を抱き締めておく。サンタクロースの任務のことはまだ脳裏にあったけど、今はそれよりも果たさなくてはならない役目がある。このまま一緒に眠ってしまおう。

 大体、柄にもないことなんてするもんじゃない。俺にはきっと、やましくない秘密や些細な嘘さえ似合わなくて、そういうものがなくても手に入る幸せこそがふさわしいってことなんだろう。

 真琴を心配させないクリスマスの方が、格好よくはないかもしれないけど、ずっといい。


 それから俺たちは少し遅めの時間に、ほぼ同時に目覚めた。

 俺は冷蔵庫の陶器入りプリンを寝ぼけ眼の真琴に手渡した。直に贈るのは気恥ずかしかったけど、眠気も吹っ飛ぶ勢いで喜ぶ彼女を見ていたら、これでよかったんだと思えた。

「私は、サプライズはいいよ。今度は本当に泣いちゃうかもだし」

 真琴が照れ半分、拗ねてるの半分でそう言うから、俺のサンタ業務は別の機会までお預けだ。

 それがいつになるかはわからないけど、その時は全世界のサンタクロースと同じように、あるいはうちの父さんみたいに、無難にこなせたらいいと思う。

 とりあえず彼女に対しては、俺はサンタにはならない。

「美味しーい!」

 朝食代わりにプリンを食べ始めた真琴は、とびきり幸せそうな顔をしている。

 これは特別格好いいことをしなくても手に入る、俺だけの幸せだ。

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