初心者サンタクロース(1)

 結婚生活における困り事の一つは、秘密が持ちにくいということだ。

 別に真琴に対してやましいところがあるわけじゃないし、隠しておきたい秘密を作る予定もない。それに彼女に言わせれば、俺が悩んでたり迷っているような時は態度に出るからすぐにわかってしまうらしい。そんな相手に隠し事をしたままで日々を送れるとも思えなかった。

 ただ、秘密と一言で語るにしても、問題のない悪くない秘密だってある。

 例えば夫婦関係を円満に導けるような秘密――彼女にこっそりプレゼントを準備するとか、内緒でお祝いの用意をするなどといった行動は、隠していても倫理上はまずいことなんてない。


 折りしも季節は雪のちらつく十二月、クリスマス直前だった。

 あちらこちらにイルミネーションが点り、ベイエリアに大きなツリーが立ち、街全体も雪化粧を終えていた。

 うちの店にも母さんと真琴がはしゃぎながら飾ったクリスマスツリーが置かれている。

「やっぱり季節感は大切よね、真琴ちゃん」

「ですよね! ツリーを飾らないと十二月って気がしません」

 純和風の小料理屋にツリーなんてそぐわないんじゃないかと俺は思ったけど、二人とも楽しそうにしていたから口を挟むに挟めなかった。彼女が喜んでるならいいか、って気もした。


 それで、浮かれる街並みや店先に置かれたツリー、あるいは真琴の笑顔に釣られたというわけではないけど、せっかくだから俺もクリスマスらしいことをしようと考えた。

 彼女にプレゼントを用意して、イブの夜、枕元に置いてみようと――つまり、何と言うか、柄でもないのを承知で言えば『俺がサンタクロース』的なことをしようかなと。

 うん、我ながら柄じゃなさすぎる。

 渋澤ならためらいもなく言いそうな台詞だ。真琴は最近、俺があいつに似てきたみたいなことをたまに口走るけど、それは似てきたんじゃなくて男ってそんなものなのかもしれない、と俺は思う。男なら誰でも自分の奥さんには格好いいことをしてみたくなるものだ。

 そういった行動が似合うかどうかは、また別の話だろうけど。


 つまり何が言いたいかと言うと、俺が柄でもなくサンタの真似事をするに当たっての障害は、彼女に秘密を作りにくいという事柄に尽きる。

 プレゼントをいつ買いに出かけ、買った後はどこへしまっておくか。

 家の中に隠しておくのは危険だ。何せ一緒に暮らしてる相手だ、押入れ、クローゼットあたりじゃまず見つかる。

 かと言って面倒くさい場所に隠すと、いざって時に取り出すのに手間取るかもしれない。サンタクロースの任務は深夜に行われる。どたばたと音を立てるのも、時間をかけすぎるのもよくない。

 他の候補としては車の中、もしくは実家という選択肢もあった。でもうちの車は元々真琴のもので、当然乗る機会も彼女の方が多いから駄目だ。

 そして実家には年甲斐もなくイベント大好きな母さんがいる。秘密を守れない人間だとまで思ってるわけじゃないけど、当日までずっと訳知り顔でにやにやされるのはどうにも落ち着かない。できれば隠しておきたい。


 悩んだ末、プレゼントを何にするかという問題も含めて導き出した結論は――。


 クリスマスイブの夜が過ぎ、日付も変わった二十五日。

「今日は先に上がっていいよ」

 看板後の店の中、のれんを外して戻ってきた真琴に、俺はすかさず声をかけた。

 店じまいは俺たちの仕事で、父さんたちは一足先に上がってしまう。そうして閉店作業を二人で済ませてから、借りてるアパートまで一緒に帰る。

 いつもはそんな調子で仕事を終えていたけど、今夜はそうもいかない。

「え? 何で?」

 案の定、真琴は不思議そうな顔をした。

 遅い時間まで働き通しだというのに疲れたそぶりも見せない彼女は、後片付けだって張り切ってやってくれる。冬でも割烹着の袖をまくっているのが何となく、彼女らしくていい。

「父さんに明日の分の仕込を頼まれててさ。済ませてから帰るから」

 用意しておいた嘘を答えると、彼女は目を瞬かせる。

「そっか。でも、ちょっとなら私、待ってるよ」

「いいよ、一時間以上かかりそうだし。先帰って寝てて」

 こっちは嘘ではなく、実際にその程度はかかりそうだった。

 だから真琴には、是非とも先に寝ていて欲しい。物音じゃ起きないくらいにぐっすりと。

「うん……」

 一瞬、真琴は心配そうに眉を下げた。それからそっと尋ねてくる。

「遅くなる?」

「大丈夫。なるべく早く済ませる」

「あんまり無理しないでね」

 気遣う言葉になぜか罪悪感が湧いた。別に悪い秘密を作ろうとしてるわけでもないのに。


 嘘をついたのが心苦しいというのはあるけど、今日の俺はサンタなんだから仕方ない。

 そもそもサンタクロースは嘘つきでなければ務まらない。それは一人二人の話じゃなく、世界規模でそう決まっている。

 この嘘は言わば前例に、あるいは偉大なる先達に倣った意義のある嘘だ。


「じゃあ、お先に失礼しまーす」

「はい、お疲れ様です」

 ぺこっと頭を下げた彼女に、俺も頭を下げ返す。

 真琴は小さく手を振りながら店の奥へと引っ込んでいき、着替えを済ませた後は勝手口から帰宅の途に着いた。


 そして俺一人になった店内で、ようやくプレゼント作りが始まる。

 プレゼントの隠し場所はもちろんのこと、肝心のプレゼント自体も悩みどころだった。

 もっとも後者の方は、彼女に何か贈るのは今に始まった話でもなく、考えればおのずと答えも出た。柄にもないことばかりすると得てして失敗するものだから、贈り物は俺の得意なものにしよう。そうなれば隠し場所だってすんなり決まる。


 店の冷蔵庫にしまってあった、卵と牛乳、バニラオイルを取り出す。プレゼント用にと買ってきたそれらの材料を、父さんは何も言わずに隠しておいてくれていた。どうやら母さんにも黙っていてくれたらしい。さすがは元サンタクロース、話が通じる。

 作るのは蒸しプリンと決めていた。材料の調達、調理と後片付けの所要時間を踏まえての選択だった。それに可愛い容器に詰めてラッピングして、枕元に置いておくのにもちょうどいいサイズだ。朝起きて、彼女がすぐに食べてくれそうなお菓子でもある。

 幸い店にはいい蒸し器もあったから、作業自体は順調に進んだ。卵液を繰り返し漉して滑らかにしてから、この日の為に買い揃えたクリスマスカラーの陶器に流し入れる。そして、普段はもっぱら茶碗蒸しを作っている蒸し器にかける。見た目は似ているからプリンを並べても全く違和感がない。

 蒸し器から噴き出す湯気はバニラの香りがして、仕事の後の空きっ腹には堪えた。ちょうど夜食が欲しくなる時間帯だ。

 蒸し上がったプリンを氷水を張ったバットで冷やしながら、俺は彼女のことを考える。

 喜んでくれたらいいんだけどな、と少し弱気になったりもする。

 プリンの出来には自信がある。でも彼女が、いかにも不慣れな初心者サンタクロースをどう思うのか、ちゃんと歓迎してくれるのか、そこだけが今から気がかりだ。


 結局、後片付けまで済ませると予定の時刻を超過していた。時刻は午前三時を回ったところで、雪の降りしきる中をとにかく急いで帰る。

 アパートに着くと、居間は照明が落とされていて豆球だけが点っていた。暖房も切られているようで、電気ストーブはいつもの時間にタイマーがかかっていた。

 念の為に寝室を覗いてみる。こちらは明かりが消えていて、薄暗がりの中には敷かれた二組の布団と、その片方に潜り込んでいる彼女らしき姿がうかがえた。彼女は音もなく開いたドアに反応することもなく、戸口に背を向けたまま、静かに掛け布団を上下させていた。

 どうやら寝入っているらしい。

 俺は胸を撫で下ろす。よかった、サンタクロースの初任務は割と楽にコンプリートできそうだ。


 早速、リボンをかけたプレゼントの袋を提げて寝室へと滑り込む。

 フローリングの床が軋まないよう最大限に注意を払いつつ、彼女の布団に忍び寄る。


 枕元に膝をつくと、横向きに眠る真琴の寝顔が見えた。

 内側にくるんと巻いた彼女の髪が頬や口元を隠すようにかかっている。今となっては珍しくもなくなったその寝顔は、それでも不思議と見飽きない。仕事中みたいに気を張っていないからか、優しくもあどけなくも見える。

 せっかくだから、もっとよく見てみたくなった。

 俺は息を詰め、指先で彼女の顔を遮る髪をそっと、慎重にどけてみた。

 さらさらの髪が頬の上を滑り、小さな耳の後ろまで落ちる。


 そこでなぜか、露わになった目と目が合った。

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