第36話 「…………銀籠さん?」

「はぁ、はぁ…………。くそっ、しくじったな」


 森の中には優輝が額から血を流し、重たい体を引きずりながら歩いている姿があった。



 小屋で背後を取られた優輝は、咄嗟に振り向き後ろへ下がった。だが、完全に避けきる事が出来ず額を深く切ってしまう。

 体勢を崩し片膝を突くと、目の前に立つ男性はまたしても左手を上げ切り裂こうと勢いよく振り下ろす。


 すぐさま立ち上がり隣に跳ぶ、避けたのと同時にドアへと向かい走り出した。

 逃がすか。そう言うように男性が近くに転がっている鍋を優輝に向けて思いっきり投げつける。

 反応が遅れ、避けることが出来ずゴンッと顔を庇った腕にモロに当たってしまった。


 痛みで顔を歪めながらも何とか小屋から飛び出し、自身が使役している式神”送り狼”を発動。

 出した瞬間、人が一人なら簡単に乗ることが出来る狼が姿を現す。

 すぐさま背中に乗り、小屋から離れるように指示。男性からひとまず逃げる事が出来ていた。



『クゥウウ…………』

「心配してくれてありがとう、送り狼」


 送り狼は、ふらついている優輝を心配そうに見上げている。

 そんな送り狼の頭を撫でてあげ、優輝は大丈夫だと伝えた。


「…………はぁ、大丈夫だけど、ちょっと、休んでもいいかな」


 視界が歪み、立っているのも辛くなってきた優輝は、近くにある木に寄りかかる。

 荒い息を整えるため深呼吸。

 額からの血は止まらず、鍋を投げられた際にぶつけてしまった右腕は腫れ痛みが増していく。


 動かせない右手の代わりに左手で額の血を止血しようと抑えるが、指の隙間から流れてしまい意味はない。


「はぁ、はぁ……。銀籠さんと銀さんは大丈夫なのかな…」


 このまま森を出る事はおそらく可能。でも、何も対策なしに出てもいいものなのか。

 逃げている時に放った式神は、開成にちゃんと届いているか。


 気配を探りながら、次の行動を考える。

 まともに動けない今、戦闘は不可能。式神使いだと言っても、優輝自身が万全ではないため、式神も全力を出す事が出来ない。


 それを踏まえて考えなければならないため、険しい顔を浮かべてしまう。

 気持ちを落ち着かせるため、雲が立ち込める空を見上げた。


「…………大丈夫、あの二人の事だ。絶対に、大丈夫」


 先程の小屋の中を思い出し、自分に大丈夫だと言い聞かせる。

 それでも、何か"大丈夫"だと思えるような証拠がないか記憶の中を探った。

 だが、優輝自身、実際に会うまで安心は出来ない。


 いくらここで考えても意味はない。

 荒い息は何とか整い始めたため、ふらつく体を再度立ち上がらせようとした。

 だが、その動きは、微かに漂ってきた邪悪な気配によって止まる。


 せっかく整ってきた息が荒くなり、気づかれてはいけないと手で口を塞ぐ。


 何処からこの気配が流れてきているのか、木から顔を覗かせ確認しようと視線をさ迷わせる。


「っ、!」


 気配を消し見回していると、木が立ち並ぶ隙間から、小屋で優輝を襲った男性を見つけることが出来た。


 グルルルッと唸り、口からは涎を垂らし歩いている男性。普通の人ではないことはそれだけでわかる。

 横に垂らしている手も、人間とは思えない程爪が鋭く尖っている。



 まずい、ここで見つかれば終わり。

 気配をできるだけ消し、狗神が去るのを待たなければ。



 顔を至る所に向け何かを探しているような様子を見せているため、見つかっていないとわかる。

 このまま欺くことが出来れば…………そう思ったが、気配を研ぎ澄ましたことにより、優輝は狗神とはまた違う気配を感じ取ってしまい、思わず狼狽えた。


「…………銀籠さん?」


 思わず森の奥を見つめ名前を呼んでしまった。

 その声は狗神にも届き、ニヤァと口角を上げ優輝が隠れている木へと顔をグリンと向ける。


「っ、しまった!」


 すぐに送り狼に跨り逃げようとしたが、狗神は振りかざした手から黒い霧を放つ。

 それは黒い刃となり、二人に襲いかかり送り狼を切り裂いた。


 ちぎられたお札を目にし、優輝は新たな式神を出そうといつものように鞄に手を伸ばそうとした――が……。


「っ、銀籠さんに会う時は必ず荷物は最低限にしていたから、送り狼しか持ってきていないんだった……」


 どうするか悩んでいると、上から影が差す。

 見上げると、舌を出し愉快そうに見下ろしてくる狗神の顔。


 動くことが出来なくなってしまった優輝を嘲笑うかのように、狗神は口角を上げ、カタカタと体を震わせている優輝を見下ろした。


 いつもは多彩な式神を使い、すぐにあやかし達を倒してきていた優輝。だが、今は何も持ってはない。

 鋭く光る手が優輝の視界に映るが何も出来ない、体が動かない。


 ――――――――ここで死ぬのか


 優輝は自身の死を覚悟し、ソッと目を閉じた。



 刹那、耳に女性の声が入り、同時に体が浮遊感に襲われた。

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