第34話 「ごめんなさい」

 ――――カシャン


「っあ」

「夕凪姉さん!? 大丈夫? 怪我、ない?」

「私は大丈夫よ、ごめんなさい」


 陰陽寮に残った神楽と夕凪は、優輝が帰ってきた時用にお昼ご飯の準備をしていた。

 その際、優輝が気に入っているコップを運ぼうとした時、何故か取っ手部分が割れ、床へと落ちてしまった。


 ちょうど夕凪が掴んだ時だったため、彼女の足元に落ちてしまい、神楽が慌てて怪我がないか問いかけると、大丈夫と言われ一安心。


 神楽が片付けようと手を伸ばすが、すぐに夕凪が止めてしまった。


「駄目よ、怪我をしてしまうわ。私が壊してしまったから、私が片づけるわね」


 台所にあるゴム手袋をはめ、新聞紙とビニール袋を準備。

 手際よく後片付けをする夕凪の手を、神楽は「手際いい」とぼやきながら見続けた。


「神楽ちゃん、箒とチリトリを持ってきて貰ってもいいかしら」

「は、はい!!」


 嬉しそうに頬を染め、満面な笑みで頷いた神楽はウキウキと台所を出て行く。

 一人になった夕凪は黙々と大きな破片を拾い、新聞紙の入ったビニール袋に入れ続けた。


 ラストの破片を拾おうと掴んだ時、その手は止まる。


「…………優輝、大丈夫かしら。何か、嫌な予感がするわ」


 自身の頼りない顔が映る破片を見つめ、零す。

 嫌な予感が胸を占め、息苦しい。


 胸を押さえていると、神楽が箒とちりとりを持って戻ってくる。

 胸を押さえ、座り込んでいる夕凪に慌てて駆け寄った。


「夕凪姉さん!? 大丈夫!?」

「あ、だ、大丈夫よ。心配かけてごめんね」


 夕凪が神楽に心配かけないよう笑みを浮かべるが、無理をしているのは丸わかり。


 目を細め無理に笑っている彼女を目にし、神楽の心には微かな怒りが芽生え、自然と相手を責めるような言葉が口から零れ出てしまった。


「夕凪姉さん、今言う事ではないのですが、いいですか?」

「っ、え、神楽ちゃん?」


 神楽が敬語で話すという事は、本気で怒っているという事。

 優輝と神楽は同じ怒り方をする、それは夕凪も知っており顔を青くした。


「えっと…………、なんで怒っているの?」

「怒ってなんていませんよ?」

「いや、確実に怒ってる…………」


 笑みを浮かべてはいるが、黒い。

 何か余計なことを言ってしまえば言葉のナイフを刺される。そう考えてしまい、迂闊に言葉を発することが出来なくなった。


 顔を引き攣らせ、顔を青ざめさせている夕凪に対し、さわやかな笑みを浮かべながら神楽は口を開いた。


「夕凪姉さん、何故我慢をするのですか?」

「…………え、我慢?」

「そうです。なぜ、優輝への気持ちを我慢しているのですか? まだ、好きですよね? 五年以上、ずっと」


 神楽の言葉に微かに目を開くと、悲し気に顔を俯かせた。


 何か言わないととは思っているが、口が思ったように動いてくれず言葉を発することが出来ない。

 そんな彼女に、神楽は畳み掛けるように言葉を繋げた。


「…………今、優輝は半妖の事を好いています。おそらく、あの気持ちはそう簡単には消えません」


 それは夕凪もわかっているし、理解している。

 わざわざ言われなくても、目の前で見て、聞いている。


 夕凪は、なにかに耐えるように下唇を噛んだ。


「それでも、好きなんですよね。優輝の事、忘れられないんですよね?」

「…………」


 嘘は、吐きたくない。

 夕凪は顔を上げず、小さく頷いた。


「なら、一度は気持ちを伝えてもいいと思います。伝えて、断られて。それで、次の恋に進むのがいいと思います」

「っ、そんなこと、出来たら苦労はしないわ。それに、言葉で聞きたくないの、断られたくないの。まだ、現実を聞きたくないの」


 耳を塞ぎ、全てを拒否。

 これ以上は何も聞きたくない、考えたくない。

 現実を見せないで、聞かせないで。


 夕凪の瞳には涙が浮かび、零れ落ちそうになる。


 そんな彼女の姿を見ている神楽は、拳を握り言葉を止めず続けた。


「怖いですよ、現実を突きつけられるのは。怖いですよ、現実を知るのは。でも、逃げ続けていても、悲しいだけではないでしょうか。苦しいだけでは、ないでしょうか。好きな人を見ているだけで、考えるだけで胸が苦しく、辛い思いをする。それが永遠と続くのなら、いっそ、一度どん底に落ちて、そこから這いあがった方が、いいのではないでしょうか」

「私の気持ちを知らないで、そんなこと言わないでほしいわね……。それは、他人だから言えるのであって、いざ私と同じ気持ちを味わったら、そんな言葉なんて言えなっ――――」


 怒りのままに顔を上げ、声を張り上げ怒りの感情をぶつけようとした。だが、その言葉は途中で止まる。

 理由は神楽の、今にも泣き出しそうな顔を見てしまったから。


「…………確かに、私は夕凪姉さんの気持ちを全て理解など出来ていません。勝手なことを言わないでと、私が夕凪姉さんの立場でしたら思います。でも、わかるところもあるんです、同じところがあるんです。それは、叶わぬ恋をしているところ」


 胸元をぎゅっと掴み、顔を俯かせる。

 涙は流していないが、泣いているような表情を浮かべる神楽に、夕凪は驚き何も言えない。


 神楽は、今まで胸に閉まっていた様々な感情が、勝手に口を動かし言葉を続けてしまう。


「叶わないとわかっていても諦められない、私が入る隙は無いと言い聞かせても、心で理解はしてくれない。わかるの、わかってしまうの。だって、私の好きな人も、叶わぬ恋をして苦しんでいるから。私と同じ思いを、好きな人がしているから。だから、我慢できなくて、早く前を向いてほしくて……。いいえ、違う。早く新しい恋に走って、私を見てほしいって、そう、思ってしまったの」


 一度、俯かせた顔を上げると、悲痛の表情を浮かべていた。


 泣きたくても泣けない、全てを吐き出すことが出来ない。

 神楽は、これ以上何も言えなくなり口を閉ざす。


 彼女の苦し気に歪められた表情を見て、夕凪の方が透明な涙を流してしまった。


「…………夕凪姉さん、ごめんなさい。今、こんなことを言うべきではないと思ってはいるんだけど、でも、言わせてほしい。知ってほしい。私が、昔から夕凪姉さんの事を愛していたことを。夕凪姉さんを、一番見ていた事」


 涙を流す夕凪の頬に手を添え、もう片方の人差し指で涙を拭く。

 何とか口の端を上げ笑って見せた神楽は、そのまま立ち上がった。


「夕凪姉さん、私はいつでも夕凪姉さんの事を愛し続けます。何を言われても、たとえ気持ち悪いと言われても。私は、ずっと愛し続けますからね!」


 箒とチリトリを持ち、神楽はそんなことを言った。

 夕凪はその言葉になにも返す事が出来ず、静かに泣き続ける。


 好きな人を泣かせてしまったという罪悪感が胸に残る中、神楽は台所から姿を消す。

 最後に「ごめんなさい」と、誰にも聞こえない謝罪を口にして。

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