第5話 かなりゴタゴタ。カデシュの戦いから和平条約締結まで

さて今回は、ご存知の方も多い『カデシュの戦い』と世界最古の『和平条約』がテーマです。

この二つに関してはネット検索すると、すぐに目にして頂けるかと思います。


ここでは、カデシュの戦いつまりシリア遠征の始まりから、和平条約締結までの流れについてまとめさせていただきました。



【項目】

今回の項目は、以下です。


●『カデシュの戦い』は度重なる遠征のごく一部だった。

●第一次シリア遠征

●第二次シリア遠征(カデシュの戦い)

●第三次シリア遠征

●ヒッタイトのお家騒動に巻き込まれる

●和平条約締結

●一旦まとめ

●参考文献



【カデシュの戦いは度重なる遠征のごく一部だった】

『カデシュの戦い』というヒッタイト(現在のトルコ)との大きな戦争が一つドドンと発生して、その後すぐにトントン拍子で和平条約が締結した。めでたしめでたし。

そういう印象をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

私は最初、そう思っていました。


実際は、カデシュの戦いとは『第二次シリア遠征』の事をいいます。


第二次です。


つまり、第一次が存在します。

そして第三次もあれば、三次が終わった後もシリアへの遠征を繰り返していました。

トントン拍子どころか、こじれまくっていたわけです。


ちなみに、第三次以降のシリア戦争の中には、私の作品の一つである『砂漠の賢者カエムワセト 第二幕~オリエントの覇権闘争』のテーマとなっているダプールの戦いがあります。キャラクターも戦法も、私なりにこねくり回しておりますが。

https://kakuyomu.jp/works/16817330652875104897


では、第一次シリア遠征とはどんなものだったのか。

ご説明しましょう(ちょっと偉そう)。


【第一次シリア遠征】

アムルやウピ、フェニキアなどの地中海沿岸部の諸都市は、アマルナ時代にエジプトが一度国力を低下させたために、ヒッタイトとエジプトの緩衝地帯となっておりました。

緩衝地帯と言えば聞こえはいいですが、ヒッタイトとエジプトという、二つのお代官様の間を、その時々の情勢に応じて小国達が行ったり来たりしていたわけです。


エジプト「俺の方が強いよな!?」

小国達「エジプトはん。そらもう、あんたが一番ですがな!」

ヒッタイト「ワシを裏切ったら承知せんぞ!」

小国達「ヒッタイトはん、あんたが大将!」


仕方ありません。大国二つに挟まれた小国は、生き残るのに必死です。


そしてアマルナ時代が終わり、時代は第19王朝へ。第19王朝2代目のファラオであるセティ一世は、このお調子者の緩衝地帯を一回キュッと締めにかかり、ヒッタイトとアムルに勝利しました。


しかし、ラムセス二世治世4年目。カデシュの戦いが起こる1年前です。

ラムセス二世は、どうにもシリアの情勢が危ういと感じました。そして、アジア(シリア)方面へ向けての遠征を開始したのです。


ラムセス二世は、手始めにティルスやビブロス(すみません、ここに画像は表示できないので地図はネットで確認して下さい)に進軍し、カナン一帯をギャフンと言わせました。

この時、ヒッタイトの属国だったアムル国の王様ベンティシナが、エジプトにころりと寝返ります。

「これくらいにしといてやるか」(←こんな事、言ったかどうかは分りませんが)とラムセス二世は帰国しました。


しかし、アムル国に裏切られたヒッタイトが黙っていかというと、そんなわけはありません。


「エージプートぉぉぉぉーっ! おのれええええ! イシュタルに代わってお仕置きY(おっとこれ以上はアウト)」


こうなるのは当たり前です。

ヒッタイトは大勢の舎弟属国を従えて、打倒エジプトの旗の元、南下を始めたのでした。


ちなみに、その時のヒッタイトが連れて行った属国というのが以下です。

●ピタッサ(アナトリア西部の辺境都市)

●セハ(西アナトリアの王国。アルザワの一部)

●ウィルシア(トロイのあたり)

●カルケミシュ(シリア北部の首都。トルコとシリアの国境にある)

●ミタンニ(シリアのハブール川上流にあった国)

●ウガリット(現在のラタキアあたり)

●アレッポ(レバント地域最大の都市)

●カデシュ(オロンテス川周辺の都市)


凄い数ですね。

エジプト考古学者の先生のyoutobeによると、ヒッタイトは18000の軍隊に加えて別に19000の別動隊、2500両の戦車隊を率いていたといいます。

「絶対ブッ潰したるぞ」という気迫が伺えますね。こわいこわい。


そしてついに、第二次シリア遠征。俗に言う、『カデシュの戦い』が勃発するのです。



【第二次シリア遠征(カデシュの戦い)】

カデシュの戦いの詳細については、長くなるので、次回でまとめさせて頂きます。


結果だけ言いますと、ドローもしくはヒッタイトの勝利でした。

アムルはヒッタイトの属国に戻り、エジプトはヒッタイトに、ウピ州(ダマスカス周辺)あたりまでの進軍を許してしまったそうです。

シリアはヒッタイトの手に落ち、エジプトの勢力範囲はカナン(パレスチナ地方)に限局されてしまいました。


――そうそう。エジプトに寝返ったアムルのベンテシナ王。彼は、解雇されたそうです。身体的に、首は繋がっていたのかな? 繋がっていた事を祈ります。


次に、第三次シリア遠征。



【第三次シリア遠征】

カデシュの戦いから、何とかかんとかカナンまでの勢力をキープできたエジプトですが、それでも支配力は低下したようです。ここで、ヒッタイトがカナンの王子たちをそそのかし、エジプトに反乱を起こさせました。


ヒッタイトは鉄で支配権を広げたと思われがちですが、実は鉄製武器は殆ど出土していない――つまり、あまり作られていなかった――そうです。

なら、何を武器に勢力を広げていたかというと、戦車。それから、組織作りとか外交術でした。だから、こういった小賢いこずるいやり方――スミマセン。は、エジプトより優れていたんでしょうね。


というわけで、治世7年。ラムセス二世は再び、シリアへの出兵を余儀なくされたのです。

今度は、二師団編成で挑んだエジプト。将は、長男のアメンヘルケプシェフとラムセス二世。

二手に分かれての進軍となりました。

結果は、エジプトの勝利。

エジプトはウピ州を奪回。かつての勢力圏を再確立しました。


そして勢いに乗ったラムセス二世は、治世8年と9年の2年かけて、ダプール(今のダボル山のあたりか、カデシュの少し北あたりの2説がある)まで進撃。現在ではイスラエルにあたるベイトシーンに石碑を残したそうです。


これで終わりではありません。

やはりヒッタイトも動きます。動かないわけがない。

治世10年目。前回の遠征で「ダプールとったどー」と喜んでいたエジプトなのですが、これが再びヒッタイトに奪い返されました。


もう、こんなんばっかりですね。


ラムセス二世は、6人の息子を連れて出陣。

では、選ばれた6人の息子メンバーを紹介します

●カエムワセト(4男)

●モントゥヘルケプシェフ(5男)

●メリアメン(7男)

●アミュネムウィア(8男)

●セティ(9男)

●セテペンレ(10男)


34か35歳で息子が10人以上いるってビックリですが。そこはもう、キリが無いので突っ込まない事にします。


ちなみに私の計算では、この時カエムワセトは16歳くらい。ほんなら下の弟は何歳やねん!? と、ここでも新たに突っ込みたくなりますが、4歳の息子(カエムワセト)を戦車に乗せて突撃させた前科者のラムセス二世です。やはり、突っ込むだけ無駄な気がしました。

まあ多分、10男のセテペンレ君、ざっと引き算した限りでは10歳くらいじゃないでしょうか。

――うん、4歳よりはマシですね。


それで、このダプール戦がどうなったかというと、すんなりエジプト側の勝利で終わりました。

しかもこの頃、ヒッタイトはハットゥシリ3世と甥のムルシリ3世(ウルヒ・テシュプ)が王座を巡って争っており、国力は衰退していました。その上、アッシリアの脅威も迫っておりました。

対するエジプト側も、リビア遊牧民とのドンパチがありまして、そっちとも戦わなければならなかったため、両国ともさーっと解散したようです。


――さて。もうそろそろ和平条約、してもいいんじゃない? と思いません?


でもまだ先なんです!


それから8年後。事件は起こります。



【ヒッタイトのお家騒動に巻き込まれる】

時はラムセス二世治世18年。

この時に、ヒッタイトでムルシリ3世ことウルヒ・テシュプが権力争いに敗れ、なんとエジプトへ亡命します。

ハットゥシリ3世は、エジプトにウルヒ・テシュプの引き渡しを要求しますが、エジプトはこれを拒否。

再びエジプトとヒッタイトの間で緊張が高まりました。


またしても戦争か!?


【和平条約締結】

エジプトは実際、戦争の準備をしていたそうです。しかし、ヒッタイトはアッシリアの方もかなり気がかりでした。戦争なんかしてる場合ではないと考えたようです。

なので、ここでエジプトに和平を申し込んだのです。

エジプトはこれを受け入れ、ラムセス二世治世21年。やっとこさ、世界で初の和平条約が結ばれたというわけです。

その条約文のエジプト側のコピーは、カルナクアモン大神殿の壁に残されています。

オリジナルは、銀のタブレットに書かれてあったそうです。

その銀のタブレットは、未発見です。いつか見つかったらいいですね!


ちなみに、エジプトは和平条約が締結する前年の治世20年に、ヌビア(エジプトの南)とも戦争をしています。

忙しいったらありゃしませんね。


――あ、そうだ。ウルヒ・テシュプがどうなったか気になりませんか?

彼は、エジプトの宮廷にとどまったそうです。王座争いで負けた身だけに、ヒッタイトに帰ってもいい事ありませんもんね。私の想像でしかありませんが、「エジプトにいさせてお願いだよ!」と、かなり粘ったんじゃないでしょうか。



【一旦まとめ】

第1回シリア遠征から和平条約締結までを、ざーっと書かせて頂きました。

次回は、カデシュの戦いの詳細や、和平条約の小話なんかをまとめたいと思います。もしくは箸休めとして、もうちょっと気軽な別のテーマでもいいかな? と考えています。


【参考文献】

1) 神になった太陽王の物語 ラメセス2世

  ベルナデット・ムニュー:著

  吉村作治:監修


2) ネットから拾った学術論文

  科学ニュース 研究レビュー


3) youtube


4) Wikipedia日本語版および英語版


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