第4話 ラムセス二世~パパとじぃじのスパルタぶり。および、ラムセス少年の結婚とチョメチョメについて~
さて今回からは、前回でご紹介したラムセス二世の年表を元に、ラムセス二世という人物や、出来事、そして彼を取り巻く人々の考察をしていこうと思います。
※≪15歳で二人の嫁さんゲット≫以降では、子作りネタが含まれますので、苦手な方はご注意ください。
【ラムセス二世が生まれた時】
太陽王だの大王だのと、後の世で大層な二つ名を頂戴する事になるラムセス二世陛下。
さぞかし代々長く続くファラオの家系なんだろうと思いきや、スタートはおじいちゃんであるパラメセスさんから、という案外浅い王族歴史でありました。
パラメセスさんの前のファラオは、ホルエムヘブという軍人のおっちゃんです(アタシこの人も好きなんです)。
その前が、アイという神官上がりのご老人でした。
で、その前が、かの有名なツタンカーメン、となります。
急ハンドルを切ったような宗教改革&遷都により、国中が右往左往でごったごたしていた時代があります(アマルナ時代)。それをホルエムヘブが力技でまとめて体制を立て直し、パラメセスおじいちゃんが引き継ぎ、セティ一世父ちゃんが大きく成長させ。そして、ラメセス二世の手に委ねられたというわけです。
物凄く余談ですが、ラムセス二世のおじいちゃんであるパラメセスさんは、金髪オッドアイのイケイケどんどんなイケメンとして、ヒッタイトを舞台にした某少女マンガに出てきておりますね。
多分、この漫画にハマった乙女たちは、「あたしカ○ル派~」とか「わたしラメ○ス派~」とか、友達同士で熱弁を交わしたかもしれません。
ちなみに私はルサ○ァ派でした。彼の忠義心と、活躍ぶりがたまりません。しかもなんか後半、絵柄が男前になってるし。
そうです。オバタリアンみかみも、昔は可憐な乙女だったのです。
さて、語り出したら止まらなくなるマンガ談議はこれくらいにしておきます。
とにかく、ラムセス二世は元エジプト軍最高司令官ホルエムヘブの右腕だったと言われているパラメセスじいちゃんの頑張りのお陰で、王命表に名を連ねる事ができたのです。
ラムセス二世が生まれた時は、ホルエムヘブがファラオでした。つまりラムセス二世は出生当時、王族ではなく最高司令官(もしかしたらこの頃は宰相になっていたかも)の孫という立場。
ラムセス二世は、軍人の家系だったんですね。
【10歳で一軍隊を率いる】
軍人の家系だからかどうかは分りませんが、ラムセス二世は10歳で軍司令官に就任しました。
信じられますか。
10歳ですよ。
文献1)によると、古代エジプトの子供の遊びは、5歳くらいから大人の仕事をするための準備になるようなものであったと言われています。
長男に職業選択の自由はあまりなく、基本的に世襲制でした2)。
だから子供達は幼い頃から、親の仕事の手伝いをして習い、農民なら農民の、漁師なら漁師の技術や知識を身につけていったそうです。それは、軍人や王族も例外ではありませんでした。
男の子の割礼(包茎を切る手術)は、10歳から14歳ぐらいまでに済みます。そして、成熟しているとみなされるのは男の子で14歳。女の子では12か13歳だったそうです1)。ゆえに、ラムセス二世が10歳で軍司令官になったのは、まあ当時では普通――ってそんなわけはないですね。
すんごいスパルタ教育ぶりじゃありませんか、じーちゃん(ラメセス一世)とお父ちゃん(セティ一世)。
軍司令官といえば、トップである最高司令官(将軍)のすぐ下。つまり、一師団をまとめる立場だと考えられます(何故なら師団の下は大・中・小の隊に分けられ、それらをまとめる人は『隊長』と呼ばれる)。
10歳の子供が数千人の兵士をまとめるんですよ。部下になった兵士からしてみたら、とんだ貧乏クジじゃありませんか。
「みんな、僕についてこーい!」
なんて10歳のラムセスが先陣をきろうもんなら
「王子に続けー!」
どころか
「王子を守れー!!(心の声→王子に戦死されようもんなら俺らが殺される!)」
という風に、部下達は別の意味で必死だったんじゃないでしょうか。
いや、私の勝手な想像でしかないんですが。
【ラムセス二世は、輪を掛けてスパルタだった】
更に驚くべき事に。
ラムセス二世は、当時4歳だったと推定されているカエムワセトと、6歳くらいだと推定される第一王子アメンヘルケプシェフを、ヌビアの遠征で
二人を現代にあてはめると、幼稚園または保育園の年中さんと、小学校一年生。
ラムセス二世の息子に対する
スパルタぶりでいうと、じーちゃんと父ちゃんの上をいっています。
史実と言ってもレリーフなので、大なり小なりの誇張はあったかもしれません。しかし、戦場に幼稚園児と小学校低学年を連れて行った事は間違いないでしょう。
私の推しメンであるカエムワセト。そして、ヒッタイトとの和平条約締結後は外交官として腕をふるったという優秀な兄貴、アメンヘルケプシェフ。
二人とも、よく無事に帰ってきたなと思います。生きててくれてありがとう。
【15歳で二人の嫁さんゲット】
現代でも、美人で有名なネフェルタリ。そして、次期ファラオとなる第13王子メルエンプタハを産んだイシスネフェルト。
ラムセス少年、15歳にして両手に花。
文献1) によると、若いうちに妻をめとる事。一人前になっているのなら、家庭をもうける事。これを第5王朝時代のプタハホテプという偉~い宰相は推奨しており、そこからざっと2,000年後のプトレマイオス朝でも花婿の最低年齢は15歳となっていました。
ミイラの平均年齢が末期王朝時代で男女とも30代だった古代エジプト1)。
そう考えると、ラムセス少年の結婚時期は妥当と言えるでしょう。
この歳で奥さんが二人いるというのは、流石は王族でございますなぁ、と思いますが。
ネフェルタリとイシスネフェルト、全くの同時婚だったかどうかは分りません。しかし、息子達の年齢を考えたら、同時婚と言っていいくらいなのです。
以下に詳しく説明させて頂きます。
まず、第一王子アメンヘルケプシェフを産んだのが、ネフェルタリです。彼女はこれで、『最初の王妃』となりました5)。
そして、次男がラメセス(まぎらわしいので、ここではムとメで変化をつけます)。彼は、イシスネフェルトの長男。これでイシスネフェルトも王妃となりました。
その次が、第三王子プレヒルウォンメフ。母親はネフェルタリです。
そしてようやく、カエムワセトが第四王子として続きます。カエムワセトの母親は、イシスネフェルトです。
文献によると、ヌビア遠征がカエムワセト4歳の時。この時、ラムセス二世は21歳もしくは22歳でした。
――お分りいただけたでしょうか?
カエムワセトの年齢とヌビア遠征の時期を考えると、どう頑張ってもラムセス二世が17歳か遅くても18歳すぐの時には、カエムワセトが生まれている必要があるんです。
と、なると――
幾つか考えられる出生パターンを上げてみます
●全員、ほぼ10か月お腹の中に居たとして、長男と次男の出生が数日の差。且つ全員が年子だった場合。
これは恐らく、最短で王子たちが生まれたパターン。
長男アメンヘルケプシェフと次男ラメセスの出生日が数日の差であれば、ラムセス二世18歳までに一年の余裕が出て来ます。だから、イシスネフェルトがネフェルタリより少し遅れてラムセス二世の嫁になった可能性はなきにしもあらず。
●全員、ほぼ10か月お腹の中に居たとして、アメンヘルケプシェフと次男ラメセスの間が数カ月空く場合。
次男ラメセスの出生が遅くなった分、イシスネフェルトとの結婚時期も遅くできますが、こうなると、年子にしておかないと結構ギリギリです。
●間に女児が生まれていたり、流産・死産があった場合。
ラムセス二世には当然娘もいて、長女であるビントアナトはイシスネフェルトが産んでいます。残念ながら、男児女児合わせた場合の生まれ順までは分りません。
しかも流産だったり、生まれてすぐに赤ちゃんが亡くなってしまった場合は、記録には残りません。悲しい事ですが、無かったとは言えません。
というわけで、もしビントアナトがカエムワセトよりも先に生まれていると仮定したり、記録に残らない子がいた場合。不可能ではありませんが、スケジュールは、相当ぱんぱんになります。
この状態でイシスネフェルトとの婚期を遅らすのなら、ラムセス少年は結婚前にフライングで
間違いなく女の子が大・大・大好きだったラムセス二世陛下。可能性はゼロではない。
ちなみに、私の作中ではカエムワセトの姉として濃ゆ~いキャラを発揮しているビントアナト。実は、カエムワセトの妹だと主張している文献もあります5)。
『ラムセス二世はネフェルタリとイシスネフェルトとの同時婚。ついでに言うと、ビントアナトはカエムワセトの妹である』
そう考える方が、お嫁さん二人の体の負担も軽く済みますね。
ちなみに、ラムセス二世は最終的に8人の正妃をめとり、側室にいたっては多過ぎてカウント不可能。子供は全員で100人~200人と、文献によってとてつもない開きがあります(半分くらいは養子だという説もありますが)。
数多くの建築物を残した業績を称えられ、『建築王』の名を欲しいままにしたラムセス二世陛下。しかし、彼が世に生み出した子供の多さに比べたら、建築物の総数なんて、たかが知れているでしょう。
だから私は彼に、『ちょめちょめ王』の名を与えたい。
【ラムセス二世には兄妹がいた】
実は、ラムセス二世は長男ではありませんでした。次男です。ネブエンカセトネベトというお兄さんがいたという事が分っています。
しかし、イウヌ(ヘリオポリス)へ学びに行き、そこで死亡。ゆえに、ラムセス二世が皇太子となったそうです。4)
ラムセス二世には妹もいます。
私の知る限りではヘヌトミラーと、ティアの二名。ヘヌトミラーは、ラムセス二世の正妃になりました。
そうなんです。古代エジプトの王家では珍しくはありませんでしたが、ラムセス二世は実の妹とも、ちょめちょ――スミマセン。もうやめておきます。
【一旦まとめ】
長いので、一旦ここで締めさせて頂きます。
次回の考察は、カデシュの戦いから――になると思います。
【参考文献】
1)図説 古代エジプト生活誌 上
エヴジェン・ストロウハル:著
内田杉彦:訳
原書房
2)古代エジプトトラベルガイド
シャーロット・ブース:著
月森左知:訳
創元社
3) ネットから拾った学術論文
科学ニュース 研究レビュー
4)その他のネット記事
5)Wikipedia 日本語版および英語版
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