第3話 なぜ夢ではないと言えるの? ver.1.1
「雪希〜 数Ⅱのテストダメだったぁ……なんで〜!」
優乃は部室に入るなり、そう言いながら雪希に抱きついた。
「くっつくな! 本が読めないだろ!」
優乃の甘い匂いを感じつつ、押し返す雪希。それでも抱きつく優乃。2人が組んずほぐれつしていると、ゆめが部室に顔を出した。すると今度は「ゆめ〜」と言いながら、優乃はゆめに抱きついた。
「あらあらどうしたんですか〜?」
優乃の少しプリンになりかけた頭を撫でつつ、優しく抱きしめるゆめ。優乃は自分の顔に押しつけられる豊かな2つのものに、嫉妬して離れた。
「ゆめは柔らかくて抱き心地いいけど、個人的には細くて平らな方が好きだなぁ」
優乃はまた雪希に抱きついた。
「この細さがいいんだよ……あと香水で言うところのスモーキーな匂いするし! 安心する〜」
「やめろ〜!!」
雪希は必至に抵抗するが、どうやら優乃の力の方が上のようだ。もしくは、雪希が本気で抵抗していないか。
「さっきから優乃さんばかりずるいですわ! 私もハグしたいです〜」
そう言って雪希を反対から抱きしめるゆめ。当の雪希は気が気ではない。幼少時から一人で過ごす時間が多く、親からもほとんど抱きしめられたことがなかったからだ。
二人ともすごくいい匂いがする。シャンプーの匂いなのか、香水を使っているのか……。優乃は甘い、お菓子のような匂い。ゆめはお花のような匂いがする。
段々、頭がぼーっとしてきた。もう、このままでいいかも、と思い始めた頃に二人は離れた。
「やっと離れたか。気安く触るな!」
つい、そう言ってしまうと、二人はごめんごめんと謝った。
「聞いてよ〜」
優乃が定位置に戻ってから話し始めた。
「昨日の夜、数学の勉強しようと思って始めたんよ。そしたら、いつもに比べてすごくよくわかるの。公式とかも完璧に使いこなせて……だけど、今日のテストは全然ダメだった。夢だったんかな」
「夢だったんだろうな」
すげない雪希。
「だよねぇ……数学とかマジで無理。二人ともなんでできんの?」
「そうですね。数学はただ公式を覚えて、当てはめるだけですからある意味、簡単だと感じますよ」
「それはできるやつの発言だぁ……夢ではできたのに」
くそ〜と言いながら優乃は、鞄からリプトンのミルクティーを取り出して飲み始めた。雪希は読んでいたデカルト『省察』を閉じて、優乃を見ながら言った。
「じつは、今のこの瞬間の方が夢かもしれないぞ? ほんとうの優乃は昨夜、勉強して今日のテストも完璧、この部活なんか存在しないで家に帰って昼寝をしているのかもしれない」
「数学できたならいいけど、この部活がないのは嫌だなぁ……」
優乃が渋い顔をする。
「それはおかしいですわ。わたくしも同じ夢を見ていることになりませんか?」
ゆめが口を挟んだ。
「そうでもないぞ。私にとって、二人の存在は夢のなかの登場人物で、そいつらが夢ではないと主張しているだけかもしれないからな」
「そんなことあるかなぁ……うーん」
優乃は考え込んでしまった。ゆめも首をかしげている。
「いま考えてたんです。この世界はたしかに夢かもしれませんわ。たとえば顔をつねったところで、寝ながらつねっているかもしれませんし。そうなると、夢か現実か区別するための判断材料はありませんわ」
「コマでも回してみるか?」
雪希がにやつきながら言う。
「クリストファー・ノーランですね。でもそれは置いておきましょう。もしここが夢だとしても、さっきの雪希さんの身体の温かさは本物だと思いますわ」
話を戻されて、雪希はドキッとしたが反論する。
「抱き枕でも抱きしめたのかもしれない」
「もちろんその可能性は考えました。でも、たとえそうだとしても、温かいなぁ……可愛いなぁ……というこの思いは夢ではありませんわ」
「あーね。もし夢でもそのときの感情は本物的な?」
「そうそう、そうですわ!」
ふーむ。と考え込む雪希。
「じゃあ、この世界が虚構だったら? そういう映画あったと思うけど……」
「虚構? 物語ってこと?」
優乃はリプトンのミルクティーを美味しそうに飲んでいたのをやめた。
「そう虚構だ。誰かが作った世界だとしたら?」
「それにしてはできすぎていますわ」
「そいつは神みたいな存在で、この世界も私たちも一から作り上げたとしたら、それでもさっきの思いは本物?」
優乃が即答した。
「本物だね。ウチらが感じているこの、なんとも言えない感じ。ドキドキしたり、楽しかったり、寂しかったり、悲しかったり……どれもがウチにとってのリアルだね」
「そうですわ。たとえもし、この世界が作り物でも、雪希さんを思う気持ち、優乃さんを思う気持ちは変わりませんわ」
雪希はうなずく。
「そうかもしれないな。というか、もしこの世界が夢や虚構だとしても、私たちにそれを確かめるすべはないからな……」
雪希は少し悲しげな表情を浮かべてから、つぶやいた。
「もしこの世界に神や作者、読者がいるなら君たちには、あまり悲劇的でなく、かと言ってあまり喜劇的でもなく、こんな日常が続くようにと願いたいもんだな」
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