第4話 可愛いってなに? ver.1.1

 雪希が図書館で本を読んでいる。ジャック・ラカンの『対象関係』だ。彼女は部室にいなければ、図書館にいる。


 リュックを背負うと「てつがく部」のある旧校舎へ向かう。いつの間にか、このなにをするでもない部活へ行くことが日課になっていた。


 部室に入るとすでに優乃がいて、なにやら熱心にハンドミラーを見つめている。ゆめはまだ来ていないようだった。


 おつーと声を掛けると優乃はまるで悪いことでもしていたように慌ててミラーをしまった。雪希はそれに対してとくに何も言わず定位置である窓際の椅子に腰を下ろす。どんよりとした冬空が広がっていた。


 優乃が席を立ち雪希の方へ行くが話しかけはせず、うろうろし始める。その場でくるくる回ってみたり、雪希の顔を覗き込んだりする。最初は無視して本を読もうとした雪希だが集中できない。


「優乃さぁ、なんか用事があるなら言ってくれないとわからないよ?」


「用はないんだけど、なんか気づかない? いつもと違うというか」


 雪希はそう言われて優乃を上から下へマジマジと眺めたがセーラー服に白のカーディガン姿だ。学校は服装自由だが優乃は可愛いという理由で、雪希は服を選ばなくてよいという理由で制服率が高い。


 雪希が黙ってしまった沈黙を破るようにゆめが部室に入ってくる。


「あら優乃さん、今日は白カーディガンなんですね? よくお似合いです」


 優乃は満足げに頷く。


「これだよこれ! ウチが言って欲しかったのは今の一言! なんで雪希はそれに気が付かないわけ?」


「いや、カーディガンが白いのは認識していたぞ」


「ならなぜ言わない!」


「大した問題ではないと思った、から?」

 語尾が少しあがる。


「大した問題だろ? Tiktok見てたら無性に白カーディガン欲しくなって昨日の学校帰りにWEGOまで買いに行ったんだから! 店員さんにもとってもお似合いですよ〜って言われて」


「最近は白カーディガンが流行っていると聞きますね」

 ゆめが助け船を出したにも関わらず、雪希がさもどうでも良さそうに口にする。

「そうだったのか。私は流行やファッションには疎くてな……正直、着れればどうでもいいとさえ思ってるんだ」


「はぁ?! なにそれ?! マジで言ってんの?? 動画見たりしてこれ可愛いなとか思わないわけ?」


「全く興味ないな。正直、時間の無駄だとさえ思う」


 ゆめが困った表情を浮かべ、首を小鳥のようにかしげる。これは彼女が逡巡するときによくやる仕草だ。

「雪希さん、本当にファッションなどに興味ないんですか?」


「そうだが?」


「ではなんでスカートのウエストを折り返してるんですか? スカート丈、標準より少し短いですよね?」


 雪希の顔が比喩表現を通り越して真っ赤になった。頭からプシューと煙でも出そうな勢いである。


「い、いや、これはその……あれだ、少しウエストが合わなくて調節するために……」


「調節ベルトが壊れてしまったんですか?」

 ゆめは追求を止めない。

「それに以前から思っていたのですが、雪希さんがかけてらっしゃる眼鏡ですが、有名ブランドのものですよね。とある邦画で加瀬亮さんがかけましたわ。入手困難な逸品かと」


「ちょっとこれは気になって……」


「わたくし責めているわけではないんですよ。むしろ雪希さんにはお目にかかった時からお洒落な方だなって思ってました。使ってるヘアスプレーもケープみたいな安いものではなく、微かですが天然由来の香がしますわ」


「まぁ、それはその身だしなみで……」


「そのネイルオイルもですか?? 縦筋もケアしてますよね??」


「雪希〜 誰がファッションに興味ないって〜?」

 優乃がチェシャ猫の笑みを浮かべながら肩を抱き寄せる。


「いや、これはその可愛いとかではなく、女性としての最低限の身だしなみだ」


「“人は女に生まれるのではない、女になるのだ”って前に雪希が言ってたやつじゃん? なんかそのときは女性らしさは男性によって作られたから、メディアに踊らされてはいけないみたいな説教くらった気がするけどなぁ? ま、ウチは別にウチが可愛いって思えればそれで満足だけどさ」


「い、いやそれとこれとは話が別で……」


「素直に認めればいいじゃん? 可愛くなりたいって全女子の欲望だよ」


「だって恥ずかしいだろ! なんか自分、可愛いですってアピールしてるみたいで。自撮りしまくるナルシストみたいで嫌なんだよ」


 にやにやしていた優乃が更ににっかりと笑う。


「ぱっと気づかないところでお洒落してる雪希さんって、もしかしてパンツもレースふりふりだったり……」


 優乃はそう言ってスカートに手を伸ばしたが、バチンと盛大な音と共にはたき落とされた。かなり痛がっている優乃をゴミ虫でも見るような表情でにらみつける雪希。どうやら本気で怒っているようだった。

「そんなマジギレするなよぉ〜」と優乃は冗談めかして言ったが、恐怖のためか後ずさっている。


「雪希さんのパンツは黒のレースですが、それは置いておいて」

 ゆめはどうやって知ったのかわからない怪しげな情報を開示してから続ける。


「お二人はスカートの丈を短くしようとウエストを折ったりしてますが、わたくしにはよく分からないんですよね」

 慌てたように両手を身体の前でふりふりする身振りを交える。


「決してお二人を否定しようとかではないんですけど、わたくしたちが着ている制服ってデザイナーさんが丹精込めて作ったわけじゃないですか。もちろん個人差はありますが、それでもベストと思ったデザインかと思うと折れないんです」


 そう言ってカーディガンをたくってウエストを見せるゆめ。


「わたくしiPhoneとかもデザイナーさんやエンジニアさんが0.1mmでも薄くしようと努力されたのかと思うとカバーとか付けられなくて」


 ゆめは裸のiPhoneを見せる。


 優乃はゴテゴテに飾り付けられたiPhoneを眺めてから、自分のスカートの丈をいじる。それまで折っていたウエストを元に戻すと、雪希もスカートの丈を直して3人はお互いの姿を眺め合った。それから優乃がおもむろに口にする。


「このほうが可愛いかも?」


 3人は誰ともなしにうなずき合った。

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