第8話 どこまでがクッキー? ver.1.2
バレンタインデー前夜、一ツ橋家でのこと。
雪希は姉の凜から説教を受けていた。凜は雪希がバレンタインのお菓子を作らないと踏んで、クッキー生地やらチョコなどを買ってきたらしい。友チョコを作れという。
勝手な気を回すなと反論したがダメだった。
雪希も頑ななところがあるが、その姉は輪をかけて頑なだ。こう言い出したらテコでも動かない。ここで言い合っても体力がすり減るだけだ。そうしていつも雪希が折れる。
そこから深夜にかけて、姉からの指導を受けながらなんとかチョコチップクッキーを作った。
雪希は分量をしっかりと量るため、大幅に不味いものはできなかったが、いかんせん不器用過ぎた。型抜きに失敗したり、誤って割ってしまったりして、当初の量の半分くらいがなんとかクッキーと呼べるものになった。
◆
翌日、雪希は憂鬱だった。夜遅くまでクッキーを作っていた疲れもあったが、こんなものを持って行ったらなんて言われるか。常日頃こういうミーハーなものに否定的な態度をとっている雪希としては、恥ずかしくて仕方ない。
登校するとクラスは軽いお祭り騒ぎと化していた。女子たちが友チョコをあげあっている。雪希のところにもチョコが回ってきたがこれは友チョコではない、義理も義理だ。
ようやく全ての授業が終わったが、今日ばかりは部室へ向かう足が重い。いっそ、クッキーを捨てようかとも思ったがそれは流石にもったいないし、こんなことで部室に行かないというのも嫌だった。
そういった葛藤を飲み込んで部室のドアを開ける。
部屋からは甘い匂いがした。
「雪希〜 チョコあるよ!」
優乃は狭い室内にもかかわらず手を振っていて、それを横から微笑んでいるゆめが見えた。
雪希は「うん」と言ってなんでもなさそうな振りをして、席に着く。
優乃が「はい。バレンタインデー」とチョコを持ってきた。
優乃のほうはクッキーのうえにチョコペンでかわいいイラストが描いてあり、ゆめのはシックなチョコケーキだった。
雪希は甘いのも辛いのも好きだ。自分がチョコを持ってきたとは言わずに二人のクッキーとケーキをペロリと食べてしまった。
「美味しかった」
「それだけ? なんかもっと褒めるとかさ! ゆめのケーキは本格的だねとか、ウチのクッキーは可愛いねとか言いながら食べたよ? まぁいいけどさ……
あーあー バレンタインデー終わっちゃったー」
優乃は雪希がチョコを持ってきているとは考えもしないらしい。そういうキャラ作りをしてきからそれがごく自然な反応なのだが、少し寂しい感じがした。だがこのままバレンタインデーが終わったと思われて、話題が変わったら渡すチャンスを失うと判断して意を決した。
「あ、あのさ、私もクッキーある。姉に無理矢理作らされて、形いびつなんだけど」
「え? マジ? めっちゃ嬉しいんだけど! ゆめ〜! 雪希がクッキー焼いてきてくれたって!」
すぐに三人で一つの机を囲んだ。
雪希のクッキーは優乃のクッキーのように可愛いイラストが描いてあるわけでもなく、ゆめのように本格的でもない。
クッキーのなかにチョコチップが入っていて、丸や星などの型抜きがしてあるだけだ。形のいいものを選んだつもりだが、優乃のクッキーに比べればかなりいびつだった。
優乃は包みをさっとほどいて、パクッと食べながら「おいひぃおいひぃ」と喜んでくれた。ゆめは対照的に包みを丁寧にほどいて、いただきますと言ってから口に運ぶ……
雪希は少し緊張しつつ、こう口にした。
「美味しい? あまりうまく焼けなくて……形とか不揃いだし……不味かったら食べなくていいから」
「ふつうにうまいよ! てか、形と味って関係なくない?」
「例えば割れたクッキーの詰め合わせは「訳あり」と言われるが」
「それでもクッキーには変わりないと思いますわ?」
ゆめがフォローしてくれる。
「雪希のクッキーの定義が狭すぎるんだよ。ウチがクッキーだと思って食べたら例えそれがマカロンでもクッキーなんだよ」
「さすがにそれは暴論だろ」
雪希は少しずついつもの調子を取り戻してきた。
「いやいや、前にこの鳥の唐揚げうま! って思ったらあとから蛙って言われたことあるし……言われなかったら鳥だと思えたのに……だからそう呼んでるだけなんだよ」
「そういうふうに考え始めると不思議ですね。一つ一つのクッキーを観察して、クッキーの特徴を持ったものがクッキーだとも思えますし、クッキーという名前でひとまとめにしている感じもしますわ」
「一つ一つのクッキーを見て決めてたら大変じゃん? とりまクッキーって呼んでおけばそれがクッキーなんじゃない? てかその方が幸せじゃん」
「どうでしょう? とりあえずクッキーと呼ぶとしても、結局は目の前のクッキーのようなものを、クッキーと呼ぶかどうかの判断は必要ですわ。目の前のクッキーのようなものと、そうでないものをどう区別するのでしょう?」
「匂いとか見た目だけど……そか、ゆめが言いたいのは一つ一つ観察しなきゃ区別がつかないってそういう意味かぁ……ねぇ〜雪希〜どう判断すればいいの〜?」
「うん。そうだな」
雪希は心ここにあらずといった趣で応えた。
「いや、クローズド・クエスチョンじゃないから! Yes/Noで答えられるものじゃないから!」
「雪希さんはなにかに気を取られていたんじゃないですか? 自分のクッキーがどう思われるかとか……雪希さん、心配しないで大丈夫ですよ。クッキーかそうでないかは問題ではありません。持ってきてくださる気持ちが大切だと思いますわ」
「え〜ゆめ、いい感じにまとめたな! まぁでも、ゆめの言うとおりだと思うよ。持って来なさそうな雪希が持ってきてくれて嬉しいよ」
「ありがとう」
雪希はそう口にし、自分用にと持って来たいびつなクッキーを食べた。まんざらでもない味だった。
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