エピローグ

ほしみこめっと初配信

 その日は十五夜だった。

 昼間は天気も良かったので、空を見上げればきっと綺麗なお月様が拝めただろう。


 そんな夜に、俺は部屋のカーテンを閉め切り、スマホの通知をオフにして、画面を開いたパソコンの前で待機していた。


『みんなの後輩Vtuber【ほしみこめっと】デビューです! #初配信』


 そんなタイトルの上には再生画面があり、そこには星空の下の堤防で魚を釣る一人の少女が映し出されている。空には時より星が流れ、海では3秒に1回くらい魚が飛び跳ねる。

 ちなみに彼女が釣っているのはニシンということになっているらしい。ニシンってこんな浅瀬で釣れるんでしょうかね……。

 そんなシュールな光景が延々と流れる横では、『待機!』というコメントがちらほらと流れている。


 これがいわゆる待機画面というものだ。

 俺もコメントしてみようかと思ったが、ちょっと恥ずかしくて手が出せませんでした。

 だってねえ? そりゃ、自分のコメントなんてすぐ流れていっちゃうならいいけどさ、ただ今同接4人だよ? 4人しか見てないんだよ、これ。一回コメントしたらしばらくコメ欄に浮遊しちゃうよ、これ。

 しかし、4人て……。


 そんなふうに、俺がVtuber業界の世知辛さを実感していると、それまで流れていたふわふわBGMがスッと止まり、画面が暗転した。


『くるぞ……!』

『わくわく』


 少ない住民もひそひそと盛り上がる。


 そして――画面が切り替わり、一人の少女が現れた。

 まず目に入るのは、星のように輝く瞳。そして、ふわりとたなびく水色の髪。その長い髪は、頭の横に白いシュシュでまとめられている。

 服は白を基調としたブレザーで、所々青が差し色のように使われている。胸のリボンの結び方は少し緩く、第一ボタンは外されていた。


 そんな彼女の姿は、どことなく、おたるたるの制服姿を連想させる。

 ただ、おたると違ってこめっとの胸はまな板だった。これは、中の人の容姿を反映しているというわけではなく、後に貧乳いじられキャラになれるようにと考えられた結果だった。


 そんな――いたいけな一人の少女が、青が多めの女の子っぽいお部屋から、その画面の向こう――こっちを見つめている。

 その部屋の窓には、小さな星が映っていた。


 そして、彼女はゆっくり口を開けて――


「――――――!」


 ……?


「――――。――?」


 何も聞こえてこなかった。

 お口は動いているんですけどね。不思議だね。


〇 マインちゃん 『こめっとちゃんミュート! ミュートになってるよ!』


 そのコメントに気づき、こめっとははたと口を止め、視線をちょろちょろ泳がせる。


「あ! ごめんなさいっ! 最初からやってしまいましたっ!」


 それが彼女の第一声だった……。

 だった……のだが……


〇 かぐやしか勝たん 『今度は音でかすぎ! 耳壊れちゃうって!!』


 本当に鼓膜が破れそうなくらいにうるさかった。お隣さんに聞こえちゃったんじゃないかと思った。

 俺は音量を下げようとボタンに手を伸ばすが、


「え!? ごめんなさいっ!!」


 だからそれがうるさいって言ってるでしょうが!!! ちゃんと音下げてから謝りなさいよ! もう……!

 そんな俺の思いが通じたのか、彼女は再び手元に視線を落とし、何かを操作してから話し始める。


「え……と……、音、大丈夫ですか?」


『大丈夫だよ!』


『開幕鼓膜クラッシャーって呼んでもいいですか?』


「え、だめですっ! そんなかわいくないあだ名嬉しくないです! ……でも、ごめんなさい……」


 しゅんとしおれるこめっとちゃん。

 おいおい……初っ端からこれかよ……。先が思いやられる……。


 それはそうと、この「マインちゃん」って名前はたぶんじらいちゃんってことなんだろうな。「かぐやしか勝たん」は、言わずもがなあの残念なイケメンだろう。

 かぐやしか勝たんのなら他の配信来ちゃだめだろ……。


「あ、そうだ! じゃあもう一回あいさつしますねっ!」


 こめっとは早々に立ち直り、改めて息を大きく吸う。


「私の推しが宇宙一! キミのコメント世界一! 北のお米は日本一! いつもきらめくあなたの後輩――ほしみこめっとですっ!」


 ………………。

 誰も、何も、コメントを打つことができなかった。


 その声は、いつにも増して元気で、明るくて、楽しそうで……とても、とてもその画面の向こうにいつも引っ込み思案な彼女がいるとは、思えなかった。


「ふ~、今度こそできた……」


 彼女は安堵したように息を漏らし、


「突然ですが! 皆さん目をつぶってください!」


 俺は言われた通り、目を閉じる。


「いいですか~? 私がいいって言うまで開けちゃだめですよ~?」


 そのささやき方は、少し小悪魔のようだ。


「じゃあいきまーす。……んっ」


 一度喉の調子を整えて、そして――


「み・か・づ・き みかんずら~!」


 まるで、本物の蜜柑月みかんがそこにいるような感覚だった。

 やはり、俺の目に狂いはなかったのだ。


「えへへ……どうでした? 似てました~? ……あ、もう開けていいですよ?」


〇 冴えない星よみ 『初見です。めっちゃ似てました!!』


「冴えない星よみさん、ありがとう~! ですよねっ! 似てますよね! へへん!」


 気づけば、同接が1人増えていた。


『モノマネ上手いんですね! 他のハロメンもできるんですか?』


「できますよ~。じゃあ次は……」


 画面越しでも、こかげが嬉しそうににやけているのがわかる。

 こめっとは再びコホンと息をつき、真っ直ぐにこっちを向く。


「今日も夜空にスターダスト! ここに輝く一番星! アイドルVtuberの星葛ほしくずきらりです! らーちゃんは~?」


 バチッとウインクを決めたまま、彼女はリスナーの反応を待つ。

 これは星葛きらりの定番の流れで、どうコメントをすればいいのかは俺でも知っているのだが……送信ボタンをクリックする勇気が出なかった。

 ……この意気地なし!


『いつもかわいい~!!!』


 ああ! 楽しそうにしやがってコイツら! 

 俺だって本当は仲間に入れてほしいのにっ!


「えへへ……ありがと~!」


 ああ! 可愛い! このVtuber絶対伸びるよこれ! 

 もう! 抱きしめたいっ! ぜひとも抱き枕カバーとか販売してほしいね! 毎晩キミを抱いて眠りたい! 

 ……そう思うよな? 思うって言えぇ!!

 ……え? 何を言ってるんだこの変態シスコン豚野郎って? 

 大丈夫。この子は俺の妹であって妹じゃないから。ほしみこめっとであって木下こかげではないから。

 抱き枕くらいなら倫理的にも問題ない……はず。


『すご…』


『サムネにひかれて入ってみたら、ヤバい子おるやん!』


『ハロライブ好きなんですか?』


 俺がやきもきしている間にもどんどん同接は増えていって、コメントが次々と流れてくる。


「そうなんですよっ! 私ハロライブ大好きなんですっ! いつか私もハロライブに入りたいと思ってて」


 彼女は、とても楽しそうに、ハロライブ愛を語る。


「だから、『先輩』のみなさんと一緒に、頑張っていきたいんです! 応援よろしくお願いしますっ!」


『夢がビックだ…』


『ハロオタVtuber……新しいかもなぁ』


『応援します!』


「ありがとうございま~す!」


 そうやって嬉しそうに笑う彼女を見て、俺は決心した。

 コメント処女……じゃなくて、コメント童貞を卒業しようと。くだらない羞恥心なんて、今ここで捨ててやろうと。


 ……よし。よし、やるぞ。打つぞ。打っちゃうぞ?

 …………ちょっと待って! 冷静に考えて、妹の配信に食いついて「可愛い可愛い」言いながらコメントまでしちゃう男ってヤバくないか? なんか世間的に大丈夫なのかそれは?

 …………ええい! そもそも俺に気にするべき世間体などないわ! 

 いいからさっさと腹をくくって……でもごめん。変なコメントで引かれたくないからちょっと考えさせて!

 ――などと自問自答をしている間にも人は増え、余計にコメントがしづらくなる。


 いやぁ、コメントが多いと多いで「せっかくコメントしたのに読まれなかったらどうしよう」とか思っちゃうんですよねー。なんて。

 ……って、もういいわ! 一思いにやれぇぇぇ!!!

 カチッ。


「――じゃあ最初は自己紹介からやりますね~……と」


〇 きりりん@俺の妹が可愛すぎる 『デビューおめでとう』


「きりりん……わ、すごい名前……あはは」


 彼女が俺のコメントだと気づいていたかどうかはわからない。

 それでも、彼女は優しく微笑んで……きっとそれは、俺に向けられたものだったと思いたい。


「ありがとうございます!」


 たとえそれが、画面の中で動くただのイラストにすぎないとしても。

 本物の人間よりも、ずっと少ないパターンで、単純な表情しか作れない作り物の存在だとしても。

 その笑顔が、ここにいる自分にではなく、画面の前にいる不特定多数のリスナーに向けられたものだったとしても――俺は思う。


 俺も頑張ろう、と。


 ほしみこめっとが成功できる保証なんて、どこにもない。

 確率から言えば、彼女が人気Vtuberになってハロライブに入る……なんてのは、宝くじで一億を当てるようなものなんだろう。

 それだけ現実味がなくて……きっといつか壁にぶつかることにもなるのだろう。

 その時彼女がどうするかは、わからない。そもそも彼女がいつまでVtuberを続けるつもりなのかもわからない。

 現実から逃げ続けることは、きっとできない。


 Vtuberになるという選択が、彼女の人生にとっていいことだったのかどうかも、今はわからない。彼女がそれを後悔する未来も、もしかしたらやってくるのかもしれない。

 それでも俺は、信じたい。たとえ根拠はなくても、きっと上手くいくと背中を押してやりたい。

 俺に何ができるかはわからないが、それを見つけるところから始めていきたい。


 かくいう俺も、そろそろ学生生活にも終わりが見え始め、真面目な学生はとっくに就活を始めている時期に突っ込んでしまっているんだが……まあそれはそれでなんとかするさ。

 とにかく俺は、こかげのために……ほしみこめっとのために頑張りたいと思う。


 少なくとも、キミに――『おにいちゃん』と呼ばれる――その日までは。


                                    完                                      

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