第32話 その想いが、誰かに届くように。

『今度の木曜日、いつもの時間に来てください』


 あれから数日後、そんなタイトルのメールが届いていた。

 本文は、


『来られたらでいいので』


 アドレス帳にも登録していないメアドだったし、差出人の名前も書かれていなかった。

 ビジネスメールだったら0点の代物だ。取引先もカンカンである。

 カンカンと言えば、最近上野のパンダの話聞かなくなったよね。元気にしてるかな?


『mikantokirari.v@――』


 というメールアドレスだった。

 まあ、これなら誰からのメールかはまるわかりだ。俺のアドレスは父親経由で俺の母親から聞いたのだろう。


 というか、なんで俺たちってラインも交換してないんだろうね。

 いやたぶん聞けば教えてくれるんだろうけど、もし相手が嫌だと思ってたらとか考えちゃって聞けないのよね。そうこうしてるうちにクラスラインとかできちゃってて、俺の知らないテストの過去問の情報とかが共有されてるのよ。

 ほんと……初対面でライン交換できるやつって神経どうなってるんだよ(尊敬の眼差し)。


 まあ、今どきメールってのも文通みたいでいいか。ノスタルジックでエモい。

 どこがエモいって、送信ボタンがなかなか押せなくて何度も文章を読み返して、送った後も相手が読んでくれたかどうか考えながらそわそわしてるのがエモい。「既読」なんて機能はないのに送信済みのメールを見返し続ける時間がエモい。

 ……いや、冷静に考えたらエモいじゃなくてキモいか。……キモいのか?


 そして俺はどう返信しようかと頭を捻ったあげく、


『もちのろん』


 ボケているんだかいないんだかわからないようなメールを送って布団に入った。


 いやぁ……スタンプって偉大だなって思いました。もしこかげとラインを交換することができたら、真っ先にハロライブのスタンプを買おうと思います。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 そして、約束の日がやってきた。

 その日は爽やかな秋晴れだった。俺はタンスの奥(正確にはクローゼットだが)から長袖を引っ張り出していつもの場所に向かった。


 校舎裏に呼び出して二人っきりというわけでもあるまいし、今日は他のメンツも来るのだろう。道中ばったり出くわすこともあるかもしれないな。

 と思いながら歩いていたが、部屋に着くまでに誰かと会うことはなかった。

 すれ違ったのはユニフォーム姿でえっさほいさ言いながら走る野球部の群れと、見せつけるようにイチャつくベタベタドロドロカポーが3組ほどだった。

 まったく、夏休みなんだからちゃんと休みなさいよ。君たちみたいな暑苦しい連中のせいで温暖化が進んでるんだからね。だからリア充は爆発しないで凍った方がいいね。

 リア充氷結しろ! ……なにこれかっこいい。

 凍てつけリア充! しばれろシナプス! バニッシュメント…………なにこれかっこ悪い。


 よし、俺の軽快なトークで場も温まってきたところだし、109の扉を開けよう。

 と思ったが、扉の向こうからもにょもにょと話し声が聞こえてきた。

 雪国の壁は部屋の暖気を逃がさないように厚くなっていて、何を話しているかまではわからない。

 今開けていいかどうかと迷ったが、このままここにいるわけにもいかないので、会話の隙を狙ってゆっくり扉を開けた。


 開けると、部屋の奥ではこかげとひなたが向き合っており、鶴居は入り口側の椅子に座っていた。

 ひなたが来たということは……。なんとなく、話の内容は想像がつく。


 3人が俺の方に目を向ける中、俺はなんと挨拶をしようかと考えながら部屋の中に進んだ。

 すると、思わぬところからトントンと肩をつつかれる。


「ぬぁ!?」


「しっ!」


  横を向くと、むっとした表情で人差し指を口の前に立てるらいかの姿があった。

 今日はお姉さんフォルムだった。


「こっちきて」


 と手招きされたので、俺は大人しくらいかの横に立つ。


「どうしたんですか?」


「今いいところなの」


 らいかは一度だけ俺の顔を見て、「ごめんね。続けて?」と二人の少女を促す。

 すると、ひなたはこかげの方を向き直して一呼吸置き、続きを語り出した。


「アタシ、前から木下さんのことが気に食わなかった」


 ……その話し方は、あまりにも覇気がなかった。いつもの元気がなかった。


 今日のひなたは黒いロングスカートに白のブラウスで、あまりにもシンプルな格好だった。いつもの渋谷っぽいファッションからはかけ離れていて、遠くから見れば別人と勘違いしてしまいそうなほどだった。

 喪服、というわけでないが、これが彼女なりの誠意の表し方ということなのだろう。


「最初は、可愛い後輩だと思ったけど……だんだん、先輩と仲良くなって……アタシなんかより全然Vtuber詳しいし……先輩も、木下さんといる方が楽しそうだったし……」


 ひなたはうつむきながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「でも木下さんは、全然そんな気とかなさそうだし……」


 こかげは頷くこともなく、ただひなたの方を見つめて、話を聞いている。


「だからアンタを、やめさせたいと思ってた」


 ひなたは言葉に余韻を持たせ、今度は俺の方を一瞥してから話し始める。


「アンタの兄貴が来た時……ちょうどいいやって思った。コイツと一緒に引きはがそうって思った」


 恐ろしいと思った。だが、それがこいつの本性だった。

 でも……


「でも、だめだった。アンタはやっぱりVtuberにしか興味ないし、男遊びも向いてない」


 鶴居は机の方を向き、じっとどこかに力を入れているようだった。


「だからそれは諦めた。そんなことするより、アタシが……おたるたるがもっと人気になって、先輩に喜んでもらって、アンタなんかよりアタシの方を見てもらえばいいんだって、振り切った。……なのに」


 らいかは両手を合わせ、何かを祈るように二人の様子を見守っていた。


「先輩は、ちっともアタシことなんて見てくれなかった」


 その言葉はきっと、その場にいる全員の胸に突き刺さっただろう。


「ううん、先輩は悪くないの。バカだよね……アタシ、先輩に嫌われてるって気づかなくて、人気にさえなればいいって思って……」


 違う。ひなたと向き合ってこなかった鶴居も十分に悪いのだ。

 鶴居だけではない。ひなたの思いに気づかず……ないがしろにして、ほしみこめっとのことばかりを優先してきた俺たちも、等しく罪人なのだ。

 今はせめて、彼女の懺悔ざんげを見届けよう。


「結局、もっと嫌われて…………取り返しのつかないことをしちゃった」


 ……………………。


「どうしようもなくなって…………そうだ、木下さえいなくなれば……ほしみこめっとさえ消しちゃえば、先輩はアタシの方を向いてくれると思って…………先輩のパソコンを、壊した。バットで、何回も、何回も殴った」


 わかっていたはずなのに、本人から真実を聞くと、胸が締め付けられるように苦しくなった。

 それほどまでにひなたが鶴居のことを好きだったなんて、思っていなかった。


 ――ひなたは顔を上げ、ゆっくり息をして言葉を絞り出す。


「ごめんなさい。アタシは……アタシは最低の人間です」


「………………」


 こかげは何も言わず、次の言葉を待つ。


「許してほしいなんて言わない。アンタが……木下さんがやめてほしいっていうなら、V研だってVtuberだってやめる。……本当にごめんなさい」


 深く、深く頭を下げていた。


 そこでこかげはやっと口を開く。


「許さない、です……ぜったい」


 その言葉には、あの日鶴居に向けられたような怒りが、確実にこもっていた。


「そらさんのせいで、部長の30万のパソコンが壊れちゃったし……そらさんのせいで、わたしの初配信は延期になったし……そらさんのせいで、Vコンには間に合わなくなったし……」


 ゆっくりと怒りを吐き出すこかげを前に、ひなたは「ごめん、ごめん」と頭を下げ続けることしかできなかった。


「だから許せない……けど、やめて、ほしくもない……」


「え……?」


 ひなたは意表を突かれたようにこかげの顔を見上げていた。


「やめないで、ください。ぜったいに」


 その言葉は、どこまでもまっすぐだった。


「……なんで?」


「好き、だから。おたるたるが、好きだから。いつかコラボしたいから」


 大空ひなたが好き、とは決して言わなかった。

 それでも――


「…………ばかじゃないの? アンタは……ほんと…………うぅ」


 彼女は目元を真っ赤に腫らして、溢れ出した涙を手で拭いていた。

 メイクがドロドロに崩れ落ちて、非常にみっともない。

 だが彼女はすぐに泣き止み、いつものように強がって、


「もう……しょうがないわね」


 と、微笑んでみせるのだ。精一杯の笑顔で。


「よろしくお願いします」


 ぺこり。今度はこかげが頭を下げた。


 そこで会話は終わり、辺りにはひなたが鼻をすする音だけが響く。


「木下さん」


 タイミングを見計らったように話し掛けたのは、鶴居だった。


「Vコンだけど、頑張ればまだ間に合うんじゃないかな?」


 その問いに対して、こかげは少しだけ考えてこう答える。


「いいんです。今年がだめでも、来年もあるし……。だから、イチから作り直したい、です」


「……え?」


「今度は、ちゃんと……そらさんと……らいかさんと、部長と、それと……さとりさんも一緒に」


 こかげはずっともじもじしていて、俺の方を見てくれることはなかった。

 それでも、ありがとう。俺の名前を呼んでくれて。


「ちょっと待って、イチからって言うけど、もうイラストはできてるしモデリングもほぼほぼ終わってるんだよ? どこからやり直すつもりなんだい?」


 鶴居が恐る恐る尋ねると、こかげはぱあっと笑顔になって、


「もちろん、イラストから設定から全部、です!」


「「ひょー!」」


 ついぞ、そこまで黙って見守っていた横のイラスト担当も一緒に悲鳴を上げていた。

 せっかく頑張って描いたのにね。ぴえんだね。


「あと、やっぱりメスガキはいやです」


「なにぃ!?」


 フッ、ざまあみろ。イケメンだからって調子乗ってるからそういうことになるんだよ。どう考えてもこかげにメスガキは似合わないだろ。


「まあまあ落ち込みなさんなって」


「あと、い……妹キャラも、ちょっと……」


「んなぁー!!」


 恥ずかしそうにやんわりと断られた。普通にだめだった。

 そうだよね! 妹にそんなことやらせるってどう考えてもおかしいよね! 

 知ってた!


「そうなると、先は長そうだねぇ」


 らいかは不敵な笑みを浮かべて、しみじみと言葉を漏らす。


「そう、ですね。でも、最高のVtuberにしたいんです!」


 ――そんな笑顔を見せられたら、出てくる言葉は一つだけで。


「そうだな」


 楽しそうで、何よりだ。


「よし、決めた! 今度こそ俺たちV研で最強のVtuberを作るんだ!」


 鶴居は立ち上がり、力強く宣言する。


「最強ってなんだよ? 最高だろ? 最強ってんならエクスカリバーでも持たせておけばいいんじゃねえの?」


「うるさい北大生! 細かいことをいちいち……だから北大生は嫌いなんだよ!」


「お願いだから俺を北大生の代表だと思わないでくれ。俺は北大に転がってるゴミみたいなもんだ。……いや、北大にゴミなんてころ」


「じゃあ、私たちはゴミ以下だっ♪」


「いやなんで楽しそうなんですか……? 俺が言いたかったのはそういうことじゃなくてですね」


「悟さん」


「……はい」


「そういうところだよ?」


「どういうところ!?」


 軽蔑の眼差しだった。


 もうやだ……! また妹に嫌われちゃったじゃない! これも全部イケメンのせいだわ! 

 ……そうよ! やっぱりイケメン税を導入するしかないんだわ! そのためにはまず私が女性初の大統領に……っ!

 ――なんて、俺の中の女々しいさとりちゃんが暴れている横で、V研の面々はケラケラと笑っていた。


 まあ……こういうのも悪くはないな。


「よし、じゃあ決まりだね!」


 そして鶴居はペンを取り、一旦ホワイトボードの文字を全て消してから、大きく書いた。


『最強最高Vtuber! おたるたる! アーンド ほしみこめっと!』


 頭が悪そうだな、まったく。


「よし、景気づけにいつもの掛け声だ!」


 どうやら鶴居のネジはどこかに飛んでいってしまったらしい。

 いつもの、っていうけど、お前以外誰もわかってないみたいだよ?


「ハロライブをー?」


「…………」


「ぶっこわーす!!!」


 ……沈黙。


「だからそれ各方面から怒られそうだからやめろよ。ほら、こかげ様も怒ってるから。なんでそんな決め台詞にしちゃったの? ねえ? せっかくの顔が台無しだよ?」


「うるさいなぁ! じゃあ代わりにキミが考えてくれよ! 北大生なんだし!」


「だから北大生関係ないよねそれ!? 北大生はいつでも使える万能薬じゃないんだよ!?」


「つかえないね♪ 北大生って♪」


「だから俺が使えないだけですから!」


「あはははは!」


 なんと愛校心の高い男なのでしょう。自分を犠牲にしてまで母校の名誉を守るとは。

 ……そんなのはどうでもいいんだよ。

 ここまで来ちまった以上、一発決まった挨拶を考えねば。


 ――よし。


『ファイトー!』『イッパーツ!』


 ……ってのも思いついたが、ステマとか言われそうだからだめだ。それに、最近あのCMやってないしね。

 ケインコスギ、元気にしてんのかなぁ……?


「さとりん、ファイト!」


 ……まあ、少なくともこの人はちゃんと反応してくれるだろうしな。

 ここは無難に行こう。無難に。


「じゃあ、いきますよ?」


 絶対無視しないでね、という思いを込めて、4人の顔を見回す。


 ……よし!


「V研、ファイトー!」


「「「「オー!」」」」


 ――彼らの声はきっと、ぶ厚い二重の窓ガラスを越え、秋の空を越え、どこまでも、どこまでも響いていったに違いない。


 その想いが、誰かに届くように、一歩。彼らは大きな一歩を踏み出した。

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