第31話 妹の笑顔

「どっから聞いてた……?」


 降りしきる雨の中、その公園では狭い屋根の下に集まった三人だけが会話を繰り広げていた。

 傘をしまって息を整えたこかげは、ぽつりぽつりと話し始める。


「Vtuberをやめちゃえってあたりから……」


 ああ、結構前から聞かれてたのね。

 ああもう……死にたい。穴があったら埋まりたい。早すぎた埋葬は禁止カード。


 俺がそんなふうに恥ずかしさに悶えている一方、鶴居はこかげに対していつものように努めて明るくふるまっていた。


「いやあ、さっきから誰かいるなぁとは思ってたんだけど、まさか木下さんだったとはね! 傘で全然わからなかったよ」


 白いスニーカーを履いたこかげの足元は、すっかり濡れていた。


「それにしても、どうしてこんな所に?」


「らいかさんに、呼ばれて……」


 こかげは鶴居の一歩前に立ち、淡々と答えていた。


 ……にしても、あの人の差し金か……。

 こかげは呼んでおいて自分は来ないんだもんな……まったく。


「そうか……じらいちゃんが……」


 鶴居はそんなふうに相槌を打ち、あごに手をやっていた。

 そこにはさっきまでのさわやか笑顔のイケメン男はいなくて、神妙な面持ちの鶴居流依と、それに対峙する木下こかげが立っていた。

 両者何も発さず、俺が口を出せるわけもなく――ただ、雨の音だけがこだまする。

 その静寂を破ったのは、こかげだった。


「そらさんに、Vtuberを……おたるたるを、やめてほしいって……本気で、思ってるんですか?」


 その目は、しっかりと目の前の男の瞳を見据えていた。


「……ああ」


 鶴居が目を逸らそうとしても、こかげはそれを許さない。


「なんで、ですか?」


「……あの子は、人気を取るためにいつもは馬鹿にしているオタクに取り入って、利用して……俺たちの心を踏みにじったんだ。大事なファンを馬鹿にして、アイツは――」


「そんなの……わからない、じゃ、ないですかっ! 部長が、勝手に決めつけてるだけじゃ……!」


 こかげの言葉には、今までにないくらい熱がこもっていた。大好きなVtuberを語る時と同じ……いや、それ以上に。


「いや、でも」


「いや、じゃない! でも、じゃない!」


 たとえひなたがいなくても、自分はVtuberになれるというのに、ひなたのせいでこんな泥沼におちいっているというのに……なぜこかげがそこまでするのかはわからない。


「そんなの! キミにこそわかるわけがないだろ! 俺はキミよりもずっとアイツとの付き合いが長いんだぞ! アイツがVtuberになる前からずっと、ずっと……!」


 鶴居の大人げない脅し方に、こかげは体をのけぞらせ、後ろに一歩下がりそうになっていた。俺はその背中をそっと両手で支え、「頑張れ」とエールを送る。

 すると、こかげの震えが止まり、すぅーと大きく息を吸う音が聞こえてくる。


「そんなの」


 一度小さく漏らし、


「そんなのわかんないよっ!! 部長の気持ちも! そらさんの気持ちも! わたしには、わからない……」


 最後には嗚咽するように、思いの丈を絞り出す。


「わからない、けど……このままじゃ嫌なんです! このままそらさんがVtuberをやめちゃったら……おたるたるがいなくなっちゃったら……!」


 いつか、らいかがこんなことを言っていた。

 こかげはひなたにいじめられていた、と。

 俺はその頃の二人を知らないが、ひなたのこかげに対する扱いは、今でもそこまで変わっていないんじゃないかと思う。投げやりで、ぞんざいで、適当で……たまに当たって、でも、まれに優しい。

 喧嘩するほどなんとやらとは言うが、この二人に関してはそこまで仲が良さそうにも見えなかった。

 なのに、こかげがここまで立ち上がっているのは――今にも逃げ出しそうな細い足に力を入れて、冷酷な男に立ち向かっているのは、もはや友情という言葉だけでは説明できない理由があるのかもしれない。


 ……悔しいが、俺にとってこの二人は、本物の姉妹のように思えてしまったのだ……。

 だからきっと、鶴居も何も言い返すことができないでいる。


 ――健気な妹は、夢を語る。


「わたし、いつかたるちゃんとコラボしたいんです!」


 目を輝かせる少女を前に、鶴居は「そうか」と頷くことしかできない。


「それに……たるちゃんは、V研の宝、じゃないですか! 部長と、そらさんと、らいかさんが、一緒に作ってきた、大切な思い出が、つまってるんじゃないですか!」


 つたなくても、たどたどしくても。

 こかげは自分よりもずっと背の高い鶴居の目を捉え、そこから目を離すことはなかった。


「もし、V研がなくなったとしても。たるちゃんがいれば、わたしは……」


 そこで言葉を切って、こかげは一歩前に進んだ。鶴居は一瞬顔をのけぞらせるが、もう逃げようとはしない。


「そらさんと、ちゃんと向き合って、ください!」


 重い言葉を突きつけられた鶴居は、やっと肩の力を抜いて、一言。


「わかったよ」


「……ほんとうですか?」


「本当だよ。もう一度ひなたと話してくる」


「ぜったいですよ?」


 こかげは元の位置に戻っていたが、相変わらず鶴居のことを睨み、まるで「明日から仕事するから」と毎日のように言っているダメ兄貴を諭すような口ぶりで迫っていた。

 いや、俺はちゃんとバイトしてるから。でもこんな可愛い妹に構ってもらえるなら逆に働かないまであるな。自分のお部屋で妹が外に引っ張り出してくれるのを忠犬ハチ公のごとく待ち続けるね! 

 ニート最高! ……なにそれダメ人間。


「あはは……信用ないんだね、俺って……」


「安心しろこかげ。ちゃんとここに証人がいるからな! いざという時は俺が突っついてやる」


 へへん! とわざとらしく胸を張ってみせると、こかげはついに俺を向き、


さとりさんじゃ、余計に信用ないよ」


 そっと、笑みをこぼして。



「でも、ありがとね」



 いつの間にか、辺りの雨音は弱まっており――雲の間から差し込んだ光は、こかげの顔を明るく照らしていた。

 しばらく会わないうちに成長したこかげは、ちょっとだけ大人びた雰囲気になっていて……でも、その顔にはどこかあどけなさが残っていて、とても可愛い。


 ああ。報われた――という言葉は、きっとこういう時のためにあるんだろうな。

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