第28話 木下悟という男

「も~、だから傘持ってってくださいって言ったのに~」


「ごめんごめん。それより、抜けてきて大丈夫だったの?」


「はい! 店長暇そうだったのでレジお願いしてきました~」


「いや……ああ見えて裏で発注とか色々やってるんだよ? あの人」


「そうなんですかね~?」


 佐藤さんは悪びれることもなくたはは~と笑うと、小さなえくぼができる。

 この人は、いつもこんな風に笑っている。この人のように生きられたら楽しそうだ。


「ところで~、さっきからこっちを見てる人がいるんですけど~、ってあれ……? さっき店に来てた人……?」


「ああ……あの人なら気にしなくていいよ」


「お知り合いですか~?」


「…………」


 佐藤さんは一瞬探るような目を向けてくるが、決して深入りすることはない。


「まあいいですけど~。ていうか~、せんぱいに限って女性の知り合いがいるわけないですよね~」


「あはは……そだね……」


 思わぬ毒舌に驚いて、ついカーリング日本代表みたいな方言が出てしまった。

 この子、Sの素質があるのかもしれないね。SATOだけに。


「それより早く戻らないと店長が……」


「え~? もうちょっとサボ……ゆっくりしてっても――って、え~!?」


 そんな、ほのぼのとした会話をしている時だった。


「せんぱい! うしろ!」


 振り向くと、大きく髪を揺らしながら俺の方に走ってくるお姉さんの姿があった。

 足を止めると、彼女は肩を上下させながらもじっと俺の瞳を捉える。


「私、わからないんだ! ……どうすればいいのか」


「え、ええ~? ちょっとどうしたんですかいきなり大声出して~?」


 らいかの言葉に反応したのは、俺ではなく佐藤さんだった。

 俺は戸惑う佐藤さんのことを右手で制し、らいかの言葉に耳を傾けた。


「こかげちゃんにはVtuberになってほしいし、ひなちゃんにだって頑張ってほしい。ルイルイも……就職する前にいい思い出を作ってほしい……。でもね、わからないの」


「……何が?」


「何を話したらいいのか、わからない。……だって、こんなことになると思ってなかったから……あの子たちが何を考えているのか、私にはわからないから……」


 そんなのは、俺だって同じだ。

 この人は、そんなことを伝えるためにここまで走ってきたのか?


「だから、ルイルイと会うのが怖くて……でも会わなかったら、いつまでもこのままな気がして……だから」


 らいかはそこで言葉を切り、俺の手を取り両手で握った。


「お願い。今度は私を助けて」


 その真っ直ぐな瞳を、俺は直視できなかった。


「……なんで俺なんですか?」


 俺はきっと、動き出すために何か、納得できる何か高尚な理由が欲しかったのだと思う。


「キミなら、きっとできると思うから」


 しかし、返ってきたのはあまりにも単純な理由だった。


「私はさとりんとこかげちゃんの間に何があったのかは知らない。こかげちゃんがキミのことをどう思っているのかもわからない。でも……それでもきっと、さとりくんなら彼女のことを救ってくれると思ってた」


 彼女の言葉は、あれから何もしてこなかった俺のことを糾弾しているようにも聞こえる。


「根拠はないんだけどね」


 そう付け加えて、その手を握り直してきた。強く、力強く。


 自分ではどうにもならないから俺に頼る。俺ならなんとかしてくれそうだから、代わりに行ってもらう。

 全く……都合のいい女だ。


 俺はあなたを救うヒーローになったつもりはない。勝手に決めつけないでほしい。そうやって男を持ち上げて、都合よく使うのはやめてほしい。

 俺は、誰かを助けるために自分を犠牲できるような人間ではない。俺はただ、自分のために……自分の幸せを掴むために、生きたい。


「…………」


 らいかは何も言わず、その瞳を動かさない。

 赤いカラーコンタクトが無いと、少し、目の力が弱まって……ただの可愛い女の子にも見える。


 案外、この人も普通の女の子と大して変わらないのかもしれない。一見明るくて、頼りがいがあって、どこかミステリアスで……。

 でも、それはあの奇抜なファッションに身を包んで「強い自分」を演じているだけで、本当は……。


 そんな女の子を前にすると、かっこつけてしまいたくなるのが男というものだ。


「やってやりますよ。妹のためですから」


 たとえ彼女に妹だと思われていなかったとしても、俺がやっているのはただの「お兄ちゃんごっこ」にすぎないとしても……俺は、こかげが楽しそうに笑っている姿を見たい。こかげの幸せは、俺にとっても最高の幸せなのだから。

 だからこれは、誰のためでもない――俺のための一歩だ。


「そう言ってくれると、信じてた」


 そっと微笑むらいかの顔を見ていると、もうそれだけで報われたような気持ちになってしまうが。


「3時に駅前の公園で待ち合わせだから。頑張って!」


「はい!」


 時刻はもうじきおやつの時間だ。急いでヤツの元に向かわねば!


「あの……せんぱい? いい雰囲気のところ悪いんですけど~、そろそろ仕事に戻らないと……」


 あ……そういえば佐藤さんまだいたんだね。


「ごめん。仕事には戻れなくなった」


「え~!? 困りますよ~。さびしいですよ~」


 心にも無いことを……。


「そっちは、コンビニの後輩さんかな?」


「はい~! せんぱいにはいつもお世話になってま~す」


 また心にも無いことを……いや、これはただの定型文か。


「そうなんだ……悪いけど、木下くんは急用ができちゃったんだ」


「え~? でも困るんですよ~せんぱいが抜けちゃったら~。わたし、一応研修中ですしー」


 まあ……確かにそれはそうなんだが……。


「大丈夫。私こう見えてコンビニでバイトしてたから」


「それは意外! ……じゃなくて、何が大丈夫なんですか?」


「今から私が…………俺が木下先輩だぞ! さあ仕事に戻ろう後輩ちゃん!」


 やけにイケボで佐藤さんの手を取ろうとするらいか。

 まあ、男装喫茶とかもあるくらいだしね。かっこよくていい……て、違うだろぉ!


「俺の真似だとしたら今すぐ俺をぶん殴りたいくらいにウザいんですが」


「自分を傷つけるのはやめたまえ! それより早くその制服をわた……俺に渡すんだ!」


 らいかのいけすかないイケメンキャラは気に食わないが、今はそれしか方法がないので、俺はおとなしく制服を脱いでらいかに渡す。


「ちょっと~! せんぱいの服じゃぶかぶかですよ~、じゃなくて! ほんとにこの人が働くんですか~? さすがに店長も許してくれないんじゃ……」


 目の前の出来事に理解が追いついていない様子の佐藤さんに向かって、俺は一言。


「大丈夫。あの人若い女の人の頼みには弱いから」


「え~!? ええ~?」


「じゃ、そういうことで」


 後はらいかに任せて俺はかっこよく戦場に向かおうと思ったのだが……


「せんぱ~い! だから傘持ってってくださいよ~」


 締まらないもんですねぇ。まったく。

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