第27話 半分だけの兄妹
俺が妹の存在を知ったのは、小学校に上がってからのことだった。
両親は俺が物心ついた頃には離婚していて、その時から俺は母親の実家で暮らしてきた。
俺の父親は、どうしようもないクズだったらしい。妻と幼い子どもがいながら、会社の若い女と不倫して、その女を妊娠させてしまったのだという。そうして生まれたのが、木下こかげという女の子だ。
母は俺に妹がいることを明かしてからは、年に数回、盆や正月に父の実家に連れて行ってくれた。正確には、実家の近くまで送って自分は元夫にも会わずに帰っていったのだが。
俺も、特に父親に会いたいというわけではなかった。ただ、こかげに会いたかった。
夏には一緒に花火をして、一緒にスイカを食べて……冬には一緒に初詣に行って、餅を食べて……。
兄妹、というより従兄妹に近い関係だったと思う。
だが、高校生になるとこかげに会いに行く回数も減り、大学生になってからは帰省をしても父の実家に行くことはなくなった。
ただ、それでもこかげのことを忘れることはなかった。
いつかこかげを北海道に連れてきて、うまい飯を食わせて、きれいな景色を見せてやりたいとずっと思っていた。
だから母からこかげも札幌にいると聞いた時、嬉しかった。らいかに連れられて駅までやってきた時、叫び出したくなるくらい、胸が高鳴った。
――俺がまだ実家にいた頃、母に「なぜ旧姓じゃなくて今も木下を名乗っているのか」と訊いたことがある。
『
たとえ、俺にとってこかげが本当の意味での兄妹ではないとしても――
半分だけの兄妹だとしても、俺は――
また妹と会いたいと思った。あの子を幸せにしてやりたいと思った。助けてやりたいと思った。そう思って、俺はここまでやってきた。
だが結局、それは傲慢にすぎなかった。思い込みにすぎなかった。こかげのことをわかった気になって、俺は何もわかっていなかった。俺のやっていることは、ただの偽善にすぎなかった。
そういう人間が一番嫌いなはずなのに、いつのまにか俺自身が偽善者になっていた。
高坂桐乃はこの世にいない。そんなことはわかっていたはずなのに――
俺は高坂京介にはなれない。そんなことはとっくに気づいていたはずなのに――
俺はこかげに自分の理想……妄想を押し付け、ただ自己満足に浸ろうとしていた。かっこいいおにいちゃんになろうとして、勝手にこかげの役に立った気になっていた。
どうしようもないクズは、どっちだよ…………!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――そして何もできないまま、8月が終わった。
あの日以来、おたるたるの配信は一度も行われなかった。ツイッターの更新もぷつりと途切れ、ネット上では行方不明となっていた。
パソコンが直るまではV研の集まりも無しになり、俺は再びバイトとアニメだけのつまらない日々に戻っていた。
「せんぱいどうしたんですか~? 最近ずっと張り合いなくてつまんないですよ~」
「なんでもないよ。ごめん」
「も~、謝らないでくださいよ~。いいから仕事しろとか言ってくださいよ~」
何も知らない佐藤さんがいつも通り接してくれるのは救いだった。
バイト中だけは、少し嫌なことを忘れることができた。
「雨でお客さんも少ないし、暇なんですよ~」
今日は電車に運休が出るほどに強い雨が降っていた。
「ねえせんぱいってば~」
グニグニと制服の裾を引っ張られ、俺はふと思い出す。
「そういえば、佐藤さんって兄妹いたよね?」
「え~? いますよ~。お兄ちゃんが一人」
「仲いいの?」
「う~ん。まあいい方なんじゃないですかね~」
「お兄さんのこと、嫌だなーとか思ったことない?」
「ありますよ~! そんなの毎日思ってますよ~」
「どんな風に?」
「え~? ていうかどうしてそんなこと聞くんですか~? あ~! もしかして、この前の妹さんとなにかあったんですか~?」
佐藤さんは、俺の様子をうかがうように下から顔を覗き込んでくる。
さすがに話の流れが唐突だったか……コミュニケーションって難しいね。
「あったんですね~。まあ、別にいいですけど~」
本当に、この人は俺に興味があるのか無いのかわからない。やっぱり俺はただの暇つぶしの話し相手ということなのだろうか。
「嫌なところ、ですよね。いっぱいありますよ~。例えば~、いい歳なのに彼女も作らずに実家でだらだら暮らしてるところとか~、なんにも言わずにわたしより先にお風呂入っちゃうところとか~、何回言っても廊下の電気をつけっぱなしにするところとか~」
佐藤さんの日頃の兄への不満は、留まるところを知らなかった。
にしても、聞けば聞くほど兄さんだらしねえな……。
「でも~、兄妹ってそんなもんじゃないですか~?」
「そうなの?」
「そ~ですよ~」
相変わらずのほほんとしている佐藤さんに対して、俺はさらに突っ込んだ質問をぶつけてみる。
「お兄さんのこと、好き?」
「ええ~!? なんですかいきなり~?」
さすがの佐藤さんも動揺しているようだった。だが俺は怯まず続ける。
「嫌いなの?」
「いや……べつに好きですけど~。あ、言っておきますけど、ブラコンとかじゃないですよ~?」
「そっか」
「もう~! やっぱり今日のせんぱいなんか変ですよ~! あ、わたしゴミ捨て行ってきます!」
佐藤さんはわざとらしく頬を膨れさせ、まとめてあったゴミ袋に手を伸ばす。
「あ~! でも今日雨降ってるのか~。ぬれちゃうな~」
「……俺が行こうか?」
「え~せんぱい優しい~お願いします!」
迷いなく、佐藤さんは俺の手にゴミを押し付けてくる。
こいつ……最初からそのつもりでいやがったな……ったく。
「ちゃんと傘は持って行ってくださいね~!」
「へいへい。ゴミ捨て行ってきまーす」
はーい。という店長の返事が事務所の奥から聞こえたのを確認し、俺は外にあるゴミ捨て場に向かった。
ぼーっとエレベーターで下に降りると、そこで傘を忘れたことに気づいた。まあすぐに終わるし多少濡れてもいいかと外に出てみると、ザーザーの雨が背中に打ち付けてきた。作業自体は短時間で済んだのだが、まあまあびしょびしょになってしまった。
まあいいかと再びエレベーターに乗り、連絡通路を改札の方に向かって歩いていると、思わぬ人と出くわした。
「あ、いたいた」
俺を見つけて駆け寄ってきたのは、お決まりのルーズサイドテールに今日は秋らしい色のカーディガンを羽織って、一段と大人びた女性――上地らいかだった。
「コンビニにいなかったからさー、探したよ」
急いでここまで来たのか、息遣いが若干荒いような気がする。
「どうしたんですか?」
「うん。データ、大丈夫だったって」
「そうですか……」
データ……ほしみこめっとのデータが生きていたのなら、V研はまた彼女のデビュー向けて動き出すことができるのかもしれない。
ただ……
「だからまた……」
途中まで言って、らいかは口をつぐんだ。
「あれから……こかげちゃんとは会った?」
「いや……」
「そっか。私も」
こかげどころか、鶴居やひなたにも会っていない。
それはらいかも同じようだった。
「どうしたらいいか……わかんないよね」
らいかの言葉に力はなく、いつもの元気はどこかに行ってしまったようだった。
「ルイルイがさ、相談があるから来てほしいって」
「相談……?」
「さとりん、私の代わりに行ってみない?」
「なんで俺が……」
「だって、さとりんはこかげちゃんのお兄ちゃんでしょ? きっとこかげちゃん……ほしみこめっとのことだよ」
そんならいかの言葉が皮肉に聞こえてしまうくらい、この時の俺はやさぐれていた。
「違いますよ……俺は、ただの部外者です」
そう吐き捨てると、らいかはじっと俺の方を見据えたまま、何も返してこなかった。
少ない通行人の話し声と、雨が窓を打ちつける音だけが、そこに響いていた。
「じゃあ、バイト中なので」
らいかに背を向けて歩き出すと、まだ後ろから声が聞こえるような気がした。
……キミは、それでいいんだ……?
その声を無視して歩き続けると……今度は前から声が飛んでくる。
「せんぱ~い! 傘忘れて……てうわっ! びしょびしょじゃないですか~」
やっぱり何も知らない佐藤さんの明るい声は、その時の俺にとって唯一の救いだった。
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