第26話 破壊。そして崩壊。

「あーあ。やられちゃったかー。この部屋鍵とか掛けてなかったしね。しょうがないか」


 こんな状況でも、鶴居は気丈に振る舞っていた。

 鶴居流依という男は、俺たちの前ではいつでも明るかった。わざとらしく思えるほどに。


「とりあえず、どこかにほうきとかなかったかな?」


 残された三人は口も開かず、ただ呆然とその場に立ち尽くし、鶴居の行動を眺めていた。


「あ、あった。危ないし俺が片付けておくから、あんまり動かないでよ?」


 鶴居はテキパキと飛び散ったガラスを掃き取り、黒いキーボードを一つ一つ手で集めていた。

 ただ、何も言わず……。


 一見優しい男に見える。それが鶴居流依だった。


「……誰が」


 静寂の中、久しぶりに声を出したのはらいかだ。


「……さあね」


 鶴居は手も止めずに淡々と答える。


「誰が、こんなこと」


「そんなこと……今はどうでもいいだろ」


 はぁ? 何を言ってるんだコイツは? どうでもいいわけないだろ。

 俺はこんな状況でも平生へいぜいを保っていられる鶴居を見て、苛つかずにはいられなかった。


「なんで?」


 鶴居を問い詰めるらいかの言葉からは、すっかり温度がなくなっている。


「俺たちが今すべきことは、ほしみこめっとを無事にデビューさせることだ。犯人探しに余計な時間を使っている場合じゃない。それに、パソコンのデータくらいは修理に――」


「鶴居くん」


 鶴居の言葉を遮り、上地らいかはこう言った。冷たく、突き刺すような声色で。


「なんか、誰がやったか知ってるみたいだね」


 嫌らしく微笑んでいるのが、余計に怖かった。

 鶴居はしばらく黙り込んで――


「さあね」


 と返し、ベコベコのパソコンを持ち上げた。


「修理に出してくるよ。こめっとのデータも復旧できるかもしれないし」


「おい! お前……!」


 ハッと我に返り、俺が鶴居を呼び止めた時には、彼は既に部屋の外に出ていた。


「行かなくていいの?」


 らいかは優しい声音で問い掛けてくる。


「いや、いいんです。それより……」


 鶴居の言った通り、今は犯人探しをしてもしょうがない。

 それより、この二人を置いて……妹のことを置いてどこかに行くなんてできるわけがない。


「こかげ……大丈夫か?」


 努めて優しい声で問い掛けてみても、こかげはうつむいたままだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 こんな時でも、机の中央に置かれた蜜柑月みかづきみかんのぬいぐるみは、楽しそうに笑っている。

 いつもならその正面に座るはずのVtuberオタクも、今日は机の前で立ち止まったまま動かない。そして、いつもならそんな彼女のオタクっぷりに文句を言いながらも、ともに新たなVtuberデビューの準備を進めていた一人の女の子も、今日はいない。


「そらさんが来るまでは」


 帰らない。やっと口を開いたこかげはそう言った。

 こんな状況で……パソコンが壊され、部長がいなくなり……なにより、お前が一番ショックを受けているはずなのに……。

 それでも彼女を待つと、そう言った。


 ひなたは今どこで何をしているのだろうか。今日は配信もないはずで、昨日も夜遅くまで配信をしていたというわけでもない。だから、寝坊という線も考えにくい。

 そもそも、ひなたがV研の活動に遅れてきたことなんて、一度もなかった。

 ……少なくとも、鶴居が現れてからは。

 ではなぜここにいないかと考えれば、それは…………。


 俺は頭の中に浮かぶ嫌な憶測を抑え、らいかに話しかけた。


「イラスト……立ち絵とかは……?」


「ああ……あれは私のパソコンにも保存してあるから大丈夫。……ただ」


 鶴居はこの部屋に鍵が掛かっていなかったと言った。だから、ここの学生なら誰でも犯人になりえた。


「ルイルイはあのパソコンでモデリングしてたみたいだから、復旧できないと……」


 幼稚な犯行だった。警察に頼んでバットの指紋でも調べてもらえば、すぐに犯人はわかりそうに思える。


「一からやり直すとなったら、Vコンは厳しいかもね……」


 ただ、V研に何の関係もない人がこんなことをするとは思えない。動機が……その人を突き動かす何かが、きっとあったはずだ。


 ……犯人を探しても意味がないと、わかっていたのに。わかっていたはずなのに。

 俺は……机の上に落ちていた一本の長い髪の毛を拾っていた。


「――ねえ、聞いてる?」


「ああ、はい……」


「もー! 何そのふぬけた返事は!」


 太陽に透かせばきっと白く見えるほどに明るく、色の落ちた髪だった。

 V研の中で、こんな髪色をしているのは……。


「こかげ……ひなたと何かあったのか?」


「ないけど……なんで?」


 その理由を答えていいのか、俺にはわからなかった。どこかを見ているその瞳の奥で、こかげが何を思っているのか、俺にはわからなかった。

 ただ俺は、このまま目を背けていても、こかげは前に進めないと思った。妹を救えないと思った。

 だから俺は、思ったままのことをこかげに伝えた。


「理由はわからないけどさ……ひなたがやったんじゃないか……これは」


 こかげの眉がピクッと跳ね、俺の目を見つめ直す。


「でも……あいつがいなくてもさ、俺たちならなんとかなるんじゃないか。確かにデータがダメだったらヤバいけど……ほら、モデリングって外注とかできるんだろ?」


 上辺だけを繕って、俺は何も本質的な話をしていなかった。


「まあ、そうだけど……」


 らいかは、そんな俺の会話にもちゃんと付き合ってくれる。


「じゃあいけるだろ! あいつのことなんて気にしないでさ、お前はこめっとのことに集中しろって! そうだ! 俺もスーパーアドバイザーとして考えてきたんだけどさ――」


 妹のVtuberデビューを成功させたくて……Vコンに出場できるよう早く登録者を増やしてやりたくて……いつか、妹がチヤホヤされて喜んでいるところを見たくて…………。

 5年ぶりに顔を合わせて、何度か会っただけで、こかげのことがわかったような気になって……。結局、俺は何も――――


「ねえ……なんで? なんでそんなこと……言えるの?」


「……え?」


「……さとりさんは、なんにもわかってないくせに……」


 鋭く、確実に敵意のこもった目つきだった。


「こかげちゃん……」


「ずっと帰ってこなかったくせに! ずっと、会いにこなかったくせに……!」


 こんな感情をむき出しにした妹の姿を見たのは、初めてだった。


「なんなの! 今さら現れて……」


 こかげの声がしぼんでいく代わりに、窓を揺らす風の音が大きくなる。


「……ねえ? 悟さんはなんでそんなこと言うの? なんでわたしのことは応援してくれるのに、そらさんのことは見捨てようとするの?」


 …………………………………………。


「わたしが妹だから? だったらもうやめてよ」


「こかげちゃん!」


 らいかはヒートアップするこかげを制止しようとするが、こかげはその手を払いのけて、こう告げる。



「わたしはあなたのこと、最初から兄妹だなんて、思ってませんから」

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