第21話 ハロライブサマー開催中!

 8月の昼下がり。

 本来であれば一年で一番熱い時間帯だが、今日は空にうっすらかかる雲が太陽を隠しており、脇が濡れないほどには快適だった。

 ただ、文明の利器を知ってしまった人間というのはおろかなもので、


「あぁ~生き返るぅ」


 109の扉を開けると、モワッとした空気が流れ出てきたので、俺は容赦なくエアコンのスイッチを押した。

 怠惰デスネー。

 ここの学生でもないのにこんなことをしていいのかという後ろめたさがなかったことはないが、バレなければ犯罪ではないのだ。それになんてったって俺はスーパーアドバイザーだからな。職権乱用バンザイ。


 さて、まだ誰も来てないようだし、俺は駅の自販機で買ってきたブラックコーヒーを飲みながら朝のニュースでもチェックするか。

 ちなみに北海道では黄色いデザインでおなじみのあま~いMAXコーヒーが売っていない。さとり的にポイント低い。


「よっこらセックス」


 一度は人前で言ってみたい言葉ランキング第1位(俺調べ)の台詞を漏らしながら、いつもひなたが座っている上座の椅子に腰を下ろす。

 ううん、座り心地は特に変わらないが、ホワイトボードが正面にあってよく見える。ほしみこめっとのアイデアらしきものが色々書き込まれているが、色々ありすぎて迷走しているというか……体系的でない。

 体系的とか言ったら頭良さそうに聞こえるよね。つまりはごちゃごちゃしてるってことだ。


「ふむぅ」


 俺がコーヒーをすすりながらホワイトボードの文字をしげしげと眺めていると、カチャ、と扉が開く音がした。

 部屋に入ってきたミニスカ女は、俺の存在に気付くと、あからさまに嫌そうな顔をしてため息をつく。


「なんだ……アンタか……」

(なんだ……Cカップか……)


 まったく、俺の優雅なティータイムを邪魔するんじゃないよ。

 コーヒーだけどね。


「おう」


「…………」


 ひなたは俺の挨拶に返事もせず、ズカズカと中に入ってくる。

 まったく、これだから最近の若者は。ろくに挨拶もできないなんて、そんなんで社会でたらどうすんの? 俺なんて誰もいなくてもちゃんと「いってきます」とか「ただいま」とか言ってるんだから。キミもそういう所を見習ってだな――


「ジャマなんだけど」


 気づくと、道端に不法投棄されたゴミを見るような目で俺を見下す中途半端なギャルがいた。

 どこが中途半端かっていうと、主に胸。


「あ?」


「そこ、アタシの席なんだけど」


「そんなの誰が決めたんだよ?」


「は?」


「お前な……だいたい日本には年長者を敬うという文化があってだな、前から思ってたんだがお前はもっと俺のことを」


「イイカラドケヨ?」


「あ、はい」


 即行どいたね。だって目が笑ってなかったんだもん。このままだと殺される気がしたんだもん。

 この女日本人じゃねえぜ! Not Yamatonadeshiko!


「はぁ」


 人がせっかく譲ってやったのに、またため息である。

 この女……生理か? それとも更年期? とか言ったらセクハラになるから、良い子のみんなは心にとどめておこうね。


「…………」


「…………」


 そして、エアコンの音だけが流れる。

 人間という生き物は不思議なもので、一人の時は何も気にならないのに、誰かといると沈黙がやけに気持ち悪く感じてしまう。

 これでは朝のニュースにも集中できたもんじゃない。まあ、ぶっちゃけニュースなんて別にいいんだけど。

 しかし、ここで「どうしたの?」とか言ってみても、「ハァ? キモいんですけど 話しかけんな」とかいう返事が返ってくるだけだ。かといって天気の話をしても、きっと3秒で話が終わる。


 共通の話題共通の話題…………。


「歌、好きなのか?」


「……なによいきなり」


 ひなたはスマホの画面から目を離し、じろりと俺を見る。


「いやほら、お前……おたるたるって最近歌枠ばっかやってるだろ?」


「ああ。別に……嫌いではない、けど……」


「けど?」


「……なんでもいいでしょ」


 ひなたは言葉をにごし、プイッとそっぽを向いてしまった。


 好きでもないのだとしたら、なんでこいつはあんなにお歌を歌っているのだろうか? 

 こいつのことだからきっと、「先輩」のためにやってるんだろうが……鶴居がこいつの歌が好きとか……?

 さっぱりわからん。単に数字が取れるってだけかもしれんしな。


「へた……でしょ……?」


 恋する乙女の行動原理を思案していると、彼女はぽつりと呟いていた。


「何が?」


「アタシの歌……下手でしょ? 自分でもわかってる」


「それは……」


「アンタは、どう思う? 聞いてて……不快になる?」


 ひなたは、いつもは吊り上がっている目元を少し緩ませ、真剣なまなざしを向けてくる。

 確かに決して上手いとは言えないが……


「別に不快にはならんだろ。そんな音痴ってほどでもないし」


「でもやっぱ……素人レベルだよね……」


 自分で言ってまた落ち込んでいた。

 彼女が何をそんなに気にしているのかはわからないが、俺に言えることは、


「そこがいいんだろ。頑張ってる感があって」


「え?」


「確かにお前の歌は他のVtuberと比べても上手くはないけど、でもお前の歌い方はなんか、誰かのために一生懸命歌ってるって感じがして……なんかいい」


 まあ、俺って素人モノとか好きだしね! 

 ……なんてふざけたくなるくらいにはこっぱずかしかった。


「そっか……」


 彼女は俺の言葉をゆっくり飲み込んで、一度うなずき、硬い表情をほころばせた。

 そして、


「てか、アンタどんだけアタシの配信見てんのよ?」


 いつもの偉そうな大空ひなたが戻ってくる。


「まあ、特に予定が無い日はできるだけ見るようにしてますけど」


「あ、そ。……キモ」


 そんな悪態をつく彼女の表情も、どことなく嬉しそうに見えた。

 ……気のせいかもしれないが。


「まあなんだ、俺みたいなやつもいるってことで……せいぜい頑張れよ」


「……うん」


 彼女はそっとうなずいて、そのまま顔を下に向けてしまった。


 なんか気まずいなあ。調子狂うんだよなあ、ほんと。


 …………

 ……………………

 …………………………………………ガチャリ。


 久しぶりに音が鳴る。


「おはよー! こんにちは! こんばんは! おやすみー! ……起きてぇ!!!」


 見ると、再び扉が開いていた。

 しかし、そこにいたのはキチガイだった。


「うるせぇ!!」


「やぁ! 今日も元気そうだね!」


 ニカッと光り輝く笑顔。

 そう、そこにいたのはV研の部長でありひなたが想いを寄せる先輩――鶴居流依であった。


 ねえ、ひなたちゃん。マジでなんでこんな人好きになっちゃったの?


「せ、せんぱい……!」


「おはよう」


 きゃあ……! と頬を染めるひなた。

 本当にわかりやすい女である。


「よし。時間だし早速今日の活動を始めようか!」


 鶴居はナチュラルにホワイトボードの前に向かい、ペンを取っていた。


「ちょっと待て。残りの2人は?」


「ああ。木下さんとじらいちゃんならパルコにいるよ。昨日からハロライブサマーだからね」


「ハロライブサマー?」


「夏限定のポップアップストアさ。ハロメンの水着グッズが手に入るんだ!」


「へ、へえ……」


 嬉々ききとして語る姿はどう見ても熱狂的なハロライブファンにしか見えないが、これでも彼は「ハロライブをぶっ壊す」と宣言した男だったりする。


「鶴居くんは行かないの?」


「いやぁ、それが気づいた時には入場券の予約が……何を言ってるんだ! 俺が憎きハロライブのグッズを買うためにパルコまで行くわけがないだろう!」


「ああそう……。まあいいけど」


 突っ込んでもらちが明かなそうなので、俺はさっきから借りてきた猫のように黙り込んでいるひなたに目をやった。


「パルコ……デート……」


 ああ、ダメだこりゃ。なんの妄想してるのか知らんけど。


「安心するんだ悟くん! 団長のグッズは買ってきてとしっかり頼んでおいたから!」


「別に欲しくねえよ俺は!」


「ははは! 何を言っているんだ。キミはそれでも立派な団員だろう?」


「団員……? ああ、もういいや」


 団員というのは宝積ほうしゃくルビィのファンネームだ。

 ちなみに俺は「好きなVtuberは?」と聞かれたら強いて団長の名を挙げるだろうが、決してファンではない。

 グッズなんかに手を出したらいよいよだろ……。


「よし! 今日はこめっとちゃんの挨拶を決めよう!」


「ああ、もうなんでもいいよ」


「わかりました!」


 今日も今日とてV研は平和である。


 ちなみに、鶴居がやっていた「おはよー(以下略)」というキチガイ挨拶は、Vtuber四天王の一人である月見かぐやが動画の冒頭に行っていた挨拶だ。

 ああ……俺が言うのもなんだけど、マジでせっかくのイケメンが台無しだからやめた方がいいよほんと。

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