第19話 じらいちゃんとV研の終わり

 キミは、女の子と一緒に街を歩いたことがあるだろうか? 

 もちろん、姉妹とか血の繋がっている人間を除いてだ。

 仮にあるとしよう。そこでキミは、一体何を話すだろうか。どんな心境になるだろうか。

 俺は、「ヤベえよこれ。こんな所知り合いに見られたらどうするんだよ。カップルとか思われたらマジでヤベえよこれ」とか思っていた。

 まあ、こんな所で出くわす知り合いなんていないんだけど。


 しかし、マジでヤバいのだ。もう色々ヤバい。

 まず、いい匂いがする。

 柔軟剤なのかシャンプーなのか香水なのか汗の匂いなのかはわからないが、とにかく大人っぽい淫靡いんびな甘い香りがする。

 マジでヤバい。やばたにえん。


 次に、歩くペースがわからない。

 当たり前だが、女性の歩幅というのはちっちゃくて、俺がいつものように歩いているといつの間にか離れていってしまう。

 ぼっちって無駄に歩くの早いからね。徒歩5分の所を3分で行けちゃうんだから。

 いらんなこの能力。マジヤバい。


 そしてなにより……話すことがない。というか、話しかけてこない。

 あれれ~? おかしいぞ~? 話したいことがあるんじゃないの~?

 と、心の中になぜかよく殺人現場に出くわす名探偵を登場させられるくらいには何も喋らなかった。

 なんだ? これは試されているのか? と、彼女の横顔を見てみると、それに気づいたのか、なぜかフフッと微笑んでくる。

 ……やはりわざとか、この女!

 いいだろう。いい加減男を見せてやらないとな。サトリ、いきまーす!


 三里川に架かる橋に差し掛かったところで、俺は意を決して口を開いた。


「いやぁ、暑いですね」


「そうだね」


「…………」


「…………」


 お、オワッタ~!! 俺の会話スキルなさすぎだろ!? 

 なんでこういう時にすぐ天気の話しちゃうんだよ! 会話膨らまないんだからもっと別の話考えろよ!


「あ、ああ……ナツい。アツはナツいなぁ」


「?」


「いやぁ、暑い暑い言ってるとほんとに暑くなってきちゃいますからねー。ナツいって言った方がいいかなー……なんちゃって」


「……くふっ」


 よし!! 笑ったぞ! もうこれは芸人になるしかないな! 

 ……ってならねーよ! 

 なんてノリツッコミもできちゃう俺。面白い男はモテ(以下略)。


 俺が心の中で女性を笑わせられた喜びを噛みしめていると、突然らいかが一歩大きく踏み出し、振り返ってこう言った。


「私、V研が好きなんだー」


 そより。川の上には風が吹き、フレアスカートをゆらゆらと揺らす。


「V研のみんなのことも好き。あ、もちろんさとりんもね」


 傾いた太陽がその頬を照らし、ほんのりと朱に色づいていた。


「お、おお……」


 勘違いするなよチェリーボーイ。

 この「好き」ってのは異性として好きとかそういう意味じゃないからな。友達的な好きだから。

 いやそれでも十分嬉しいんですけどね。


「ここでクイズです!」


「……え?」


「今日ルイルイはこめっとちゃんのデビューが『V研最後の活動』と言っていました。それはなぜでしょう? シンキングタ~イム、スタート!」


 大げさに手を動かし、俺の方に向けてくるらいか。

 ルイルイってのは鶴居のことだろう。なんか上野のパンダみたいな名前だな。ちょっとかわいい。


 それより、V研最後の活動……か。確かにそんなことも言ってたかもな。

 しかし、俺になぜと聞かれてもなあ……。


「チッチッチッチッチ、あと10秒」


 らいかは秒針のように指を振りながらだんだん迫ってくる。


「ヒント。ルイルイは4年生だよ」


 近い。近いよお姉さん。


「じゃあ……あいつは3月でいなくなるから、あいつにとって最後ってことなんじゃないですか?」


 素直に思いついたことを回答する。


「うーん、半分正解。残りは?」


 そんなことを言われましても。皆目見当もつかない。あと近い。


「ボーン! はい残念~。時間切れ! 正解は――」


 そこで一度遠くを見て、らいかは答えを口にする。


「私にも……わからない」


「……へ?」


 なんだそりゃ。クイズになってないですよそれ。


「でも一つ言えるのは、彼がいなくなったら、V研をまとめる人がいなくなるってこと」


 そりゃそうだろうけど……。


「らいかさんとか……こかげにひなたもいるじゃないですか」


「そうだね。でも、たぶんこれ以上人は増えない。ルイルイも全然そういう話しないし……集める気もないんだと思う」


 そう話す彼女の顔は、もの悲しげで、いつもの明るい笑顔はすっかりどこかに隠れてしまっていた。


「じゃあ、らいかさんがやればいいじゃないんですか?」


 見た目はお姉さんだが、この人も確かひなたと同じ2年生のはずだ。


「私ね、そういうの向いてないんだ」


「ああ……まあそうかも」


 現にこうして男を遊び道具のように扱っているわけだしな。俺みたいなドMじゃなきゃ相手してらんないもんね。

 ……誰がドMだって? 俺はSだよSatoriだもの。


「ひどいっ! キミは女の子に向かってそういうこと言っちゃうんだ!?」


「まあ」(女の子って言うかたぶん年上だし)


「最低! もう帰る!」


 プンスカ歩き出すらいかさん。

 いや既に帰ってる途中なんですけどね。

 女ってめんどくさいね。特に年増……としまえん!


 俺もその背中を追って歩き出す。


「ありがとね」


 と、前方から脈絡もなく感謝の言葉が飛んできた。


「へ?」


「こかげちゃんとひなちゃんのこと。さとりんがいなかったら、今頃あんなに仲良くできてなかったと思う」


 なるほど……? ……なんで?


「ほら、ひなちゃんってVtuberのこと嫌い……っていうか、バカにしてるから、こかげちゃんにもよく当たってたんだよね」


 まあ……そうなんだろうな。それでもあいつがVtuberやってるのは、きっと大好きな先輩のためってことなんだろう。


「でもそれは……今でもそうなんじゃないですか?」


「ううん、今はだいぶ柔らかくなったよ?」


「マジすか」


 あれで柔らかいとか、前はどんだけきつく当たってたんだよ。

 よく耐え抜いたな俺の妹。えらいえらい。


「だから、私もなんとかしなきゃって思ってたんだけど、何をすればいいのかわからなかったんだー」


 彼女はそこで足を止め、俺の方を振り返る。


「そんなときにキミが現れて……ううん、キミが話しかけてくれて、こかげちゃんのお兄ちゃんかもってわかって……つい、頼っちゃった」


 橋の真ん中で微笑む彼女の姿は、いつかの妹の姿と重なるものがあった。


「そしたら、なんとかなっちゃった。あはは。キミってすごいね」


「そんな……俺はただ、妹のために動いただけですよ」


「そっか。でもすごいよ」


 そう言ってもらえると心が救われるが……じっと見つめられるのが恥ずかしすぎて、もはやその顔に視線を合わせることができない。だから近いって。


「俺は……ただ、妹に理想を押し付けてただけなんです。Vtuberになるとか変なこと言ってないで、普通の大学生らしい楽しみ方を覚えろと、飲み会に連れて行っただけで……それがたまたまあいつらの仲を深めることになっただけですよ」


「うんうん。でも、今はこかげちゃんがVtuberになることを手伝っている……なんで?」


「それは……こかげにとってのVtuber――蜜柑月みかづきみかんとか星葛ほしくずきらりとかが、俺にとってのアニメと同じなんだろうなって思えたからです」


「というと?」


 らいかはさらにグッと近づき、瞳の奥を覗いてくる。

 むぅ……耐えるんだ俺! ここは真面目な場面だぞ!


「俺は……万年ボッチだし、彼女もいないし、大学デビューも失敗したし……これまでの人生、ろくなことがありませんでした。でも、どんな時もアニメを見れば楽しくて幸せになれて、明日からまた頑張るかって思えた」


 今にも噴き出そうな恥ずかしさをこらえ、目の前にある琥珀色の瞳を見つめ返す。


「だから、俺もアニメに救われてきたから、こかげが誰かにとってそういう存在になれたなら……って思えたんです」


 そうなんだ。と、らいかは俺の言葉を反芻はんすうするように呟いていた。


「まあ、あいつがそこまで考えてるかはわからないですけどね」


 ニヒルに笑ってみせるが、反応は返ってこない。

 恥ずかしいからなんか言ってほしい。


「あの……」


「あ、うん。いいんじゃないかな! キミって案外いい男なんだね!」


「あ、どうも」


 何がいいのかはわからないが、ほめられたので良しとしよう。

 お姉さんバンザイ。


「でも、なんでこんなにいい男なのにモテないんだろうね?」


「ですよね。世界の七不思議レベルで不思議です」


 ほんとフシギダネもびっくりの謎である。ちなみにびっくりドンキーのハンバーグはおいしい。世界ふしぎ発見。


「みんな見る目がないんだねー、きっと」


「ですよねー」


 ほんと。この世の女の目はみんな腐っていやがる。やっぱりDHAが足りてないんだよ。男食ってる暇あったら魚食えっての魚……さかなー! ちんあなご~。


「私は好きだけどなー、キミのこと」


 そうそう。魚の中でもキスをクエって…………? キス……? じゃなくて好き……!?


「ななななな……!」


「あはは! また赤くなった~」


「そ、そうやってうぶな男をもてあそんで……! わかってますよ! 女が言う『好き』ってのは『可愛い』と同じくらい信用ならないんですから!」


「ええ~? どうかな~?」


 クッ……! なんで俺はこんなことされてなお「この人可愛い結婚したい」とか思えるんだ! Mなのか? やはりドMなのか悟! ただ遊ばれているだけだということに気づきなさいっ!

 ……いやでも、遊びの恋ってのもなかなか……。


「とにかく、一緒に頑張ろうね! V研最後の大仕事……みんなのために……自分のために!」


 小悪魔のようであり、天使のようにも見える破壊力のある笑顔だった。


「お、おうよ!」


 この人が俺のことを本当に好きなのかどうか。そんなことは置いておいて、この人のためにも、俺はできることをやりたい。そしてまた、こんな風に笑っている姿を見たい。

 そう思えた。


「よし! じゃあ夕日に向かって走れ!」


「はい! ……先輩! そっちは東です! 夕日は逆です!」


「今のはキミを試したんだ! よし! 今度こそ行くぞ!」


「はい! ……先輩! でもそっちは帰り道と逆方向です!」


「よし! …………じゃあ普通に歩いて帰ろうか」


「はい! ……先輩! なんかギャラリーから変な目で見られている気がします!」


「そんなこと気にするな! そんなんじゃVtuberなんてやっていけないぞ!」


「はい!」


 ――なんて、くだらないやり取りを繰り返しながら駅まで歩いた。


 Vtuberというのはしごく変わっている。Vtuberに関わる人も変わっている。

 上地らいかという人間も、かなりの変人だと思う。何を考えているのかほとんどわからない。おまけに年齢もわからない。本当に大学生なのかと疑いたくなるくらいに物事を達観しているような気がする。

 それでも。

 それでも俺は――この人のことが好きだと思う。

 もちろん、恋愛云々うんぬんの話ではなく――1人の人間として。こかげのことを大切に思ってくれているいい先輩として。

 だから俺も頑張ろう。彼女のことを見習って、前に進んでみよう。


 きっとまた、うまくいく。

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