第15話 夜空を見上げ、彼女は願う。

問:あったかくてやわらかいもの、な~んだ?

答:おっぱい!


 おっぱいおっぱいおっぱおっぱいおっぱいいおっぱいおっぱいいっぱいおっぱいおおいいおっぱいおっぱ

 YES……OPPAI.


 ――いかん。おっぱいの魔力で頭がたるんたるんになっていた。

 なぜこんなことになっているかというと、俺の背中がおっぱいだからだ。

 ……違う。今、俺の背中にはたわわなおっぱい(Cカップ)が押し付けられているのだ。宮崎駿風に言うとジブリがおっぱい。乳の下のボイン。坂上乳首麻呂……それは違うか。乳首麻呂ってなんだよ。


 耳をすませば、スースーと寝息を立てる妖艶ようえんな息遣いが聞こえてくる。

 そして歩くたびに揺れるおっぱい。自分の息子を立ち上がらせまいと踏ん張る俺。そして、夜のビル群に見とれながら横を歩く妹。

 つまり、俺は……酔いつぶれたひなたをおぶって駅までの道のりを歩いていたのだ。

 ちなみに臭い。超酒臭い。そのおかげで、俺はおっぱいプレス攻撃を受け続けてても正気を保っていられたまである。

 こうしてさとりの純潔は守られた。おっぱいに感謝いっぱい。


「んふふぅ……ちゅきぃ」


 急に顔を上げて誰かさんへの愛を漏らしては、またガクンと落ちて寝始める。そのたびに首筋にさらさらとした感覚がして、新たな領域を開発されそうになる。


 もうやだ……この子段ボールにでも入れてそこら辺に置いておけばいい人が拾ってくれるんじゃないかしら? うちのアパートペット禁止だし……ねえ?


「はぁ……」


 ため息をしながら横を見てみると、こかげは何かに憑りつかれたように一点を見つめていた。


 元はと言えばコイツも悪いのだ。

 店を出た瞬間「やだぁ! ひなもう歩きたくない! おんぶしてよおんぶ!」とお菓子を買ってもらえなかった子どものように駄々をこねられ、俺がどうすればいいんだと頭を捻っていると、こかげは笑いながら一言。


「おぶってあげれば? そんな経験、一生できないかも」


「確かに……!」


 確かにじゃねえんだよ……! 

 ちょろすぎんだろお前。チョロQもびっくりだよ。ちなみに僕はマリカーよりゲームボーイのチョロQの方が好きでした。

 じゃなくて! 妹にこんなこと言われたら誰だって言うこと聞いちゃうだろ? そうだよな! 

 ……そうって言え! 

 爽! とスーパーカップの違いがわからない。


「――おっきい」


 そうだな。いくらCカップとはいえここまで押し付けられていたらおっきいと言わざるを得ないな。恐るべしパイパイ。


「あれが、テレビ塔……?」


 ああ……なんだそっちか。

 こかげの視線の先を見ると、1/3スケールの東京タワーみたいなものが立っていた。側面には大きなデジタル時計が付いていて、時刻は11時を指している。


「見るの初めてか?」


「うん……」


「そうか」


 俺が初めて見た時は「なんだ案外小さいんだな」と夢もないことを思っていた気がする。

 実際、周りを囲むビルの背が高いせいで、テレビ塔の存在感は朝礼で後ろから3番目に並ぶ人くらいなものなのだ。これで果たして電波塔の役割を果たせているのかと疑問に思うが、家のテレビは問題なく映るのでたぶん大丈夫だ。


「こかげ」


「ん?」


 俺が呼びかけると、こかげはしゅるっとこっちを向く。


「ちょっとそこらへんで休んでいいか?」


「いいけど……もう駅じゃないの?」


「それはそうなんだけどな……いかんせん重イィ!?」


 ブスッと、脇腹を殴られた。正確に言うと、硬いスニーカーの先で蹴られた。


「スヤー」


「……お前本当は起きてるんじゃねえだろうな?」


 まあいいや。女の体重の話はご法度ですもんね。

 そうですよ。キミの体重なんてりんご3個分ですよ。チョー軽い。軽すぎて空も飛べるんじゃないかって思えるもの。

 ……待てよ? りんご3個分って身長の話じゃ…………マイメロわかんないっ!


「スピー」


 テレビ塔のある一帯は「大通おおどおり公園」と呼ばれる公園になっている。

 花壇や噴水なんかもあって、まさに都会のオアシスって感じだ。

 夏にはよさこい、冬には雪まつりなんかも行われて、リア充がゴミのように集まる、この世の終わりのような場所だ。

 ……あれ、なんか真逆のこと言ってるね。


 深夜の大通は、酔いつぶれたサラリーマンが寝っ転がっていたり、パリピの若者がウェーイしていたりと色々カオスだったが、俺は運よく空いていた近くのベンチにひなたを落とし、ぐったりと背中の力を抜いた。こかげもその横に座る。


「あぁーつかれたー」


 腰を下ろすと、溜まっていた疲労が一気に押し寄せてくる。


「おつかれさま」


「お前もな」


 んへへ。こかげは優しく微笑んでいた。


「楽しかったか?」


「うん……まあ。いろいろ」


 まあ……か。


「それに……いい経験だった。雑談配信とかで、話せそう」


 ああ。お前はどこまでいってもそういうやつなんだな。頭の中にあるのは、Vtuberのことばっかりなんだろう。


「それはよかった」


「……うん」


 爽やかな夜風が流れ、火照ほてった体を少しだけ冷やしてくれる。遠くには夜の街の賑やかな音が聞こえ、横からは気持ちよさそうな寝息が伝わってくる。

 こかげはふと夜空を見上げ――こう呟いた。


「きれい」


 札幌の夜はあまりに明るく、星空はほとんど見えない。だから彼女が何を「きれい」と言ったのか、俺にはわからない。


「悟さん……前言ってたよね?」


「ん?」


「『俺は絶対にいい大学入って、ハイスペックな女にモテまくるぞ』って」


「……言ったっけ?」


「言ったよ」


 なにそれ、その時の俺痛すぎない? 

 ……え? 今も十分痛いって? 

 やかましいわ!


「わたし……すごいなーって思った。わたしには、そういうのなかったから……それで、ほんとにいい大学いっちゃうし」


「そんなにほめられたもんでもねえよ……」


 俺にはそれくらいしか取り柄がなかっただけなのだ。

 ちょっと人より勉強ができるから進学校に行って、でも彼女はおろか友達すらろくにできなくて、現実から逃げるようにアニメを見て、また青春に憧れて、いい大学に行けば楽しいキャンパスライフを送れるだろうと思い込んで、必死に勉強して…………。

 ただそれだけのことだ。ほめられるようなことではない。

 勉強する動機が不純すぎるし、何より――


「結局上手くいかなかったんだ。まあ、大学に入ったら勝手に彼女もできるとか思ってた俺が馬鹿だったんだけどな」


「そっか……それは、残念……」


 俺が大学に入って学んだことはただ一つ。現実はそう甘くないということだ。

 隣の家に住んでて毎朝迎えに来てくれる昔からの幼馴染はいないし、人生に疲れた所で都合よくトラックにかれて異世界に行くこともできない。

 だから高すぎる理想を諦め、現実を受け入れ、社会に迎合し、そこらへんのモブAとして生きていくことが、俺にはお似合いなんだろうと思う。

 なのに未だ現実を受け入れきれず、学生なんてものを続けている俺は、やはり決してほめられた人間ではない。

 こかげには悪いが、俺はそういう人間だ。


「でも、お前には……頑張ってほしい」


 そんな無責任な俺の願いが、彼女の耳に届いていたかどうかはわからない。

 ただ、こかげはもう一度空を見上げて、


「ねえ……もし、いま星が流れたとしたら……悟さんはなんて願う?」


「え……?」


 流れ星なんて流れるわけがない。流れたとしても、こんな所じゃ見えるわけがない。

 そう思ってしまった。



「わたしはね――星になりたいって、思う――」



 こかげが見つめるその先には、ひっそりと光る名も知らない一つの星があった。

 他の星たちは都会の明るさに負けて姿を見せずにいても、その星だけは確かに輝いていた。

 現実に疲れ、ふらふらと家に帰る大人にはきっと見つけられらない、普通に歩いていれば誰も気に留めないような小さな星。でもゆっくりと空を見渡してみれば、そこにはちゃんと自分のことを照らしてくれる星があって、ちょっと立ち止まってみたくなる。

 きらきらと輝いて……そこから何かもらえるような気がする。その「何か」は、きっと人によって違うのだろう。

 俺は少し、元気をもらえたような気がする。


 そんな星のことを――まっすぐに見つめていた。

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