第14話 みみなめえーえすえむあーる?
女子の恋バナというものは、きっと甘酸っぱいんだろうなと思っていた。
しかし、それは幻想だった。そんな美味しいとちおとめみたいな味ではなかった。練乳たっぷりのけずりいちごみたいに甘ったるかった。
女子って修学旅行の夜とかこんな胃もたれしそうな話してんの?
男なんてほとんどわい談しかしてないよ。昼間会った女子高生のパンツは何色だとか、アイツのアソコは緩そうだとか。
まあ、うち男子校だったから恋バナなんてできるわけがないんだけどね。
それはさておき、なぜ俺がそんな話を聞かされたのかというと、ひなたがVtuberをやっている背景には、一人の男がいたからだ。
ひなたはその男を「先輩」と呼んでいた。
それでまあ……端的に言うと、ひなたはその先輩の気を引くためにVtuberをやっているのだという。乙女ですね。「♫」←これは音姫。
それ以上詳しいことは覚えていない。酔っていたというのもあるし、延々続くのろけ話に耐えきれなかったというのもある。
……いや、ほとんど後者だな。めんどくせえからさっさと付き合えばいいだろ、尻軽そうなくせしてピュアな乙女心見せつけてくんなよ危うく好きになっちゃうだろ……なんて思っていた。
違うから。この時は酔っぱらってたから。多少顔が良くてヤラせてくれれば誰でもいいやって思ってただけだから。
……なんか言い訳したら余計クズっぽくなったな。まあいいか。クズってなんか高い和菓子とかにも使われてそうな名前だし。
「だ・か・らぁ、Vなんてやってもいいことなんて一つもないのぉ!」
すっかりできあがったひなたは、飲み屋で出会った若い男に仕事の不満をぶつけるおば……OLのようにこかげに絡んでいた。
「毎日キモいオタクのためにどうでもいいツイートしなきゃいけないし、リプは返さないとすぐにヘラるし、それで『今日もありがと~♡』とか送ったら『最近ツンデレキャラ崩壊してますよね』とか言われるし……うっせぇ! そっちの方がお前らが喜ぶから
それはお前の性格が終わってるからそうなるんじゃないのかとも思ったが、火に油を注ぎそうなので胸の内に抑えておく。
ちなみに、「スパチャ」っていうのはリスナーが金を払って送るコメントのことらしい。投げ銭とも呼ばれているらしいんだが……要するに「金払うから俺のコメント呼んでくれ」ってことだろう。キャバクラで言うドンペリみたいなものだろうか……俺には理解できない世界だ。
「でも……たるちゃんって最近ツンデレっていうより、デレデレになってきてる」
「い、いいのよ! だってそっちの方がコメントも増えるしアイツらだって喜んでるんだから!」
「でもさすがに…………耳舐めASMRは」
「ちょっとぉ!!」
みみなめえーえすえむあーる?
「なんだそれは?」
不思議と興味をそそられる言葉の意味を尋ねると、こかげはにやりとしたり顔になって
「すっごくえろいよ」
「今すぐ見よう」
「アァァーー!!!!!」
机に置いてあったスマホを触ろうと右手を伸ばしたが……ひなたの手が、がっしりと俺の腕を掴んでいた。
ほんのり温かくて、やわらかい。
「もう調べなくていいから! てかあれは非公開にしてあるから!」
「ちぇ……つまんないの」
握られた腕の脈が速くなる。
俺の胸がドキドキしているというわけではない。ひなたの握る力が強くなったのだ。まるで血圧計る時の最後の一押しって感じだ。
あれって結構キツいよね。
「ア、アタシの話はもういいから! それよりアンタの話を聞かせなさいよ! 木下こかげ!」
「え……? でも……」
こかげは心配そうに、青くなった俺の腕を見つめている。
「でもなによ?」
「そろそろ離してもらえませんかね?」
「……!」
ひなたはハッと我に返ったように握っていた手を離した。ジーンと止まっていた血が流れ出す感覚がする。
あーもうあれだよこれ。手の
「うわ……」
フーフーと自分の手を吹く最低女。まるで汚いものでも触ってしまったかのような顔をしている。
おい! おたるたるのファンどもよ! こんなの今すぐ低評価アンド登録解除した方がいいぞ! お前ら裏ではこんな扱い受けてるんだぞ!
「そ・れ・よ・り! アンタこそなんでそんなにVなりたいって思うのよ?」
「え? ……Vtuberになりたいから、です」
「それじゃあ答えになってないでしょ……」
ヤダ。俺もこの女と同じこと思っちゃった。死にたい。
いや、こんな所で死ぬわけにはいかない。俺にはまだやり残したことが……あるか? ヤリ残したことならあるけどね。せめて一発
「なんでVtuberなのかって聞いてんのよ! 有名になりたいとかなら別にVじゃなくてもいいでしょ?」
「ああ」と、やっと意味がわかったというようにうなずき、こかげはこう続ける。
「わたしは……別に有名になりたいわけじゃ、ないです」
「じゃあ、どうなりたいんだ?」
こかげは俺とひなたを交互に見ながら、ゆっくりと答える。
「わたし……勉強もできないし、運動もできないし、人付き合いも、上手くないし……夢も目標もないし……友達だって、できなくて……」
それはきっと……コロナせいもあるのだろうが、こかげはそんな言い訳をしなかった。
「あーつまんない人生だなーって、思って……。わたしって、なんのために生きてるんだろ……このまま死んでいくのかなって……」
……………………。
「そんなとき……みかちゃんの動画を初めて見て……すっごく明るくて、楽しそうで」
「でも、みかちゃんも昔はわたしみたいに暗かったって聞いて……わたしは――」
「――みかちゃんみたいになれたら人生楽しそうだなって、思えたんです――」
俺は蜜柑月みかんのことをよく知らない。
Vtuberの中でもかなり人気がある方で、最近はテレビやラジオにも出ているマルチなVtuberってことぐらいしかわからない。こかげだって彼女のことをどこまで知っているのかはわからない。
彼女だって、表では楽しそうに見せているだけで、見えないところではどんなことを思っているかはわからない。それこそ、ひなたみたいにどこかで誰かの恨みつらみを愚痴っているのかもしれない。
エンターテイナーというのは得てしてそういうものなんじゃないだろうか。
だから俺には、こかげが思っているほどVtuberという世界は甘いものではないんじゃないかと思えてしまう。俺たちが見ることのできないモニターの向こう側には、華やかさの欠片もない、『ウラ』の世界が広がっているんじゃないか……。
ならばこかげは今まで通り、リスナーとして、彼女らの見せる「楽しそう」な所だけを受け取っていればいいんじゃないか。そう思った。
ただ、こかげは真っすぐに前を見つめて――
「だから私はVtuberになりたいんです。いつか有名になって、みんなからチヤホヤされたいです」
チヤホヤされたい、ね……いい夢じゃねえか。
「ん? さっき有名になりたいわけじゃないって言ってなかったっけ?」
「あ……ほんとだ。わたし、やっぱり有名になりたかったんだ」
なにそれ? とひなたは笑う。
それにつられたのか、こかげもクスクスと笑い出す。
なんだかコイツら姉妹みたいだな……なんて思った。もしくはこういうのを本当の友達と言うのかもしれないな。
……良かったじゃねえか。
「そらさん」
こかげは一度呼吸を整えると、ひなたの方を向きながら立ち上がった。
「なによ?」
「改めまして……『ほしみこめっと』のデビューに協力して、ください。ツイッターのやり方とか、チャンネルの設定とか……色々教えてください」
そして、深く頭を下げていた。
ひなたは座ったまま、どこか偉そうに腕を組み、
「しょうがないわね」
まんざらでもなさそうな表情だった。
「ほんとに……?」
こかげは顔を上げて、ひなたの目を見つめる。
「ま、まあ? アンタを人気にしたら先輩も喜んでくれるだろうし」
「やった!」
ぎゅっ――と、抱きついていた。
ひなたは一瞬体をのけぞらせたが、やれやれと首を振り、今度はこかげの頭を優しく叩いていた。
……ねえ、雰囲気ぶち壊すこと言っていい?
これが百合マンガだったら、こかげが攻めでひなたが受けだよね。かげひなは安定の組み合わせだと思います。
というか羨ましいなオイ。そこのビッチ場所を変わりなさい!
「そうね。じゃあ、まずはツンデレとはなんたるかを」
「それはいい、です。わたしツンデレとか向いてない、から。ツンデレはもう、時代遅れ」
「「時代遅れ……?」」
やだ。ハモっちゃったよ。俺たちって案外相性いいのかもね。
……それはないか。
「やるならせめてヤンデレ……」
おいおいおい、コイツは本当に俺の妹か?
「よしわかった。今度は俺がお前たちにツンデレの良さを教えてやろう」
俺の妹の桐乃しかり、五花の二乃しかり……ツンデレはいつだって俺たちの青春なんだよ! それを馬鹿にするヤツは妹でも許せない。
「ツンデレキャラはやっぱ竹達さんに限るよな!」
「「……は?」」
何度でも言おう。俺はこの時酔っていたので思考回路もテンションもおかしくなっていのだ(ずんだもん風)。
「キモ田中の話はどうでもいいけど、ツンデレが時代遅れってどういうことよ!」
「それは、だって……」
二人は立ち上がったままガミガミと言い合いを始め、一人取り残された俺は残った枝豆を片付けて、店員さんが持って行きやすいようにグラスと一緒にまとめておいた。
わぁおなんて優しいんでしょう。俺が女だったら
あ、あとね、俺の名前田中じゃなくて木下だから。
嘘をついててごペンなさい。これは木下ベッカム。
……女子大生には絶対伝わらないから言わないけど。
………………………………目からビーム!!!!!!!!!!!!!
納戸でも硫黄。このときのオレは世って――――――。
とにかく、こうして木下こかげは――新たなVtuber、『ほしみこめっと』デビューへの道のりを、一歩踏み出したのだった。
この後の会話はマジでどうでもいいことしか話していなかった気がするので割愛します。
反省会おわり!
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