第7話 妹とチョコレート
このムラではヒグラシなんて鳴かないのです~。にぱー。
――嘘だ!
嘘じゃない。本当にヒグラシなんていない……ここ北海道には。
ついでにヒガンバナも咲かない。蚊もそんなにいない。だから日本の夏という感じがしない。日本ここにあらず。
……蚊はいなくていいんだけどね。
つまり何が言いたいのかというと、夕方になったということだ。
飲み会に行くことが決定した後、ひなたがその飲みサーの奴に電話して即OKされて、場所と日時を伝えられて……。後は、特に何もなかった。
ひなたとらいかはまたパソコンに戻りあーだこーだと言い合っていたので、俺とこかげは二人仲良く会話をしていた。
……仲良く……ね。
会話の内容は、家族の話とか地元の話とか……まあ、色々だ。
俺はこういう時自分から趣味の話はしないと決めている。なぜかって、絶対に盛り上がらないからだ。自分の好きなアニメの話をしても、十中八九タイトルを言った時点で引かれる。恐るべしラノベタイトル。軽々に口に出してはいけない。
そうなると会話のネタになるようなものはそんなにないわけで、結局天気の話とかし始めちゃうのだ。温暖化の話になった時はもうだめだね。いやぁ、最近暑すぎますよねー。とかどうでもいい感想しか出てこないんだから。それ以上会話広がらないんだから。
おまけに今回は相手がこかげだ。楽しいお喋りなんてそうそう続くわけがない。
そんなわけで、俺たちは女子二人を置いて帰ることにした。
あまりの気まずさに耐えきれなくなったのか、こかげの方から帰ると言い出してきたのだ。俺もそれに便乗して一緒に帰ることにした。
なにこの兄妹。へんなの。
「そういや、結局相談ってなんだったんだ?」
国道沿いを歩きながら、ふと思い出した。
「うん……あれは、もういい」
妹の声は、ビュンビュンと横を飛ばす車の音にかき消されてしまいそうな小ささだった。
「そうか」
話の流れから察するに、おそらくVtuberに関する何かだったのだろうが、どのみち俺はそっち方面に明るくない。相談された所で大した答えもできなかっただろう。
ってことでまあいいや。
背の低いマンションやスーパーが並ぶ道を抜けていくと、割と大きな川にぶつかる。橋の上から下を覗いてみると、河川敷で走り回る子どもたちと、それを見守る大人の姿が目に入った。
「なんか、父さんが心配してるみたいだぞ」
妹を救出せよ。
母がそんなメールを送ってきたのは、父から頼み込まれたからなのだそうだ。
「……そう」
こかげはその足を止めることもなく、ただ前に歩き続ける。
「連絡くらいしてやったらどうだ?」
「……なんで?」
「なんでってそりゃあ……心配だからだろ。俺が父親だったら、もし遠くに行った一人娘からパタリと連絡がこなくなったら、悪い男にでも捕まったんじゃないかって夜も眠れなくなると思う」
こかげがあの父親に対して何を思ってるのかは知らないけどな……。
俺は至極真面目に答えたつもりだった。
「ふふっ、なにそれ」
初めて笑ってくれた気がした。
そんなことで笑うんだな……やっぱり女心はよくわからん。
「おう。なんなら現実逃避に夜の街で新しい女でも捕まえちゃうかもしれないね。だから、せめてラインくらいは送ってやった方がいい」
「うん…………わかった」
口角を上げたままゆっくりとうなずくこかげ。
橋を横切る風が、さらさらと長い前髪をどかしてくれる。西日に照らされたその笑顔は、少し子どもっぽく見えた。
……こんな妹の姿を見たのは、いつぶりだろうか……。
「あ、ちょっとコンビニ」
橋を渡りきると、こかげが思い出したように呟いた。
「はいよ」
妹とコンビニなんていつぶりだろうか……そもそも、俺は果たして妹と一緒にコンビニになんて行ったことがあったのだろうか。
なんて思いつつ、軽い足取りで中に入っていく妹の背中を追いかける俺だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「涼しー」
夏のコンビニに入れば誰しも、一度立ち止まってエアコンの涼しさを味わうものだが、うちの妹は違う。俺が店に入った時には既に目的の売り場に着いていて、何かを食い入るようにじっと見つめていた。
「今日からだったんだよね~」
やたら上機嫌なこかげが手に取ったのは、なにやら色んな女の子がパッケージに描かれたチョコレートだった。そのなかには一人、見覚えのあるヤツもいる。
「さっきの……みかんだっけ?」
「そう! このみかちゃんも可愛いでしょ! でもみかちゃんだけじゃなくてみんな可愛いんだけどね! これ、全員ハロライブの子なんだよ!」
「へ、へえ」
やはりこかげはVtuberのことになると舌が良く回るようになるらしい。おまけに目もキラキラ輝かせている。
「でね、このパッケージだけでも買う価値は十分にあるんだけど、それだけじゃあないんですよ。奥さん、何が入ってると思います?」
「え……チョコ?」
「そう思うでしょ? もちろんチョコは入ってますけどね……なんと! メンバーのメッセージ入りマグネットも入ってるんです!」
い、要らねえ……と思いつつも。
「わあすごい」
「誰が出るかは開けてからのお楽しみ! さあお兄さん、お一ついかがですか?」
どっかの企業さん、Vtuberグッズの通販番組とかあったらうちの妹にやらせた方がいいと思います。ちゃんとメイクとかしてあげれば見た目も可愛くなると思うんで。
「ちなみにおいくらですか?」
「お値段なんと、700円!」
「たっか!?」
チョコ1箱に700円だと!? こないだのウエハースといい、この業界はどんだけ強気な価格設定してんだよ。ゴディバもびっくりだよ。
「なに言ってんの? たったの700円でハロライブメンバーのマグネットが手に入るんだから、安いでしょ。転売とかされたら千円じゃすまないんだから!」
ああ。こういう人がいるから商売成り立つんですね。ビジネスってそういうもんですよね。こわいこわいまんじゅうこわい。
「で、お前は買うのか?」
「もちろん」
腕を組んで、なぜか得意げに鼻息をフンスさせる妹を見て、ふと思いついた。
「それ……俺が買ってやろうか?」
兄としての威厳を見せてやりたいと思ってしまったのだが、
「え……いや、別に」
普通に拒否られた。
…………そんなばかな。
「いや遠慮なさらず」
「いいよ。自分で買うから」
「いやいやいやいや」
「だから……!」
「いやいやいやいやいや」
「ほんとにいいです。わたしが自分で買いたいんです」
マジな目で拒絶されてしまった。
「そうか……。まあ、そこまで言うならいいけどさ」
俺が横で(´・ω・`)←こんな顔になってしょんぼりしている中、こかげは手に取っていたチョコをそのままレジに持って行ってしまった。
というかしょぼんってよく見ると言うほどしょんぼりしてないよね。そもそもしょぼんって古いよね。たぶん今の女子高生には伝わらないから気を付けろよ。
……誰得?
こかげがレジを済ませるのと入れ替わりに、今度は俺がそのチョコを一つ持って会計を済ませた。
「いらないって言ったのに……」
こかげは少しむくれた顔でそう漏らす。
「ばーか、俺の分だよ」
「……え?」
なんで? という顔だった。
自分でも驚いてるさ。自分でこんな高い金払ってVtuberのチョコなんぞを買う日がくるとは思わなかった。
けどな、
「せっかくだしな。一緒に開けようぜ? 何が入ってるかわからないんだろ?」
「――うん!」
その無邪気な笑顔を見て、俺はやっと兄貴らしいことができたような気がした――。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
コンビニから出て少し歩いたところで、俺たちは別れた。
こかげの家まで付いていこうかとも思ったが、特に理由もなくそんなことをするのは気が退けた。「この男、わたしに気があるんじゃ?」なんて思われても嫌だしな。
まあ……ないけど。
「わたし……ああいうのにはあんまり行きたくない、けど……頑張る」
別れ際、こかげはそんなことを言っていた。
「そうか。まあ俺も飲み会にはいい思い出とかないけどさ、お前をサポートできるようにせいぜい頑張るよ。何かあったら助けてやるさ」
「そっか……頼りにしてるね」
「おう」
トンッと胸を叩いてみせた。
なぜこかげがやる気になってくれたのかはわからないが、とにかくこかげにとっていい思い出になるよう頑張ろう。大学生らしい普通の幸せってのを、少しでも妹にわかってもらえたなら俺は満足だ。
そんなことを思いながら、一人帰り道を歩いた。
ちなみに、俺のチョコを開けて出てきたのは
なんて言ったらこかげに怒られそうだけど。
あげようか? とも言ってみたが、「いい」とすげなく断られてしまった。こういうのは自分でほしいのを出すからいいんだと熱弁していた。確かにその通りかもしれないなと思った。
――かくして、家の冷蔵庫には笑顔の蜜柑月みかんがチョコを一粒持ったイラストのマグネットが貼られている。
ったく、「はいあ~ん」ゃねえんだよ。なんでお前の手でドロッドロに溶けたチョコを食わされなきゃならんのだよ。
などど文句を垂れつつ、チョコを口に運ぶ。
「うっ……あま」
みかんのくせにミカン味とかじゃねえのかよ。甘ったるすぎんだろ、俺の初恋でももうちょっとほろ苦いぞこの野郎。
……ほろ苦どころじゃなかったわ。
嫌なことを思い出してしまったので、もう1つだけ口に運んで、残りは冷蔵庫にしまった。
俺は口の中でチョコを転がしながら椅子に座り、パソコンを開く。
「蜜柑月みかん、ねえ」
夜になっても暑さが抜け切らない部屋の中で、俺は独り、妹の推しがどんなVtuberなのかを調べてみることにした。
……ビジュアルはいいんだよなぁ。
東京に出てきて
さすがは俺の妹、選球眼が冴えてらっしゃいますな。
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