第5話 Vtuber研究会にようこそ
「あつい」
平日の午後、世のサラリーマンたちがエアコンの効いた室内でカタカタパソコンとにらめっこしている頃――俺は新札幌から地下鉄で2駅の所に降り立っていた。
ホームを出て、上から吹き込む風に立ち向かいながら、やっとの思いで地上に抜けた。……まあ、ただエスカレーターに乗ってただけなんだけどね。
しかし暑い。暑すぎる。太陽くん仕事しすぎ。俺を見習ってたまには休んだ方がいいよ。でも冬はもうちょっと仕事してね。洗濯物とか乾かないんだから。
『今日は道内も30度を超える地点が多く、今年一番の暑さとなるでしょう』
なんて昼のニュースでやってたさ。
わかる。お前らの言いたいことはわかる。「30度くらいで何言ってんだよ」って言いたんだろ?
俺だって元関東人だからな、北海道に来て一年目はチョロいもんだと思ったさ。
だけどな……暑いもんは暑いんだよ。慣れって恐ろしいねほんと。
つまり女の子慣れしていない俺はどんな女性でも可愛く見えちゃうってわけだ。不慣れってすばらしい。
ああ、早く文明の風に当たりたい……そう思いながら炎天下を歩いていた。
ちなみにうちのアパートにはエアコンなんて最新兵器は配備されてないぞ。これぞ北海道あるある。
どうだ! これがお前らの憧れる涼しい北国のハッピーサマーライフの実態だぞ!
空港から出た時に「あれ、北海道なのに暑くね?」とか絶対に言うなよ!
…………一人で何やってんだろうね、俺は。
既に夏休みということなのだろうか。大学に入ってもほとんど人はいなかった。
駅からは歩いても10分はかからない距離だが、辺りは住宅地が広がっていて、駐車場はやけに広い。まあ、よくある地方の私立ってところだな。
札幌厚別大学(通称「あつだい」)と言うらしい。
昨日らいかに言われた通り、B棟109を探す。
名前からして渋谷のファッションビルを想像してしまうが、そんな背の高い建物はこの大学にはない。札幌にもスクランブル交差点ならあるんだけどね。ヨドバシの前のとことか。
俺はいくつかある建物を見て回り、B棟と書かれた入口を見つけた。
ウィーンと自動ドアが開く。オーストリアよろしく壮大なオーケストラが流れてくるわけでもなく、ただ生ぬるい風がまとわりついてくる。
どうやら空調は効いてないらしい。……ぬぅ。
とことこと長い廊下を歩き、道沿いの教室を確認していく。
「107、108……これか」
109室は突き当りにあった。部屋の壁には窓もなく、番号が書かれたドアにも曇りガラスしかついていないので、中の様子は確認できない。
おそらく講義室かなんかなのだろうが、本当にこんな所に妹がいるのだろうか?
「…………」
ドアにくっついて耳をそばだててみるが、空気の音以外は何も聞こえない。
しょうがない、入ってみるか。と手をドアノブにかけようとした時、ふわっと大人っぽい香りが鼻孔をくすぐった。
「や」
「マトナデシコォ!!?」
見ると、いつの間にか横にはお姉さんフォルムのらいかが立っていた。
今日は薄手の白いブラウスにロングスカートが涼しげでちょっとエロい……じゃなくて。
「入らないの? なか」
中に入るって、女の子が言うとなんかエロいね……じゃなくて。
「いつの間に?」
「私、実は忍者の
くノ一の格好ってちょっとエロいよね…………もういいわ。
「マジですか?」
「うそ」
「ああ……」
なんてどうでもいい会話をしながら、俺はその扉を開けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……あ、きた」
予想に反してこぢんまりとした部屋の中央には長机を並べた島があって、端っこにはぽつねんとごついノートパソコンが置かれている。
こかげは机の奥、窓側に座っていた。
「おう」
辺りを見ると、8畳ほどの部屋の側面には本棚が並んでいて、壁際にはキャスター付きのわりと大きいホワイトボードが1つ配置されていた。
あとは地面付近にはごちゃごちゃと段ボールなんかが置かれていて……なんでこんなとこにバットがあるんだよ。だったらボールとグローブも探せばあるのか……?
磯野! 野球しようぜ! って感じだった。
そうだな……アニメでよく出てくる生徒会室をイメージしてくれればいいと思う。
にしても、アニメの生徒会ってどこも全然仕事してないよね。ただ生徒会とかこつけて部屋の中で男女仲良くお茶してるだけじゃん。
……それはちょっと違うか。でもそんな生徒会に憧れて役員に立候補しようかと思っていた時期が僕にもありました。でもよくよく考えたらうち男子校でした。無念。
もちろん、大学には生徒会室なんてあるわけなくて、だからこの部屋が何なのかはよくわからない。
「涼しいな」
「……エアコン」
があるんだから当たり前だろ。とでも言いたいのだろうか。
「……」
「外、暑くなかったか?」
「うん……まあ」
「そうか」
そこで会話が途切れる。
だめだ。やはりいざこかげを目の前にすると何を話していいかわからん。
「まあまあ座って座って」
その場で固まっていると、らいかが後ろから助け舟を出してくれた。
「さとりんはなに飲む? コーヒーでいい?」
「…………」
やっぱりその頭の悪そうな名前は気に入らなかったので、無言の返事で訴えてみた。
そんな恥ずかしそうな名前の人は知らない!
「コーヒーでいいよね? インスタントしかないけど許してね」
「…………」
「さとりんは砂糖とか要らないよね? 今切らしちゃってるんだよねー」
「…………」
「ねえ? 聞いてる?」
「あ……はい。無糖ブラックで」
つい答えてしまった。
やっぱりベリージェントルマンな俺には女子を無視することなんてできないよ。
あとそんな甘そうな名前の人は知らない。
「こかげちゃんは?」
「だいじょぶ、です。……これ、あるから」
こかげは手元に置いてあったパックの飲み物を掲げる。
「へえー、みかちゃんのジュースかぁ。何味なの?」
「ミカンミルク味」
「おいしい?」
「やみーです」
そう答えるこかげの瞳は、心なしか輝いているように見える。
「そっか! 今度私も買ってみようかな」
ほんとにうまいんかねぇ? なんて思いながらそのパッケージを見る。
そこではオレンジのアイドルっぽいフリフリの衣装を着たねえちゃんが、手のひらに乗せたミカンをこっちに向けていた。何かのアニメにでも出てきてそうなみてくれだが……どこかで見たような……?
「あ、私のことは気にしなくていいからね」
俺にはよくわからない会話で盛り上がっている二人の間でじっとしていると、ふいにらいかが話を切った。
俺には彼女がそんなことをする理由がわからなかったが、こかげは「うん」と小さくうなずき、じっと俺の方に目を向けた。
「さとり……さん」
「お、おう」
「こほん……。今日来てもらったのは、他でもない」
「おぉ……?」
こかげはしかめっ面になって腕を組み、ゆっくりと息を吸った。
まるでこれから「御社との契約は打ち切りだ」とでも言ってくる取引先のお偉いさんみたいな雰囲気だ。……就職したくないお。
「わたし……」
こかげは一度俺の目を見つめ直し、
「わたし…………Vtuberが好き」
突然の告白。
……いや、それはなんとなく気づいてましたけど。
「悟さんは……?」
こかげは少し俺の反応を伺い、長い前髪を揺らしながら尋ねてきた。
「何が?」
「Vtuber……好き?」
ここで嫌いと答えられる男がいるだろうか。いやいない。(反語)
本当に嫌いなわけではないんだが、別に好きでもないんだよな……興味がないっていうか……な。
「……おう! きずな
なんて言ってみると、こかげは頭の上からくるんと飛び出たアホ毛をピンピンさせ、
「知ってるんだ! じゃあ、この前のハロライブのライブとか見た!?」
目の色を変えて迫ってきた。
……ライブのライブ? ラブライブ……?
「…………すまん。俺本当はVtuberとかほとんど見たことないんだ」
その
「そっか……」
こかげはあからさまに肩を落とし、だらんと椅子に座り直す。
「ごめんな」
「別にいいけど……。でもVtuberを知らずに生きてるなんて、人生の3分の1は損してると思います!」
「へ、へえ……」
さも当然かのように言い切ってしまう妹を前にして、「そんな馬鹿な」とはとても言えなかった。
こかげは何かを考え込むように眉間にしわを寄せ、
「じゃあ、わたしが教えてしんぜます」
ぼそっと漏らした。
「え?」
なんて言ってますけどお姉さん? どういうこと? とらいかの方を見てみるが、「あ、お湯沸いた」と視線を逸らされた。都合の悪いことは聞こえないんですね。
「いやなら、いいけど……」
こんな状況で嫌だと言える男がいるだろうか。いやいない。
「あー、いや……なんだ、その……興味はあったんだよ、Vtuber。だから教えてくれ、Vtuberのこと」
「うん!」
待ってましたとばかりに、こかげは目を輝かせる。
「まず、こっちが
机の上に置いてあったぬいぐるみやらなんやらを指しながら説明を始めるこかげ。
こうなってしまったら最後、誰も彼女を止めることはできない――。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――わかった? Vtuberってすごいでしょ?」
「あーうん。すごいすごいー」(小並感)
約1時間に及ぶこかげの熱弁でわかったことを整理しよう。
・こかげの最推しは蜜柑月みかんという静岡みかんアイドル系(?)Vtuberであること。
・蜜柑月みかんはハロライブという大手Vtuber事務所に所属している超有名Vtuberであること(なんでそんなことも知らないの! ってめっちゃ怒られた)。
・星葛きらりというVtuberが歌っているステラとかという曲が大ヒットしていて、紅白出場も噂されているということ。
・こかげはいつかハロライブのライブにリアルで行ってみたいこと(バーチャルなのにリアルのライブってどういうことなんですかね)。
・ここは「Vtuber研究会」というサークルの活動場所で、こかげとらいかはその一員だということ。
・Vtuberは世界を救うということ(?)。
まあ、ざっとこんな感じだ。この他にもこかげの注目Vtuberの話をされそうになったが、さすがに覚えきれないということで今日の所は許してもらった。
しかし、妹がここまでVtuberにお熱だったとは……。
Vtuberのことになると急にじょう舌になるしよぉ…………正直これは悪い夢なんじゃないかと思ってしまう自分もいる。
ペチン! うん……別に痛くないね! 俺ってば非力!
「それでね……わたし……」
これが夢か現実を確認するために頬を叩いていると、こかげは椅子に座り直して俺の方をじっと見上げていた。
ああ……もういいよ。なんでもこい! 全部お兄ちゃんが受け止めてやる!
「今度、Vtuberになるの」
なんだ。そんなことか。別に驚かないよ? 母さんからも聞いてたしね。
ふーん。こかげがVtuberに、ね。いいんじゃない?
最近流行ってるみたいだしね、Vtuber。うん……。
……………………。
「いいわけないダロォォォ!!!!!」
――ごくり。……え?
「アッツゥゥゥ!!???」
なぜか口の中にアッツアツの液体が入っていた。普通に
「なにすんだ!」
「いやあ。だってさとりんぜんぜん飲まないんだもん。だからアツアツのを
だからなんでそのアツアツのコーヒーを俺の口にブッ込んだんだよ! と言ってやりたかったのだが……
「何騒いでんのよ? うっさいなぁ」
「うっせえ! こちとら妹の一大事なんだよ! 部外者は黙ってろ!」
「ハァ? てかアンタ誰?」
んだよ? 黙ってろって言ってんだろ!
と思いながら後ろを振り返ると――そこにはいかにも大学生っぽい女……女の子……ギャル? が立っていた。
「…………ん……誰?」
俺は全身から血の気が引き、脇からは冷や汗が噴き出しているのがわかった。
ヤッチマッタゼ!
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