第4話 妹との再会。おたるたるの配信。そしてボンバイエ。
月が変わり、8月になった。週末からはついに夏休みが始まる。
とはいっても、院生はそもそもが夏休みみたいなものなので、特にテンションは上がらない。
テレビをつければ、やれ「4年ぶりの花火大会」だの「4年ぶりのビアガーデン」だの言っているが、俺は海に行く予定も実家に帰るつもりもない。俺は今年も家でアニメざんまいをキメようと思っていたのだが……思わぬことが起きていた。
「じゃあ、お疲れ様です」
閉店後の事務所で、店長に挨拶をして店を出る。
ちなみに、うちのコンビニは夜9時までの営業だ。
電車はまだまだ残っているんだけどな……やる気のない店だとは思う。
東京じゃあ考えられないだろ?
これで少しは新札幌がどれくらいの街なのかってのがわかってもらえるんじゃないだろうか。
ちな北海道だと24時間やってないコンビニがままあったりする。特にあのフェニックスみたいな看板のカツ丼がうまいナントカマートとかな。
それはさておき、昨日「待ってるね」と言い残したらいかは、今日は店に来なかった。
あれはただ適当に言っただけで、やっぱり気が変わったからいいや、ということなのだろうか。
女の心はなんとやらっていうしな。最近ゲリラ豪雨とか多いし。
一応辺りを見回してみるが、それらしき人影は見当たらない。
「はぁ」
なんだか騙されたような気分になり、俺はいつものように北口に向かって歩き出す。道沿いにあるベンチも確認してみるが、やはり彼女の姿はない。
あんなに目立つ格好をしている人を見逃すわけもないしな。
俺は半ば諦めかけていた。
「ったく、いったいなんだったんだ……あの女」
とぼやき、さっさと家に帰ろうと歩を速めたのだが……
――グイッ。
パンツを掴まれた。きゃっ! えっち!!
というのは冗談で、パンツというのはズボンのことだ。パ↑ンツじゃなくてパ↓ンツね。オシャレさんが言ってた。
ちなみに僕のおパンティは白のブリーフ…………嘘だよどうでもいいよ!
パンツ談義はさておき……振り向くと、ベンチに座る二人の女性がいたのだ。
一人は長い髪を縛って肩の前に下ろした――ルーズサイドテールのお姉さんで、もう一人は何かのキャラTを着たいかにもオタクっぽい女の子……髪はボサボサで、ぴょこんとアホ毛が生えている。正直言って、ちょっと痛い子だ。
俺のことを掴んだのは、いかにも優しそうな雰囲気のお姉さんの方だった。
「あ……!」
俺は思わず、その人から距離を取っていた。
お姉さんは「逃げられた!」みたいな顔をして立ち上がるが、こんな人にいきなり触られたら誰だって反射的に動いてしまう。
「な……なんですか?」
そう聞くと、お姉さんはじっと俺の目を見据えたまま、一時停止する。
この人、涙ぼくろがちょっとエロいな……なんて思った。
涙ぼくろ……?
「妹ちゃん……連れてきたよ」
ん? どこかで聞いたことのあるような…………? というか今なんて言った?
「ほら、こかげちゃん」
お姉さんにこかげちゃんと呼ばれたオタクちゃんはさっきまでうつむいていたが、すっと立ち上がって俺の方に歩いてきた。
……
…………
……………………こかげ、ちゃん?
「ひさし、ぶり……です」
ゆっくり顔を上げ、俺の方を見る……だが、その目は伸びた前髪に隠れてよく見えない。
久しぶりと言われましても……ご無沙汰しておりますとでも返しておけばいいのか? いや、違うだろ悟。受け入れたくないのはわかるが、現実から目を逸らしてはならない。
「もしかして……こかげなのか?」
前髪を払って、一言。
「うん」
わぁ、きれいなまんまるおめめだぁ。
………………………………ふう。
そうか、そうか、つまり……そういうことか。
………………?
「ええええええええええええぇぇぇ!!!???」
紛れもなく、妹の声だった。妹の顔だった。
「お……え?」
いきなりの大声にあわあわと慌てた様子のこかげ。
「あ、え、あ、あ、う」
対する俺は壊れたロボットのような声を出すことしかできない。
だって、だってよぉ……! おま……えぇ!?
「あはは! やっぱり兄妹だね♪」
そんな様子を見てケラケラと笑うお姉さん。
やっぱりってなんだよ? それじゃあまるであなたが俺たちのことを前から知ってるみたいじゃあないですか!
「ら、らいかさん……!」
やめてくださいよ! とお姉さんに駆け寄る妹。
ちなみに、この時の俺はまだ上地らいかの名前を知らなかったわけで、
「というかあなた誰ですか? どっかで会ったことありました?」
「やだなぁ。そこでいっつも会ってるじゃん」
と指差す先は、さっき出てきたコンビニの方だ。
「昨日ぶりだね。年上好きの木下くん?」
「――――ダアァァァァァ!!!」
ボンバイエしそうな叫び声が出てしまった。
ちなみに俺の通っていた小学校では昼休みの時間に猪木の曲を流しながら校庭を走るっていう謎の風習があったんだけど……マジでどうでもいいから本題に戻るね。
「あはははは!」と笑うらいか。
「ちょ、ちょっと」と焦るこかげ。
だってしょうがないだろ! これがあのじらいちゃんと同一人物だって言うんだぜ!
してるかどうかすらわからないくらいのナチュラルメイクに、キレイに透き通った茶色い瞳。
どこからどう見ても、そこらへんにいそうなちょっと綺麗なチャンネエにしか見えねえんだよ! 正直好きになっちゃいそうな美しさだぜ!
「あの……どうなさいましたか?」
ハッと我に返ると、いつの間にかいかにも駅員みたいな格好をしたお姉さんがそこに立っていて、
何だこの人俺に気があるのか? というかなんでコスプレ?
……違うね。違うよ、この人普通に駅員さんだよ。
辺りでは通行人もなんだなんだと足を止め、やじ馬の視線が集まっていた。
これじゃあまるで俺が変な人みたいじゃないか。そうです! 私が変なおじさ
「すみませんでした!」
俺は思わず駅員さんに頭を下げ、「とりあえず行くぞ」とこかげの手を取ろうとした。
「あ……!」
しかし妹はスッと手を抜き、代わりにらいかの手を握っていた。
ちょっとショックだったが、そんなことを気にしている場合ではなかった。走れサトリ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
人目から逃げるように駅を出て、駅前の公園にやってきた。
こぢんまりとした公園だが、中央には噴水もある。もちろん、この時間水は出てないけどな。
デートスポットにはちょうどいいんじゃないだろうか。北海道に女とくる際は是非。空港から電車で30分です。
まあ、もし俺がこんな所でイチャつくカップル見かけたら視線で呪い殺してやるけどな。
「はぁ……」
たいした距離でもなかったが、こかげは息を切らしながらベンチに座り込み、ぐったりしていた。そしてらいかはなぜか終始嬉しそうな顔をしていた。
しっかし……なぁ?
「変わったな、お前」
「そう……?」
どこが? という目で見つめてくるこかげ。
……いや、目は長い前髪に隠れてよく見えないんだけどね。
よくそれで前見えるなお前。前はそんなに髪伸ばしてなかっただろうに。
ハァハァと肩を上下させているこかげ。どうやら体力はあまりないらしい。
そして夏だというのに、肌は見事なまでに白い。俺も人のこと言えないけどな。
「いやその、久しぶりだったからさ……びっくりした」
俺は頭をかきながら言い訳をする。
確かに、こかげの小学生みたいな身長とか平らな胸とかはほとんど変わっていなかったが(いい意味で)、なんというか……雰囲気が変わっていた。俺の知っているこかげは、少なくともこんなにオタクっぽい女の子ではなかった。
「そっか……わたしも」
こかげは前髪を払い、改めて俺の顔を見る。
「でも、
「そうだな」
……はあ。やっぱりお前が木下こかげなんだな。
嬉しいけど、チョットフクザツ……。
「5年ぶりか?」
「そう……わたしが中2のとき、だったから」
こかげと最後に会ったのは、俺が高校を卒業した春のことだ。それ以来はなんだかんだいって会うこともなかった。
「元気してたか?」
「……そう見える?」
「う……」
どこからが元気でどこからが元気じゃないのかという問題はあるが、猪木式の「元気ですか!」に従えば、少なくとも今の妹はボンバイエしているようには見えなかった。
つまり、俺から見たらとても元気そうには見えなかった。なんというか、覇気がない。
……それは俺もか。
「………………?」
こかげからの視線を避けるように首を逸らすと、晴天の夜空が目に入った。
「ほ、星が綺麗ですね!」
「…………」(こくり)
「つ、月が……!?」
ってなに流れで妹に告白しようとしてるんだ俺は! そもそも月が綺麗だったら星なんてろくに見られないだろ! 適当こくなこの女たらし!
ちなみに俺は団子ならみたらしが好きです。
「丸いなあ」
「……………………」
そこで会話が途切れる。
やはり懸念していた通り、何を話していいのかわからなかった。
助けを求めようと横のお姉さんに視線を送るも、にへへと笑顔が返ってくるだけ。
もはや怖えよこの人。やっぱただの姉ちゃんじゃなかったわ。
「さとり、さん」
振り向くと、こかげが俺の方をじっと見上げていた。
「なんだ?」
「……どいて」
「あ……はい」
どうやらこかげが見たかったのは見目麗しいお兄ちゃんのお顔ではなく、その先にある置時計の方だったらしい。カナシイネ!
「あ……! 配信……」
そう言ってジーパンのポケットからごそごそスマホを取り出すこかげ。
「おお。もうそんな時間」
そしてらいかも妹の横に座ってそのスマホをのぞき込む。
「さとりんもこっち来なよ」
「さとりん……?」
なんだそのいかにも女子高生が付けそうなゆるキャラみたいな名前は。まさか俺のことじゃないよね?
「さとりん?」
「あ、はい」
どうやら俺のことだったらしい。
目で「お前しかいないだろこのタコ野郎」と言われている気がするので、らいかの言うことに従って妹の横に座る。
ほんのりと……体温が……。
「狭くないっすか?」
「しっ! 始まるから」
妹に怒られてしまった。
あと「恥ずかしくないっすかこれ? 新手の羞恥プレイ?」と言うつもりだったのだが、諦めて大人しく小さなスマホの画面を覗き込むことにする。
そこではなにやらゲームのロード画面のようなものが流れていたが、すぐに画面が切り替わり、一人の美少女が現れた。
『おたるここにきたる~! こんばんは~。おたるたるだよ~』
なんと、Vtuberである。
俺は今、妹と謎の女と一緒に、得体の知れないVtuberの配信を見ている。
ああ、なんか手振ってるよ。可愛いね。あははー。
……いや、どうしてこうなった?
『うわぁ、なんかいっぱいいるじゃん。みんな他にやることないの? ……て、うそうそ! 今日は来てくれてありがとー!』
聞きたいことは山ほどあるが、こかげ様はあまりにも真剣な目で画面を見つめているので、話しかけようにも話しかけられない。
『じゃあ早速一曲目は――』
そしてその「おたるたる」とかいうVtuberのカラオケ配信が始まった。
こかげは時折前髪を気にしながらも、眉間にしわを寄せるほどその配信に見入り、らいかはまるで我が子を見守るようにその画面を眺めていた。
そしてたまにらいかと目が合うと「やっほー」という感じで手を振ってくるので、ちょっと気まずかった。
あーたちゃんと配信見なさいよ。そんなことしてると怒られますわよ。
……僕は照れ屋さんなのであんまり見ないでほしいです。
まったく、これじゃあまるで仲むつまじい夫婦とその子どもじゃ……!
そんなことないか。ないね。思い上がってごめんなさい。はあ、彼女ほしいな。ついでに娘も。
『みんな~、弾幕ありがと~』
弾幕とか何物騒なこと言ってるんだこの女は? とか思いつつも、俺も大人しくその歌声に聴き入る。
……正直、上手くも下手でもなかった。オンチというわけでもなく中途半端に歌えていて、特に面白くもない。おまけに知っている曲もほとんどない。まあ、これは単に俺が流行りに
だから、チャット欄が「弾幕」とかいう頭の悪そうな絵文字で盛り上がっているのが理解できなかった。
例えるならあれだな。なんで年寄りってのは昼飯食う時には必ずのど自慢なんてクソつまらんものを見るんだろうって感情だ。あと朝ドラは朝と昼の2回見て、さらに録画もしてるのはなんでなんだろうね。
これってうちだけなのだろうか? うん、どうでもいいね。
確かにビジュアルは可愛いと思う。青と白を基調とした爽やかなセーラー服で、髪色は明るい茶髪のポニーテール。海をイメージしているのであろう背景に、快活そうな彼女の立ち姿が良く映えている。
ただ……それだけか? 画面の前でこの配信を見ている連中は、この美少女が楽しそうに歌っている姿を見たいだけなのか?
こかげ…………お前はなんでこんなVtuberの配信を真剣に見ているんだ?
俺にはわからない。
『じゃあ次は、
どれくらいの時間が経っただろうか。おたるたるが次の曲に行こうとしたところで、こかげは急に画面を閉じた。
「もういいのか?」
「うん……いい」
やっぱり俺にはこかげの考えていることがわからなかった。
「わたし、ね……この人に…………」
こかげは何かを言いかけていたが、言葉はそこで途切れてしまう。
「……?」
聞き返そうとしたが、彼女は既に立ち上がっていた。
「明日、うちの大学にきて」
「……え?」
「じゃ」
「お、おい!」
こかげが俺の声に振り返ることはなかった……。
「また逃げられちまったよ……」
なんでだろうな。俺には女子に逃げられる才能があるのかもしれないな。
……いらねえよ、そんな才能。誰か代わりにもらってくれ。
丘の上の笑わない猫像にでも願うか。
「いるよ?」
「わっ!」
横を見ると、ちょこんとTシャツの裾をつまむお姉さんの姿があった。
「帰ろ?」
と、上目遣いで訴えてくる。
マジであざといよこの人……。俺がもう少し若かったら間違いなくオチてるね。
「……っす」
まあ断る理由もないのでね。別に下心とかは一切ないですけども、一緒に帰りたいと言うのであれば……やぶさかではないですよ。ええ。
俺とらいかは立ち上がり、薄暗い公園の中を歩き出す。
シャンプーなのか柔軟剤なのかはわからないが、横を歩く彼女からはほんのりと誘うような香りが漂ってくる。
「私の名前は上地らいか。気軽にらいかちゃんって呼んでくれていいよ」
絶対にそう呼ぶことはないんだろうな。とは思いつつも、適当に相槌を打つ。
「……どうも」
「こかげちゃんとは、友達って感じかな」
友達って……この人こかげと歳いくつ離れてんだよ。
声だけだったらちょっと幼く聞こえるんですけどね。見た目がなんか達観してるのよ。
「妹がいつもお世話になっております」
「いえいえこちらこそ」
ぺこり。と頭を下げる。
まるで立派な社会人の反応だ。やはり大学生とは思えない。
「ところで、上地さんって歳いくつ」
なんですか? と聞こうとしたのだが……なんか俺を見つめる瞳の奥から闇の何かが噴出してきそうな気がしたのでやめておいた。
もしかしてあなた、
「らいかちゃん、でしょ!」
いつにない剣幕で詰め寄ってくるらいか。
おいおい、それじゃあまるで周りより歳いってるのを気にしてるどこぞの三十路おばさんみたいじゃないですか。あんまり怒ると余計にしわができるからやめておいた方がいいですよ。
「ごめんね。私、キミともっと仲良くなりたくてさ……下の名前で、呼んでくれないかな?」
目がきゅるるんとしている。
あざとい。あざと可愛い。「下の名前」っていうのがちょっとえろい。
「らいか……さん」
「ん~、及第点かな!」
さいですか。それはよかった。じゃあせめて心の中では呼び捨てでいきますね。
Hey Raika! 彼女の作り方を教えて!
――そんなやり取りをしながら、別れ際。
「じゃあ、また明日ね」
彼女は一歩離れた所でちょこちょこと手を振ってくる。
サァッと風が吹き、揃えられた前髪ががひらひらと揺れた。
駅前の街灯に照らされた彼女の顔は、すっかり口の端が緩んでいて……どこか嬉しそうで、どこか安心したような顔だった。
「変な人だよなぁ……」
うちのコンビニにはあんな格好でくるくせ、今日はやたら大人っぽいけど普通っちゃ普通の格好だし。
見た目だけじゃない。どことなく声も色っぽく……ちょっと大人びていたような気もするし……なんてひとりごち。
「まあいいか」
再び歩き出したところで、俺はふと思う。
「というか、なんであの人はわざわざコンビニなんかに地雷っぽい服を着てくるんだ?」
……まあいいか。明日も会えるし。
…………ん? あの人明日もくんの? なんで?
謎は深まるばかりだった。
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