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*****



 レアリゼ国王は、にちぼつ前にコルドラの王宮をあとにした。

 わかぎわ、「問題を起こしたらすぐ帰国させる」とだけ言い残して去って行った。

 さびしさを覚えるひまもなく、ソランジュは馬車に乗せられて王宮のさいおうにある離れの屋敷へと移動した。侍女のリディアも一緒に。

 歴代の婚約者たちが逃げ出したという屋敷は、どれほどおそろしいくつなのだろうと身構えていたソランジュは、実際に建物を目にすると思わずかんたんの声をあげた。


てき……!」


 森の中の小さな家、というのが第一印象だった。

 小さいとはいっても、人が住むには十分すぎる大きさである。

 い青色のかわらで、れん造りの三階建て。外には季節の花が咲く広い庭と菜園。カボチャやニンジン、ジャガイモ、葉物に豆類など、多くの野菜が植えられている。今は時季ではないけれど、どうだながあるのも見えた。


(レアリゼの離宮みたい)


 少し離れた場所には、ニワトリ小屋と水車小屋が見えた。小川のせせらぎと水車の回る音が風に乗って響いてくる。

 夕暮れ時のうすぐらい中でもこれほど素晴らしい景色なら、朝日が|昇(のぼ)る時分はどんなに美しいことだろう。


「ソランジュ様。ようこそおいでくださいました」


 げんかんホールには大勢のメイドとしつが整列して、ソランジュをむかえた。


「は、はじめまして! ソランジュ・レアリゼと申します。今日からお世話になります。どうぞお見知りおきを」


 ソランジュが淑女の礼をとると、メイドたちの間からため息がれ聞こえた。


「なんてお美しい……」

「さすが、国王陛下がひとれなさった方ですわ」

(一目惚れ? それはないわよ?)


 ソランジュは笑顔をりつけたまま、心の中で思いきり否定した。

 王宮の庭園で気を失っていたソランジュをアルベリクが拾った、という話がちょうされて伝わっているのだろう。噂とはおそろしい。


「ソランジュ様、お初にお目にかかります。メイド頭のサリナと申します。誠心誠意、お世話をさせていただきます」


 眼鏡をかけた年配の女性が前に進み出て礼をした。次いで、リディアにも声をかける。


「リディアさんも、どうぞよろしくお願いいたしますね。コルドラでの仕事に慣れるまで、私がお手伝いさせていただきます」

「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」


 ソランジュの三歩後ろで、リディアは深くお辞儀をした。


「それでは、お部屋へご案内いたします」


 サリナの案内で、三階の奥にある部屋へ通された。

 ばながらかべがみたんしょく系の調度品でまとめられた可愛らしい部屋だった。


「足りないものがございましたら、すぐにご用意いたしますので、なんなりとお申しつけくださいませ」

「なんでもいいんですか?」


 ソランジュが聞き返すと、サリナは「もちろんでございます」と答えた。


「それじゃあ、畑仕事用の作業着とながぐつぶくろを。毎日使うので予備も用意してもらえると助かります」

「畑仕事……ですか?」


 ソランジュはにっこりと微笑み返した。


「畑のお世話をするのは当然、住人の仕事でしょう?」


 国王の婚約者が畑仕事などとんでもない。これだから田舎いなかものは! ……とメイドたちのひんしゅくを買うこと間違いなしである。


かん|璧《ぺき)な作戦だわ)


 心の中でほこらしげに胸を張るソランジュはすぐに、自分の浅はかさを思い知らされる。


「なんと素晴らしい心構えでいらっしゃるのでしょう!」

「……え?」


 見れば、サリナは眼鏡の奥の瞳をうるませて感激していた。


「国王陛下はお時間の許す限り、畑とお庭のお世話をご自身でなさるのです。ソランジュ様も同じお気持ちでいらっしゃるなんて……! きっと、陛下もお喜びになります!」

(そんな……!)


 初手から間違えた。まさか、大国の王様が土いじりを好むなんて夢にも思わない。


「必要なおものは、このサリナが責任を持って明朝までにご用意させていただきます」

「あ、ありがとうございます……」


 大食いも畑仕事も効果がないとすれば、一体どうしたら国王の機嫌を損ねることができるというのか。


「ソランジュ様。晩餐の前にお召し替えをいたしましょう」


 サリナ率いるメイドたちにぎわよく晩餐用のドレスに着替えさせられ、食堂へと連れて行かれた。

 この夜は、アルベリクがまだ城から戻っておらず、初めて屋敷でとる食事はソランジュ一人きりだった。

 じょうに優しくされるのも気まずいけれど、婚約式の時みたいにじんに冷たくされるのもなんだか切ないので、今は一人でよかった。

 幼い頃からずっと一人で過ごしていたのだ。今さら寂しさも感じない。

 屋敷の菜園でしゅうかくした野菜をふんだんに使ったみ料理が絶品で、ソランジュは三回おかわりした。

 食後は、部屋のほんだなからコルドラの文化史について書かれた書物を選んで時間をつぶした。見たことのない本ばかり並んでいるので、コルドラにいる間に読める本はすべて読んでおきたい。

 それから、リディアやメイドたちの手を借りてお湯を浴び、やけに入念に髪とはだの手入れをされて、ラベンダーのこうすいを足首に少しだけふりかけて、なぜか白粉おしろいを軽くはたかれた。


「あの、もう寝るだけですよね? お化粧は必要ないんじゃ?」


 鏡台に座るソランジュは、鏡ごしに問いかけた。

 すると、磨き抜かれた鏡の中で年若いメイドたちが含み笑いを漏らした。


「ソランジュ様のお肌はとうのように美しく、とおっていらっしゃいます。ですが、身だしなみというものは、いついかなる時も欠かせないものなのですよ」


 サリナが聖母のような微笑みを浮かべて言った。その隣で、リディアが何かを察したように目を見開いた。


(コルドラの人たちは、寝る時もお化粧するのが普通なのかしら?)


 そして、着せられたこの

 今まで感じたことのない、なめらかなはだざわりをしていて、もうのように軽い。

 生地がうすいにもかかわらず身体を温かく包み込んでくれて、ほうせいもしっかりしている。


(すぐに婚約破棄されて出て行くのに、こんなに手厚いたいぐうをされたら申しわけないわ)


 ソランジュの頭の中では、明日にでも婚約破棄される予定になっている。この屋敷に長くとどまるつもりはない。


「ソランジュ様。廊下は冷えますので、こちらをお召しになってくださいませ」

「廊下?」


 聞き返すソランジュの肩に、白いショールがかけられた。

 てっきり、しんしつはこの部屋と続き間になっていると思っていた。わざわざ廊下に出て別室へ移動するのは効率が悪い気がする。

 そんな疑問を抱えつつ、ソランジュはなおにメイドたちについて部屋を出た。

 六月とはいえ、夜はたしかに冷え込む。室内と比べて冷たい空気を肌に感じながら、ソランジュはやわらかな室内きで長い廊下を歩く。

 サリナのかかげるしょくだいあかりをたよりに、扉をいくつか通り過ぎたところで、彼女は「こちらでございます」と立ち止まった。

 屋敷の廊下にしつらえられている扉はどれも同じようなものだけれど、そのどれよりも一回りほど大きくじゅうこうな扉だった。護衛の騎士が一人配備されている。

 騎士が扉を開け、サリナの先導で室内へ足をみ入れる。燭台の灯りに浮かび上がる本棚の数から、図書室のような部屋と思われた。

 広々とした部屋の奥に続きの扉があり、そこでサリナが足を止めた。後ろにいたはずのメイドたちとリディアはいつの間にかいなくなっていた。


(図書室の奥に寝室?)


 不自然な空気を感じ取ったソランジュは、サリナを振り返った。


「あの……ここは?」

「おやすみなさいませ」


 扉が開かれ、軽く肩を押されたかと思うと、すぐさま背後で扉の閉まる音がした。


「サリナさん!?」


 扉の向こうに呼びかけるも、サリナの足音は遠ざかっていくだけだった。

 部屋の中に視線を向けると、おりものごうしゃじゅうたんかれた部屋の中央にてんがい付きのきょだいなベッドが設えられていた。

 ねこあしのサイドテーブルには、水差しとさかずきが二つ用意されている。


(ここで寝ろってことよね……?)


 テーブルに置かれた燭台の頼りない灯りが、天井の豪奢なシャンデリアをほのかに照らしている。寝るだけの部屋にこんな立派な照明器具は必要ないだろうに。

 天蓋のしゃまくに覆われているベッドは、見たところ大人五人はゆうで並んで眠れる広さがありそうだった。


(落ち着いて眠れる気がしないわ)


 はきものいで紗幕の内側に身体をすべり込ませたソランジュは、ベッドに膝をせた体勢でこうちょくした。


(……………………え?)


 巨大なベッドの真ん中に、黒髪のおそろしいほどに綺麗な顔をした男性――アルベリクが横たわっていた。


(えええええ? どうして!?)


 婚約はしたけれど、二人はまだ夫婦ではない。


(ここって、もしかして国王陛下のお部屋?)


 図書室だと思っていた部屋は、どうやらアルベリクのしょさいだったようだ。


(ど、どうしよう……)


 ソランジュはベッドの上につんいという間抜けな姿で、身動きが取れずにいた。

 部屋の外には護衛の騎士がいて逃げられないし、このまま一緒に眠るなんてとんでもない。

 いっそのことゆかで寝てしまおうか。

 ソランジュがベッドから降りようとして身じろぎすると、そのしんどうが伝わったのか、アルベリクが目を覚ましてしまった。


「……何をしている?」


 燭台の頼りない灯りが照らす顔からは表情が見て取れないけれど、声音からして明らかにげんそうだった。


「あ、あのっ、わたし何も知らなくて……。ここで休めと連れてこられまして……」


 アルベリクは気だるげに身を起こし、まえがみをかき上げた。


「リュカ……宰相の差し金だ」

「宰相様の?」


 ソランジュはベッドの上に座り直して聞き返した。


「てっきりじょうだんだと思っていたんだが、本当にすとはな」

「はあ……?」


 話がよく見えない。


「俺がこれまで、何度も婚約解消していることは聞いているだろう?」

「ええ、まあ……」


 おうこう貴族の縁談は、事前に相手方の調査を行うのが常識である。


「宰相は俺が婚約を反故ほごにできないように、せい事実を作らせようとしている。『初夜を楽しめ』と言われたんだが、悪い冗談だと思って聞き流していた」

「初夜……」


 ソランジュの口角がぴくりと引きつった。


「くだらないことをしてくれたものだ、あのバカ」

「あはは……」


 ソランジュはあいまいな笑みを浮かべながら、肩のショールをむなもとに引き寄せた。


(あの宰相様、爽やかな顔をして、やってることはどうじゃないの!)


 まるで、ソランジュが逃げ出すのを想定しているかのようなしゅうとうさである。


「ふ、あ……」


 アルベリクがあくびをころすのを見て、ソランジュは反射的に頭を下げた。


「す、すみません! お休みのところを邪魔してしまって……!」

「気にしなくていい。普段もこの時分に目が覚めるからな」

(たしか、眠りが浅いって言ってた……毎晩そうなのかしら?)


 ソランジュは無意識に膝を使ってアルベリクに近づいていた。


(顔色が悪いわ……)


 本人はかくしているつもりでも、肌や唇から血の気が失われているのがわかる。

 すると、アルベリクは眉間に皺を寄せて深緑色の目を細めた。


「なんだ? まさか、一緒に寝たいとでも言うつもりか?」

「違うわよ! 自意識過剰な人ね!」


 つい、反射的に言い返してしまった。しかもの口調で。


「あ……」


 慌てて両手で口元を覆っても、もうおそい。


ねこかぶりの王女か。うまく化けたものだ」


 アルベリクは特に驚いた様子もなく、ふんと鼻で笑った。


(……そうだわ!)


 ソランジュは咄嗟に不敵な笑みを浮かべ、アルベリクに向き直った。


「清楚で従順な姫君じゃなくて残念だったわね。わたしは、あなたの望むような王妃にはなれないわよ。結婚後は、国民の反感を大いに買うでしょうね」


 ここでアルベリクが怒って婚約破棄してくれたら、ソランジュのおもわく通りである。


罪で訴えられませんように!)


 心の中で両手を組んでいのっていると、アルベリクは「そうか」とだけ言って、ソランジュに背中を向けてベッドのはしに横たわった。


(え?)

「寝る。王妃にふさわしいか決めるのは俺だ。きみじゃない」

(寝ちゃうの!? そんな……!)


 ソランジュは行き場をくして周囲を見回し、紗幕のすきから抜け出そうと身じろぎした。そのひょうにベッドがかすかに揺れる。


「どこへ行く?」


 背を向けたまま、アルベリクが問いかけた。


「床で寝るのよ」


 答えると、アルベリクはがえりを打ってこちらを見た。夜着のえりもとから覗くこつが目のやり場に困る。


「きみはバカなのか?」

「外は護衛がいて自分の部屋に戻れないし、一緒に寝るなんて冗談じゃないもの。床しかないでしょ?」

「女性を床に寝かせられるわけがないだろう。もういい。俺が床で寝る」


 アルベリクは面倒くさそうに言うと、身を起こした。


「待って! 仮にも王様にそんなさせられないわ! あの外道……じゃなくて宰相様にばっせられちゃう」


 不敬罪でとうごくされてもおかしくない。二度と祖国の土を踏めなくなる。


「じゃあ、きみはそっちの端で寝ろ。俺はこっち側で寝る。これだけ離れていればこわくないだろう?」

「別に、怖いわけじゃ……」


 ソランジュがぼやいた瞬間、風がほおをかすめた。

 ほんの一瞬で、アルベリクが間合いを詰めてソランジュに顔を近づけていた。

 少しでも動いたら唇が触れてしまいそうな距離。


「俺に何をされても怖くない……と解釈してもいいのか?」


 アルベリクの唇からこぼれるいきがソランジュの顎にかかる。


「……っ!」


 ソランジュの頰が赤く染まった。

 次の瞬間、無意識に手近なところにあったまくらを引っつかみ、大きく真横に振り抜いた。


「ぶっ」


 ふかふかの枕がアルベリクのよこつらちょくげきした。そのまま倒れ込む。


「か、からかわないで! わたしに指一本でも触れたら、今度は拳をくれてやるわよ!」


 ソランジュは怒りとしゅうで頰を真っ赤にして、握った拳を震わせた。

 ちんもく


(……あれ?)


 ベッドの上に横たわるアルベリクが起き上がる気配がない。


「……あの、国王陛下?」


 ソランジュはおそるおそる近づいて、アルベリクの顔を覗き込んだ。

 すう……すう……。


(寝てる……?)


 なぐられてこんとうしたわけではないと祈りたい。


(いけないわ!)


 ソランジュは反射的にその場から飛びのいた。

 眠る彼に触れたら、また夢の中に引きずり込まれる。

 しかし、アルベリクは羽根とんの上に倒れしてしまったので、かけるものがない。

 まさか、ロールケーキのように布団でぐるぐる巻きにしたり、ガレットのように折りたたんで包むわけにもいかず、ソランジュはほうに暮れる。


「へ、陛下……」


 ソランジュは、たった今アルベリクを殴った枕で、彼の肩をぽふぽふとたたいた。


「陛下~~、国王陛下~~。お布団に入らないと風邪引くわよ~~?」

「う……ん」


 アルベリクは首をひねらせて低い声を漏らした。

 それは次第に、苦痛をにじませたうめき声へと変化していく。


「……陛下?」


 まただ。初めて会った庭園の時と同じ、何かにうなされている。


「……っく」


 アルベリクは苦しげにまゆを寄せ、胸をかきむしるような仕草を見せた。


(毎晩、こんなふうに苦しんでいるの?)


 ソランジュはいてもたってもいられず、持っていた枕を置いてアルベリクに手を伸ばした。

 目の前でつらそうにしている人の苦痛をやわらげたい。

 ただそれだけの思いで、アルベリクの手を両手で包み込んだ。


 数日前と同様、アルベリクの夢の世界は鬱蒼とした森と、真っ暗な闇へと続く洞窟だけで構築されていた。

 今夜は、洞窟の猛獣らしき気配は感じられない。


「……お前は一体、何者だ?」


 洞窟の前で膝を立てて座り込むアルベリクは、羊のソランジュを見ると訝しげに目を細めた。


「王となってからこれまで、誰かが夢に出てきたことはない。なぜお前だけが俺の夢に現れる?」


 ソランジュはたじろいだ。

 レアリゼの守り神ヒュプノラから授かった「眠りと癒しの加護」については口がけても、たとえ全身の羊毛をむしり取られても言ってはいけない。


「ま、まあお気になさらず」


 ソランジュは、ぽてぽてと四足歩行でアルベリクに近寄った。


「どうぞ、お茶でも召し上がって」


 ソランジュがそう言うと、目の前にリネンのクロスとおちゃが出現した。陶器のカップからは、ほかほかと湯気が立ち上っている。


「なんだこれは?」

「タンポポ茶と胡桃くるみのクッキーよ」

「……お前が作ったのか?」

「ええ、まあ」


 加護の力を使って出現させたのだが、ソランジュがレアリゼの離宮で手ずから作ったものをイメージしているので、作ったといえば作ったことになる。

 夢の中ではなんでもアリなのだ。

 アルベリクは、タンポポ茶を一口すすった。


「うまい」

「本当に?」


 羊のつぶらな瞳がきらきらと輝いた。


「よかったぁ……。実は、少し不安だったの。王様にこんな野草のお茶なんて出したら失礼じゃないかって」

「そんなことはない。このクッキーも、胡桃のほろ苦さと歯ごたえがとてもいい」


 夢の中とはいえ、自分の作ったお茶とお菓子を誰かが食べてくれるのがうれしい。

 ソランジュは、胸の中が温かくなるのを感じた。


「このお茶は、何か効能はあるのか?」

「冷えとむくみが改善されて血流がよくなるのよ。身体が温まってよく眠れると思うわ」

「なるほど」


 アルベリクはうなずいて、もう一口お茶を飲んだ。


「これが夢なのがもったいないな。現実でじっくり味わいたい」

「じゃあ……」


 わたしが作るわ、と言いかけてソランジュは口をつぐんだ。


「どうかしたか?」

「い、いいえ! 夢の外でも、おいしいお茶が飲めるといいわね」


 ソランジュはごまかしながら、心の中で「お屋敷の前にタンポポが咲いていたら作ってみよう」とつぶやいた。一週間あればかんそうさせて茶葉にすることができる。


「夢の外か……」


 ふと、アルベリクの表情がかげった。


「婚約者と顔を合わせるのがゆううつだ」

(なっ……!)


 ソランジュは絶句した。

 顔も見たくないのなら、婚約式の前に破談にしてくれたらよかったのに。

 アルベリクは、クロスの上にカップを置いた。


「国のためとはいえ、出会って間もない女性を寝室に呼びつけてしまったことが申しわけなく、合わせる顔がない」

(えっ、そっち?)

「婚約式の時も、彼女を気遣うことができなかった。身体の調子が悪いとはいえ、男としてあってはならない」

(そんなふうに思っていたなんて……)


 ソランジュは、自分こそ心の中で「感じ悪い!」と毒づいてしまったことをやんだ。


「国王陛下は……」

「アルベリクでいい」

「ええと、アルベリク様は、何かの病気なの? あの日もそうだったし、今も身体がつらそうだわ」

「守り神の加護によるものだ」

「加護……?」


 ソランジュは首をかしげた。加護なのに苦痛を受けるとは、どういうことだろう。


「正確にはだいしょうだな。コルドラ王国に繁栄をもたらす代わりに、王は守り神である黒竜ディオニールにこの身をささげる。黒竜は王の体内をにして生気をらう」

「そんなの、まるで王様がいけにえみたいだわ。理不尽よ」

「お前の言う通り、歴代の王は黒竜の生贄としてしょうがいを終える」


 アルベリクはちょう気味に口元だけで笑った。


「体調が悪くて眠れないのは、加護の代償のせいってこと?」


 アルベリクはうなずき、背後の洞窟を親指で示した。


「あの奥に黒竜がいる。虫の居所が悪くなると暴れ出す厄介者だ」

「この前言ってたそうろうって、コルドラの守り神様のことだったの……?」

「今はどういうわけか、死んだようにおとなしい。お前みたいな不可解な存在がいるおかげかもしれないな」

(わたしがいると黒竜が鎮まる……?)


 ソランジュの持つ癒しの力が作用しているのだろうか。


「なんにせよ、感謝する。うまい茶菓子も出してもらったしな」


 見れば、目の前にあるカップと皿は空っぽになっていた。

 そして、アルベリクの頰に赤みが差して、表情もやわらかくなっている。


「それにしても、不思議だ」

「何が?」

「お前が夢に出てくる時は、とても身体が軽くなる」

(はっっ! 鋭い……!)


 むやみにアルベリクの夢に潜ると、加護の力のことを知られてしまう危険性が高い。


(でも……)


 ソランジュが彼の夢に潜ることで黒竜の暴走がちんせい化するのなら、できるはんで癒したい。


「アルベリク様」


 ソランジュは、アルベリクの膝にぺたりと前足で触れた。


「朝までぐっすり眠れるおまじないをするわね」


 アルベリクの眠りをさまたげるものがなくなるように。すこやかに朝を迎えられるように。


(眠りと癒しの加護をアルベリク様にお与えください)


 この時のソランジュは、彼を癒す反動で自分の身体が極度の疲労に襲われることに気づいていなかった。

 淡い金色の光がアルベリクを包み込んだ瞬間、小さな羊の身体はその場にこてんと転がった。


「大丈夫か? しっかりしろ!」


 ソランジュが気を失うぎわ、アルベリクが羊の身体を受け止めてくれた気がした。

 揺りかごのようにここよいゆう感の中、ソランジュは意識を手放した。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




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訳あって、眠らぬ陛下の抱き枕になりました 羊姫は夢の中でも溺愛される 高見 雛/ビーズログ文庫 @bslog

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