2-3



*****



 晩餐を終え、しつ室へもどったアルベリクは来客用のソファに身を預けた。

 ソランジュ王女は成人男性顔負けに食欲おうせいだと聞いていたが、思っていたよりひかえめに感じられた。長旅で疲れていたのだろうか。


「今度の婚約者殿どのは、けっして取り逃がさないようお願いしますね。陛下」


 決裁済みの書類を引き取りにやってきたリュカが言った。


「釣った魚みたいに言うな」

ものには変わりない」


 宰相の顔から幼馴染みの顔に戻ったリュカは、気安い口調で言い返す。


「いいか、アル。たとえ、ソランジュ王女と性格が合わなかったとしても、彼女がどれだけ高慢で浪費癖があって、異性にだらしなかったとしても、絶対に機嫌を損ねるなよ。どんな手を使ってでも結婚までこぎつけろ。そしてさっさと子を作れ」

「……リュカは、顔は善人なのに腹の中は真っ黒だよな」

「コルドラ王国の繁栄のためですよ、国王陛下」


 リュカは爽やかな笑みを浮かべて言った。



*****



 その夜、ソランジュは姉のエステルと騎士団長のジャックにてた手紙を書いた。

 エステルへは、しばらくの間レアリゼに帰れないけれど、この婚約は何かのちがいだと思うので婚約解消して必ず国へ帰るむねを。

 ジャックには、羊堂の品物をしばらくの間作ることができないことへのびをしたためた。


「大丈夫よね……? きっと帰れるわよね?」


 用意された客間で、ソランジュは誰へともなくつぶやいた。

 部屋に一人きりで過ごすのはいつもと変わらないのに、どこかものさびしくて不安な気持ちが胸にうずいていた。



 十日後。父がコルドラへ到着した。


(うわぁ……この顔はものすごく|怒《おこ)ってるわ)


 応接間に案内されたソランジュは、父の表情を見てその胸の内を察した。

 父のけんには深いしわが刻まれ、こめかみには血管が浮き上がっている。


「ごきげんよう、お父様。遠路はるばるようこそいらっしゃいました」


 ソランジュは笑みを浮かべて淑女の礼をとった。

 父は、ソランジュが気づかない程度だが目をみはった。

 お見合いパーティーのためにリディアと特訓を重ねたおかげで、ソランジュの所作は以前のぎこちなさが消えて優美になっていた。


「まさか、お前がコルドラの王妃に選ばれるとはな」

「わたしが一番驚いています。何かの間違いだと思うのですが」


 何せ、選ばれた理由が「目が覚めたらそこにいたから」なのだ。適当すぎる。


「しかも、今日これから婚約式で結婚式が一か月後だと……?」


 ソランジュもつい先ほど宰相からそのように聞かされ、ずいぶんと急な予定に驚いた。

 てっきり、半年から一年は婚約期間という名のゆうがあると思っていた。

 ソランジュはすでに、婚約式のためのしょうを着せられていた。やわらかなクリーム色のが花びらのように重なり、大輪の花が咲いているような印象を与えるドレスだった。


「婚約中のエステルを差し置いて、なんということだ」


 それについては同感なので、ソランジュは大いにうなずいた。


「エステルお姉様に申しわけないです……」


 今はひとばらいをしているので、応接間にはソランジュと父の二人だけである。

 父が到着するまでの十日間、ソランジュはアルベリクの客人として王宮に客間を与えられ過ごしていた。

 たいざいしていた宿から荷物を引き上げ、共に行動していた護衛たちはすでにレアリゼへかんしている。

 そして、初めての晩餐以来、アルベリクとは今日まで顔を合わせていない。

 リュカいわく、政務が立て込んでいるとのことだったけれど、ソランジュはアルベリクの体調が思わしくないのではと心配していた。


「お父様。コルドラの国王陛下とこれまで婚約された方たちは、どなたもごせいこんに至る前に婚約破棄されています。ですから、心配しないでください」


 父は無言で、眉間の皺を指先でんだ。出された紅茶は一口も飲んでいない。


「わたしは必ずレアリゼへ帰ります」

「出立前に交わした約束は覚えているか?」


 父の問いに、ソランジュはいっしゅん、言葉にまった。

 加護の力のことは秘密にすること。力を絶対に使わないこと。

 こうりょくとはいえ、ソランジュは約束を破ってしまっている。罪悪感で胸が痛い。


「も、もちろんです」


 ソランジュがしゅこうすると、父はぬるくなった紅茶にようやく口をつけ、息をいた。


「この件はお前にまかせることにする。重ねて言うが、くれぐれも力の件は内密にするように。お前の行動一つで国交にえいきょうすると覚えておけ」

「はい、お父様」


 わかっていることだった。

 父が案じているのは、ソランジュの身ではなく自国の平和。

 今日だって、役立たずな末むすめのために何日もかけてコルドラへやってくるのは、さぞかしめんどうなことだっただろう。


(わたしがするべきことは、お父様や国にめいわくをかけないこと)


 その時、使用人の女性が婚約式の最終確認をするためにソランジュをむかえにきた。

 ソランジュは心の中で胸をなで下ろし、立ち上がる。


「それではお父様。時間まで、どうぞごゆっくりとおくつろぎください」


 まるで他人に接するように、ソランジュはよそ行きの笑みを浮かべておをした。

 侍女たちに案内されて、ソランジュは王宮内の聖堂へと移動した。

 そうごんで清らかな聖堂の中央に神父が待機しており、かたわらの書見台に細かな文字が刻まれた書類が用意されている。参列者の席には眉間に皺を寄せたままの父が座っていた。

 アルベリクはまだ来ていないようだった。

 ソランジュは神父の前に誘導される。

 一歩進むごとに、クリーム色のドレスのすそが花開くようにふわりとう。新たな王妃のためにあらかじめ用意されていた衣装を手直ししたものである。


「国王陛下のお出ましです」


 かえると、しっこくの礼装に身を包んだアルベリクがこちらへ歩み寄ってきた。


(あら? なんだかふんが……)


 表情なのか、歩き方なのか、アルベリクの発するオーラが今日はさつばつとしているように感じられた。

 アルベリクの数歩後ろには、黒髪のうるわしい淑女が二人いた。

 一人は、みつをたっぷり含んだ完熟の果実を思わせるようえんな女性。

 もう一人は、あまっぱい野イチゴのように可愛らしい少女。


「まあ、あなたがアルベリクの婚約者? とても可愛らしい方ですこと」


 妖艶な美女はじゃに微笑みながら、先を歩くアルベリクを追い越してソランジュの手をぎゅっと握った。


「お、お初にお目にかかります。ソランジュ・レアリゼと申します」

「私はレティシアよ。アルベリクの母ですわ」


(母!? お姉様じゃなくてお母様!?)


 ソランジュは目の前の美女を二度見した。若い。とても成人男性の母には見えない。


「お母様ったら、ずるいわ。わたしもお義姉ねえさまにごあいさつさせて」

(おねえさまって、わたしのこと!? )


 言葉を失うソランジュの前に、華奢でがらな黒髪の美少女が進み出た。


「はじめまして、ソランジュお義姉様。ベルティーユですわ」


 ソランジュは、事前に目を通した調査書の内容をとっに思い返す。アルベリクの妹、ベルティーユ王女。ねんれいはソランジュより二つ下の十六歳。


(可愛い~~~~! 顔ちっちゃい、お目々きゅるきゅるしてる。睫毛の量すっごい! ひええ、飾っておきたいくらい可愛い……!)


 ベルティーユの髪の色はアルベリクと同じ黒で、瞳の色は明るい青緑色をしている。

 ソランジュがすっかりレティシアとベルティーユに見とれていると、アルベリクの刺すような声が飛んできた。


「母上、ベル。じゃをするなら出て行ってくれ」


 ごっかんの氷のように冷たい声音。

 驚くソランジュをよそに、レティシアとベルティーユは気にした様子もなく「またあとでね」と参列者の席へ移動した。

 ソランジュの隣に、漆黒のひとかげが立つ。

 アルベリクは、こちらを見ようとも声をかけようともしない。

 きゅうこんされた時との雰囲気の変わりように、ソランジュは混乱した。


(もしかして気が変わったのかしら? 婚約するのがいやになったとか?)


 ソランジュは心の中でこぶしを握りしめた。


(一時はどうなることかと思ったけど、よかった。これでレアリゼに帰れるわ! せっかく着せてもらったドレスがになるのは申しわけないけど)


 ほっと胸をなで下ろしていると、横で誰かが呼ぶ声が聞こえた。


「おい」

「は、はい?」


 隣に顔を向けると、アルベリクが眉間に皺を寄せてこちらをにらんでいた。人のよさそうな神父が困ったような表情でこちらを見守っている。


「きみの番だ。早く書け」

「え?」


 アルベリクがあごをしゃくる。書見台にえられた書類には、すでにアルベリクの署名がされていた。

 婚約証明書。


(あ、あれ? 婚約……やめないの? ものすっごく嫌そうな顔してるけど、どんな気持ちで署名したの……?)


 言いたいことが一気に押し寄せてくるが、ソランジュはすべて飲み込んだ。おくに力がこもって、口元がゆがんでしまう。


「なんだ? この婚約に異議でもあるのか?」

(ありますとも)


 思っていても口に出すことはかなわず、ソランジュは取りつくろうように微笑みを浮かべて羽根ペンを手に取った。

 婚約証明書の下にあるくうらんに自分の名前を書き込むと、神父がおごそかな声で婚約の成立を宣言した。


(わたし、婚約しちゃったんだ……)


 ソランジュは、隣にいるアルベリクの表情をうかがおうと横目で見た。

 そこにはもう、アルベリクの姿はなかった。

 ソランジュを置き去りにして、早足で出入り口に向かって歩いている。


「ちょっと、お兄様!」


 ベルティーユが声をかけるも、アルベリクはそのまま扉の向こうへ消えて行った。


(か、感じ悪い……!)


 婚約したばかりの相手に置き去りにされる形になったソランジュは、ぼうぜんと立ちつくした。


「せわしない子ねぇ」


 レティシアは手にしていたおうぎを顎にえ、困ったように首をかしげた。


「ごめんなさいね、ソランジュちゃん」

(ソランジュちゃん!?)


 国王の母が口にする呼び名とは思えず、ソランジュは目を見開いた。


「無愛想で冷たくて目つきの悪いむすだけど、いいところもあるのよ~。どうか仲良くしてね~」


 まるで、子どものけんちゅうさいする近所のお姉さんのような気安さで言われるものだから、ソランジュは反射的に「は、はい……」とうなずいてしまった。


「ソランジュお義姉様は、お兄様のお屋敷で暮らすのよね? わたしたちのきゅうにも遊びにきてね。絶対よ?」

「よ、喜んで……」


 甘えるようにうでからませてくるベルティーユに、ソランジュはまどい気味にうなずく。


(王太后様とベルティーユ様……。むやみに仲良くしたら婚約破棄しづらくなる気がする……でも、せっかくのおさそいを無下にするのも失礼だし……どうしたらいいの?)


 絶世の美女たちに左右からはさまれて、ソランジュは天をあおぐ。

 聖堂のてんじょうえがかれたコルドラの守り神である黒竜ディオニールの絵が、ソランジュを見下ろしていた。

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