1-4
*****
コルドラの王都へは、レアリゼから馬車で七日を要する。
二頭立ての馬車にソランジュとリディアが乗り、
馬車の
ソランジュは頻繁に小窓を開けては護衛たちと
国境を
山に囲まれたレアリゼでは木組みの家が主流だが、海の近いコルドラでは夕焼け色の
開けた小窓から風が
「風が……」
肌をなでるような、しっとりとした
「潮風ですね。海に近づいてきた
「これが潮風……海の
ソランジュは心臓が高鳴るのを感じた。
やがて馬車がゆるやかな
どこまでも続くまっすぐな水平線は午後の日差しを照り返して、細かな光の
「
ソランジュは薄紫色の双眸を細め、初めて触れる潮風を深く吸い込んだ。
「思ったよりも早く到着しましたね」
リディアが帳面を取り出して予定を
「王宮へ向かうのは三日後になりますから、空いた日は宿でお過ごしに……」
「食べ歩きしましょう!」
「……ソランジュ様が三日もおとなしくしているわけがありませんでした」
一行は、手配していた宿に立ち寄って手早く
港町の人々は朝が早いらしく、仕事を終えた漁師や市場の人たちは明るいうちから酒を
護衛の一人が年配であることから、ソランジュたちは家族連れの観光客を装って食堂に入った。
おすすめの料理を数種類とレモン水を注文する。ソランジュは護衛たちにコルドラ産の白ワインを
生まれて初めて食べた海産物は、どれも不思議な食感をしていた。
エビのプリプリ感と甘みに
「そういえば、国王陛下の例のアレ、今年もやるんだってな」
「ああ、美女の品評会か」
清潔な身なりだが、話し方と食べ方がいささか
ソランジュは料理を
「ご
(やっぱり誰も選ばれないのね。よかった)
ソランジュは内心、ほっとした。まかり間違って王妃に選ばれてしまったら取り返しがつかない。
「なんだ。お前、知らないのか?」
もう一人の男性が声量を落として言った。
「国王陛下は毎回、気に入った女性と婚約して、ご自分の住まいに囲うって聞いたぜ。どんなひどい目に遭ってるかは知らないが、泣いて
「お妃教育がよっぽど厳しいってことか?」
「もしくは、陛下の
男性たちの下品な笑い声を耳にしながら、ソランジュは貝類の旨みが存分に
(コルドラの王様って変態なのかしら?)
まだ顔も知らない国王を、心の中で変態呼ばわりしてしまう。
(誰も選ばれないんだから関係ない話よね)
ソランジュはメニューを広げ、手を挙げた。
「すみませーん。追加の注文お願いしまーす!」
*****
三日後。王妃選定パーティー当日。
宿で
城下町の中心に位置する王宮は、レアリゼの王宮よりもずっと立派なものだった。
レアリゼの王宮を家にたとえるなら、コルドラの王宮は一つの街に思えた。
人々が行き交う様子から、このあたりの区画は
さらに進んで二つ目の門をくぐると、
深い森が城を守るようにして広がる光景は、規模は違えどレアリゼの王宮と少し似ている印象を受けた。
小窓の外を、見たことのない姿形の鳥が飛んでいる。
樹木も草花も初めて目にするものが多く、ソランジュは無意識に目を輝かせた。
同じ大陸でも、気候が違うだけで世界がまるで違う。
この景色が見られただけでも、コルドラへ来てよかったと心から思った。
パーティーの受付を済ませると招待客の
「それじゃあ、行ってくるわね」
「ご武運をお祈りしています」
ソランジュが赤いビロードの
「ずいぶんと気合いが入っていらっしゃること。でも、無駄な努力ですわよ。あなたが選ばれることはありませんもの」
ソランジュは女性に向き直って、優雅に微笑みを返した。
「ええ、気合いは人一倍、入っていると思います。選ばれたら困るので」
「は?」
次の言葉を失った女性に「失礼」と一礼して、ソランジュはふたたび歩き出した。廊下に配置されていた案内係の女官に
広間に足を
一枚ガラスの
(すごい……何もかもが豪華だわ。目がくらみそう)
ソランジュは、
姉の言っていた通り、今回のパーティーに招待されているのはコルドラの周辺諸国から集められた女性王族たちだった。
(国王陛下はどの方なのかしら?)
配膳の使用人と配備された騎士たちのほかに、男性の姿は見当たらない。
(人を呼びつけておいて
ソランジュは銀糸の
「お料理をお取りいたしましょうか?」
「いいえ、自分で取るので結構です。ありがとうございます」
声をかけてくれた使用人に笑顔で礼を言うと、ソランジュは白磁の皿を手に取った。
(今日はお肉の気分だわ)
コルドラに到着してからの三日間、
「わああ、ひさしぶりのお肉! いただきまーす!」
ソランジュは肉をバゲットに載せ、大口を開けてかぶりついた。
「ん~~~~っ、おいひい!」
王女とは思えない
「なんて下品な……ありえませんわ」
「本当にみっともない。まるで
彼女たちは虫を見るような目でソランジュを遠巻きにしながら、ひそひそと
当のソランジュは料理に夢中で、姫君たちの悪口など耳に入っていなかった。
山盛りの料理を一瞬でたいらげ、おかわりを取りに席を立とうとした。
すると、目の前に新しい料理の皿が二つ、三つと次々に置かれた。
顔を上げると、使用人の男性が数人、テーブルを囲むように待機していた。
「サラダもどうぞお召し上がりください」
「ローストビーフをお持ちいたしました」
「お飲み物もどうぞ」
ソランジュが薄紫色の瞳をきょとんと見開いていると、使用人たちはおかしそうに笑みを浮かべながら言った。
「失礼をお許しください。
「ありがとうございます。助かります!」
「ほかにご
彼らの申し出に、ソランジュは満面の笑みで答えた。
「では、お料理を端から端まで一通りいただけますか? デザートはその後で全種類いただきます」
「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」
ソランジュの言動を遠巻きに
「全種類って……どれだけ食べるつもりなのかしら?」
「きっと、とてつもなく貧しい国からいらしたのよ。食いだめして帰る気なんだわ」
「なんて
彼女たちの声には、
もう魚介類に
料理を一通りたいらげ、
「大変お待たせをいたしまして、申しわけございません」
声のするほうへ視線を向けると、礼装に身を包んだ長身の男性の姿があった。
ソランジュは小声で使用人の男性に
「あの方が国王陛下ですか?」
「いいえ。あちらは
宰相は、招待客の姫君たちへ視線を送りながら
「国王陛下はただ今、政務が立て込んでおりまして、こちらへの到着が
宰相の言葉に、姫君たちの間から
「もう一時間もお待ちしておりますのに。まだいらっしゃらないなんて」
「きっと国王陛下の演出ですわよ。
くすくすと、
彼女たちは知っているのだろうか。国王の妃に選ばれたとしても、ひどい目に遭わされるかもしれないことを。
ソランジュは運んでもらったデザートもすべて食べ終え、食後の紅茶を口にする。
(デザート……もう一周したいけど、さすがにやめたほうがいいわよね。
明日の朝起きて、着られる服がなかったら困る。
「ご
この短時間ですっかり打ち解けた使用人の男性は、招待客用に開放されている庭園へ案内してくれた。緑の匂いを含んだ風が
「あちらのバラのアーチがある場所までは、ご自由に散策されて結構です。そこから奥は立ち入り禁止区域となっておりますので、お気をつけくださいませ」
「ありがとうございます」
ソランジュは庭園の草花を踏まないよう気を配りながら、ゆっくりと足を運ぶ。
レアリゼを出立してからの数日、一人でゆっくりと過ごす機会がなかったので、ここに来てようやく人心地ついた気がする。
海風の香る城下町は温暖で、北方に住むソランジュにとっては暑いくらいだったが、王宮は深い緑に囲まれているせいか
(コルドラは活気があって楽しい国ね。
明日の朝には出立してレアリゼへ戻る予定になっている。少し
(食べ歩きに夢中になって、お母様たちへのお
宿へ戻ったらリディアたちと相談して、買い物に付き合ってもらおう。
考え事をしながら歩くうちに、ソランジュはいつの間にか色とりどりのバラが咲き誇る区画に入り込んでいた。くぐってはいけないと言われていたバラのアーチが背後に見えた。
「いけないわ、戻らないと」
ソランジュが
「う……っ」
誰かのうめき声が聞こえた。
ソランジュは足を止め、耳を澄ます。
「……っく、うう……」
男の人の声。すぐそばにいる。ソランジュは声のするほうへと足を進めた。
「大丈夫ですか!?」
ソランジュは駆け寄って膝をついた。
ソランジュは人を眠らせる能力だけでなく、眠る人の身体に指一本でも触れたら、その人の夢の中へ意識が入り込んでしまうのだ。
「どうしよう……」
(人を呼びに行っている間に、もしも容態が悪化したら?)
ソランジュは、一度引いた手をふたたび差し伸べた。
(どんな病かわからないけど、苦痛をやわらげる程度ならできるはずよ)
ソランジュは地面に投げ出されている男性の手を、両手でそっと包み込んだ。
その瞬間、視界が色を
見知らぬ男性の手を握りしめたまま、ソランジュはその場に倒れ伏した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます