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*****



 コルドラの王都へは、レアリゼから馬車で七日を要する。

 ちゅうで何があっても間に合うよう、パーティーの十日前に出立した。

 二頭立ての馬車にソランジュとリディアが乗り、しょう箱をふくめた荷物を積んでいる。

 馬車のりょうわきを守るように、護衛の騎士が二人。

 ソランジュは頻繁に小窓を開けては護衛たちとぎょしゃにねぎらいの言葉をかけ、てききゅうけいを取ってはその場の景色を楽しんで順調に旅程を進んだ。

 国境をえたあたりでは、レアリゼと似通った緑の深い風景がしばらく続いていたが、かいどうを抜けて王都へ近づくにつれて美しく整備された区画が目立つようになった。

 山に囲まれたレアリゼでは木組みの家が主流だが、海の近いコルドラでは夕焼け色のかわらに白しっくいかべの家が立ち並ぶ。

 開けた小窓から風がき込んだ時、ソランジュは思わず声をあげた。


「風が……」


 肌をなでるような、しっとりとしたかんしょくの風は、知らない香りを含んでいた。


「潮風ですね。海に近づいてきたしょうです」


 へいそうする護衛の騎士がそう教えてくれた。


「これが潮風……海のにおい……」


 ソランジュは心臓が高鳴るのを感じた。

 やがて馬車がゆるやかなおかを下ると、遠くに青い水平線が見えた。

 しゅんかん、ソランジュは目の前の景色に心をうばわれた。

 み渡った青空と、深い青色の海をへだてる境界線は、レアリゼの山のりょうせんとは違う。

 どこまでも続くまっすぐな水平線は午後の日差しを照り返して、細かな光のつぶがまるでティアラのように見えた。


れい…」


 ソランジュは薄紫色の双眸を細め、初めて触れる潮風を深く吸い込んだ。


「思ったよりも早く到着しましたね」


 リディアが帳面を取り出して予定をかくにんする。


「王宮へ向かうのは三日後になりますから、空いた日は宿でお過ごしに……」

「食べ歩きしましょう!」

「……ソランジュ様が三日もおとなしくしているわけがありませんでした」


 一行は、手配していた宿に立ち寄って手早くほどきを終えると、おそめの昼食をとるためにはん|街へり出した。

 港町の人々は朝が早いらしく、仕事を終えた漁師や市場の人たちは明るいうちから酒をわしている。中には、異国風のしょうぞくをまとった商人たちの姿もあった。

 護衛の一人が年配であることから、ソランジュたちは家族連れの観光客を装って食堂に入った。

 おすすめの料理を数種類とレモン水を注文する。ソランジュは護衛たちにコルドラ産の白ワインをすすめたのだが、「任務中ですから」と固辞された。

 生まれて初めて食べた海産物は、どれも不思議な食感をしていた。

 エビのプリプリ感と甘みにしょうげきを受け、イカのなんとも言えないかたさとむほどに広がるうまみがやみつきになる頃、近くのテーブルの男性客たちの会話が耳に入ってきた。


「そういえば、国王陛下の例のアレ、今年もやるんだってな」

「ああ、美女の品評会か」


 清潔な身なりだが、話し方と食べ方がいささかな様子を見ると、王宮の下級兵士といったところだろうか。

 ソランジュは料理をたんのうしながら、彼らの会話に耳をそばだてる。


「ごれいじょうたちも気の毒だ。どうせ選ばれないのに必死にかざってびを売るんだから」

(やっぱり誰も選ばれないのね。よかった)


 ソランジュは内心、ほっとした。まかり間違って王妃に選ばれてしまったら取り返しがつかない。


「なんだ。お前、知らないのか?」


 もう一人の男性が声量を落として言った。


「国王陛下は毎回、気に入った女性と婚約して、ご自分の住まいに囲うって聞いたぜ。どんなひどい目に遭ってるかは知らないが、泣いてげ出すまでなんきん状態らしい」

「お妃教育がよっぽど厳しいってことか?」

「もしくは、陛下のしゅこうとくしゅか、だろうな」


 男性たちの下品な笑い声を耳にしながら、ソランジュは貝類の旨みが存分にちゅうしゅつされたスープを一匙ずつ口へ運ぶ。


(コルドラの王様って変態なのかしら?)


 まだ顔も知らない国王を、心の中で変態呼ばわりしてしまう。


(誰も選ばれないんだから関係ない話よね)


 ソランジュはメニューを広げ、手を挙げた。


「すみませーん。追加の注文お願いしまーす!」



*****



 三日後。王妃選定パーティー当日。

 宿でたくをととのえたソランジュは、リディアをともなって馬車でコルドラの王宮を訪れた。

 城下町の中心に位置する王宮は、レアリゼの王宮よりもずっと立派なものだった。

 レアリゼの王宮を家にたとえるなら、コルドラの王宮は一つの街に思えた。

 じょうへきの内側には図書館、博物館、美術館、歌劇場、海洋生物学や天文学など各部門の研究所、カフェテラス、ふくしょく雑貨店、書店が立ち並んでいる。

 人々が行き交う様子から、このあたりの区画はいっぱん市民にも開放されているらしい。

 さらに進んで二つ目の門をくぐると、がくように美しく整備された前庭が広がり、その先にけんろうなたたずまいの城が見えた。

 深い森が城を守るようにして広がる光景は、規模は違えどレアリゼの王宮と少し似ている印象を受けた。

 小窓の外を、見たことのない姿形の鳥が飛んでいる。

 樹木も草花も初めて目にするものが多く、ソランジュは無意識に目を輝かせた。

 同じ大陸でも、気候が違うだけで世界がまるで違う。

 この景色が見られただけでも、コルドラへ来てよかったと心から思った。

 パーティーの受付を済ませると招待客のひかしつへ案内された。そこで身なりの確認を行い、ソランジュは会場である広間へ、リディアは侍女たちの待機する部屋へと移動する。


「それじゃあ、行ってくるわね」

「ご武運をお祈りしています」


 ソランジュが赤いビロードのじゅうたんかれた廊下を歩き出した時、すぐ近くで女性が鼻で笑う声が聞こえた。


「ずいぶんと気合いが入っていらっしゃること。でも、無駄な努力ですわよ。あなたが選ばれることはありませんもの」


 ごうしゃなドレスに身を包んだ若い女性だった。ソランジュと同じく、パーティーに招待された異国の王族なのだろう。言葉とは裏腹に、頭のてっぺんからつま先に至るまでかんぺきに着飾っている。選ばれないとわかっていても、ほんのわずかな望みをいだいているように見えた。

 ソランジュは女性に向き直って、優雅に微笑みを返した。


「ええ、気合いは人一倍、入っていると思います。選ばれたら困るので」

「は?」


 次の言葉を失った女性に「失礼」と一礼して、ソランジュはふたたび歩き出した。廊下に配置されていた案内係の女官にゆうどうされて、広間へとたどり着く。

 広間に足をれた瞬間、ソランジュは思わず声をあげそうになった。

 みがき抜かれた大理石のゆかそうれいな宗教画の描かれたてんじょうごうけんらんなシャンデリア。

 一枚ガラスのめ込まれた大窓からは昼間の白い陽光がし込み、広間につどう姫君たちの美しさが引き立てられている。


(すごい……何もかもが豪華だわ。目がくらみそう)


 ソランジュは、かんだんする姫君たちにまぎれて周囲をうかがう。

 姉の言っていた通り、今回のパーティーに招待されているのはコルドラの周辺諸国から集められた女性王族たちだった。


(国王陛下はどの方なのかしら?)


 配膳の使用人と配備された騎士たちのほかに、男性の姿は見当たらない。


(人を呼びつけておいてこくだなんて、失礼な王様ね)


 ソランジュは銀糸のしゅうがほどこされた空色のドレスの裾を翻して、かべぎわのビュッフェスペースへ移動した。昼食を取らずに宿を出たので空腹で今にもたおれそうなのだ。


「お料理をお取りいたしましょうか?」

「いいえ、自分で取るので結構です。ありがとうございます」


 声をかけてくれた使用人に笑顔で礼を言うと、ソランジュは白磁の皿を手に取った。


(今日はお肉の気分だわ)


 コルドラに到着してからの三日間、ぎょかいるいばかり食べていたせいで肉がこいしい。かものローストとバゲットを山盛りにせ、飲み物を受け取ってテーブル席へと足早に移動する。


「わああ、ひさしぶりのお肉! いただきまーす!」


 ソランジュは肉をバゲットに載せ、大口を開けてかぶりついた。


「ん~~~~っ、おいひい!」


 王女とは思えないごうかいな食べっぷりに、近くにいた姫君たちがざわついた。


「なんて下品な……ありえませんわ」

「本当にみっともない。まるでいぬのようですわ」


 彼女たちは虫を見るような目でソランジュを遠巻きにしながら、ひそひそとささやきを交わす。

 当のソランジュは料理に夢中で、姫君たちの悪口など耳に入っていなかった。

 山盛りの料理を一瞬でたいらげ、おかわりを取りに席を立とうとした。

 すると、目の前に新しい料理の皿が二つ、三つと次々に置かれた。

 顔を上げると、使用人の男性が数人、テーブルを囲むように待機していた。


「サラダもどうぞお召し上がりください」

「ローストビーフをお持ちいたしました」

「お飲み物もどうぞ」


 ソランジュが薄紫色の瞳をきょとんと見開いていると、使用人たちはおかしそうに笑みを浮かべながら言った。


「失礼をお許しください。貴女あなたさまの食べっぷりを拝見したところ、その都度お席を立つのはめんどうなのではないかと、我々が勝手に判断いたしました」

「ありがとうございます。助かります!」

「ほかにごしょもうの料理がありましたら、なんなりとお申しつけくださいませ」


 彼らの申し出に、ソランジュは満面の笑みで答えた。


「では、お料理を端から端まで一通りいただけますか? デザートはその後で全種類いただきます」

「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」


 ソランジュの言動を遠巻きにながめていた姫君たちは、ますますドン引きしている。


「全種類って……どれだけ食べるつもりなのかしら?」

「きっと、とてつもなく貧しい国からいらしたのよ。食いだめして帰る気なんだわ」

「なんてきたない」


 彼女たちの声には、あわれみの色が混じっていた。そんな声を右から左へと受け流し、人生で最初で最後になるだろうこの場パーティーを、ソランジュは後悔のないように絶品料理を余すところなく堪能する。

 もう魚介類にきたと思っていたけれど、大衆食堂のぎょかい料理と宮廷料理では味付けがまったく違う。どちらもらしい。特に、エビのすり身をげた料理がたまらなく美味おいしくて、これは無限に食べられそうな気がした。

 料理を一通りたいらげ、いったん中座し、デザートの皿に手をばしたところで、若い男性の声が広間に響き渡った。


「大変お待たせをいたしまして、申しわけございません」


 声のするほうへ視線を向けると、礼装に身を包んだ長身の男性の姿があった。

 ソランジュは小声で使用人の男性にたずねた。


「あの方が国王陛下ですか?」


「いいえ。あちらはさいしょう閣下です」


 宰相は、招待客の姫君たちへ視線を送りながらびの口上を述べた。


「国王陛下はただ今、政務が立て込んでおりまして、こちらへの到着がおくれる見通しでございます。みなさまに一分一秒でも早くお会いしたいと申しておりますので、勝手ではありますが今しばらくお待ちいただけましたら幸いに存じます」


 宰相の言葉に、姫君たちの間かららくたんの声と喜びのかんせいが同時にあがった。


「もう一時間もお待ちしておりますのに。まだいらっしゃらないなんて」

「きっと国王陛下の演出ですわよ。らして、私たちの反応を楽しんでいらっしゃるに違いありませんわ」


 くすくすと、つやっぽい笑い声がそこかしこから聞こえてくる。

 彼女たちは知っているのだろうか。国王の妃に選ばれたとしても、ひどい目に遭わされるかもしれないことを。

 ソランジュは運んでもらったデザートもすべて食べ終え、食後の紅茶を口にする。


(デザート……もう一周したいけど、さすがにやめたほうがいいわよね。ぶくろは平気でも、カロリーには勝てないもの)


 明日の朝起きて、着られる服がなかったら困る。


「ごそうさまでした。あの、少し散歩をしたいのですが、外に出てもいいでしょうか?」


 この短時間ですっかり打ち解けた使用人の男性は、招待客用に開放されている庭園へ案内してくれた。緑の匂いを含んだ風がここよい。


「あちらのバラのアーチがある場所までは、ご自由に散策されて結構です。そこから奥は立ち入り禁止区域となっておりますので、お気をつけくださいませ」

「ありがとうございます」


 ソランジュは庭園の草花を踏まないよう気を配りながら、ゆっくりと足を運ぶ。

 レアリゼを出立してからの数日、一人でゆっくりと過ごす機会がなかったので、ここに来てようやく人心地ついた気がする。

 海風の香る城下町は温暖で、北方に住むソランジュにとっては暑いくらいだったが、王宮は深い緑に囲まれているせいかかくてきすずしく感じる。


(コルドラは活気があって楽しい国ね。せいも王宮も人が優しいし、お料理も美味しいし。王様はちょっと難ありみたいだけど、治世は良さそう)

 明日の朝には出立してレアリゼへ戻る予定になっている。少し名残なごりしい。


(食べ歩きに夢中になって、お母様たちへのお土産みやげをすっかり忘れていたわ)


 宿へ戻ったらリディアたちと相談して、買い物に付き合ってもらおう。

 考え事をしながら歩くうちに、ソランジュはいつの間にか色とりどりのバラが咲き誇る区画に入り込んでいた。くぐってはいけないと言われていたバラのアーチが背後に見えた。


「いけないわ、戻らないと」


 ソランジュがきびすを返そうとした時だった。


「う……っ」


 誰かのうめき声が聞こえた。

 ソランジュは足を止め、耳を澄ます。


「……っく、うう……」


 男の人の声。すぐそばにいる。ソランジュは声のするほうへと足を進めた。

 ていねいり込まれたかきの向こう側に若い男性が倒れていた。


「大丈夫ですか!?」


 ソランジュは駆け寄って膝をついた。かいほうしようと手を伸ばすが、慌てて引っ込める。

 ソランジュは人を眠らせる能力だけでなく、眠る人の身体に指一本でも触れたら、その人の夢の中へ意識が入り込んでしまうのだ。


「どうしよう……」


 ちゅうちょしている間にも、地面に横たわる男性は苦しそうに身をよじらせる。緑のこうたくを帯びたくろかみあせばんだ額にりついている。うすく開かれたくちびるは浅い呼吸を繰り返す。


(人を呼びに行っている間に、もしも容態が悪化したら?)


 ソランジュは、一度引いた手をふたたび差し伸べた。


(どんな病かわからないけど、苦痛をやわらげる程度ならできるはずよ)


 ソランジュは地面に投げ出されている男性の手を、両手でそっと包み込んだ。

 その瞬間、視界が色をくして、自分の身体から意識が抜け出るのを感じた。

 見知らぬ男性の手を握りしめたまま、ソランジュはその場に倒れ伏した。

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