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 細長いテーブルが並ぶ食堂にはまだ誰も来ておらず、ソランジュと母はそれぞれ席についた。ほどなくして二番目の姉エステルがやってきて、続いて一番上の姉コラリーと、その夫が一緒に現れた。

 なごやかなふんで雑談をしていると、最後にいかめしい表情をした父が姿を見せた。


「ごきげんよう、お父様」


 ソランジュは立ち上がってしゅくじょの礼をとるが、父はいちべつしただけで何も言わずにさいおうの席に座った。

 父がソランジュに対して冷たいのはいつものことだが、今日は何やら空気がり詰めているように感じられる。


「お父様。わたしに縁談が来ているのは本当ですか?」


 無作法とは思いつつも、ソランジュは自分から直接問いかけた。せっかくひさしぶりに家族が全員そろったのだから、なんのわだかまりもなく食事をしたかった。


「相手は、コルドラ王国のアルベリク王だ」

「……え?」


 父の口から出た名前に、ソランジュはぜんとした。

 てっきり、レアリゼ王国内の貴族令息がお相手だとばかり思っていたし、縁談そのものが何かの間違いだろうとタカをくくっていた。

 西のりんごく、コルドラ王国といえば、国土と人口はレアリゼの十倍以上、農作物の収穫量も軍事力も比べ物にならない。大陸の南岸に面した王都の港町は貿易がさかんで、経済もレアリゼのウン十倍も回っている。

 たとえるなら、田舎いなかの農民の娘が大金持ちの王様からきゅうこんされるようなもの。


「何かの間違いじゃありませんか?」

「まだ正式な縁談ではないの」


 そう言ったのは、二番目の姉エステルだった。


「コルドラの国王様がおきさき様を選ぶためのお見合いパーティーが、一か月後に開かれるんですって。周辺諸国のひめぎみたちが招待されているそうよ」

「そのパーティーにわたしが?」

「本当はね、あちらのちがいで私に招待状が届いたの。でも、私は結婚をひかえている身でしょう? だから、代わりにソランジュにお願いしたくて」

 ソランジュはようやくに落ちた。美人で教養もあって社交的なエステルなら、隣国からお呼びがかかるのも当然だと思った。


「でも、わたしは……」


 ソランジュは言いかけて、父の顔を見た。父は何も言わずに食前酒に口をつけている。


「心配しなくてもだいじょう。選ばれることは絶対にないから」

「どうして?」


 問い返すと、エステルはユリの花弁のようにたおやかな指先をほおに添えた。


「なんでも、コルドラの国王様はこれまでに何度も婚約なさっているそうなの。最近では、お見合いパーティーを開いても誰も選ばれないまま解散してしまうとか」

「経費と時間のづかいよね」


 ちょうのコラリーがしんらつな口調で言った。その隣で夫がしょうを浮かべる。


「今度のパーティーも、おそらく誰も選ばれないだろうと言われているの。それなら外交も兼ねてソランジュを出席させてもいいんじゃないかしらって、私は思うのだけど……」


 エステルは、父のほうをちらりと見やった。


「外交……」


 これまでの人生でえんのなかった言葉に、ソランジュの胸がおどった。


「興味がありそうな顔ね」


 エステルにし|摘《てきされて、ソランジュは頰を上気させてうなずいた。

 この機会をのがしたら、この先ずっと外の世界を見ることなく離宮で一生を終えてしまうかもしれない。一度でいいから異国の景色を見てみたい。


「あの、お父様」


 ソランジュは父に向き直った。


「コルドラ王国訪問の許可をいただけませんか? けっしてお父様に迷惑をかけることはしません」


 父は食前酒のグラスを置いた。


「条件がある。お前の加護の力を絶対に使わないこと。加護を授かっていることをコルドラの人間にけっしてさとられないこと。間違っても婚約者に選ばれるような行動はとらないこと。それが守れるなら、行きなさい」


 父がソランジュと目を合わせてくれたのは何年ぶりのことだろう。つうの親子なら当たり前のことなのに、ソランジュは泣きそうになるくらい嬉しかった。


「ありがとうございます、お父様」

「コルドラ王国の王妃に? ソランジュ様が?」

「あちらの王様のお見合いパーティーに行くだけよ。選ばれることはないから大丈夫」


 すっかり旅行気分のソランジュに対して、リディアは心配そうにまゆじりを下げた。


「心配です。ソランジュ様は見た目だけでしたらレアリゼで一番のぼうですから。コルドラの国王陛下がひとれなさる恐れが……」


 めてもらえるのはありがたいけれど、しょせんは身内のひいである。


「絶対にないから安心して。それでね、リディアも一緒にコルドラへ行ってほしいの」

「もちろんです。おまかせください」


 ガサツなソランジュと四六時中、行動を共にできるのはむかしみのリディアくらいのものである。


「楽しそうですね、ソランジュ様?」


 リディアの問いかけに、ソランジュは口角を上げた。


「レアリゼの外に出るのは初めてなんだもの」


 リディアがれてくれた紅茶を一口飲んで、ソランジュはまだ見ぬ土地を想像する。


「それに、コルドラの王都は海に面しているのよ。海って初めて見るから楽しみ。海のお魚とか、貝とか。それから、レモンは絶対に買って帰りたいわ。あ、収穫時期はまだ先だったかしら?」

 いまだ試作段階のタンポポシロップが完成に近づくと思うと、わくわくする。


「完全にグルメツアーになりそうですね」

「出発前に下調べをしておかなくちゃ」

「ソランジュ様。その前にマナーの総ざらいをしておくべきでは?」


 かんじんなことを忘れていた。

 十八歳の現在まで一度も社交界に出た経験のないソランジュは、淑女のマナーもダンスも食事作法も最低限は身に付けているものの、とても人前でろうできるものではない。


「リディア……特訓に付き合って」

「おまかせください」


 この日からおよそ一か月にわたって、ごくの特訓が行われた。

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