1ー2


 教会は街はずれに位置しているので、市場での買い物を終えてからおとずれる予定になっていた。寄付もねて、教会へは品物をしょうで提供している。

 車止めに移動して荷馬車に乗り込み、三十分ほどで教会にとうちゃくした。 赤いとんがり屋根が目印の古びた建物である。


「こんにちは、神父様」

「よく来てくれましたね、ジョンにソフィー。どうぞこちらへ」


 神衣をまとった初老の男性がおだやかなみをかべて二人をむかえた。ジョンとはジャックの偽名である。

 教会のとなりには救貧院がへいせつされており、ソランジュの作るシロップなどは子どもたちのおやつになる。


「いつもありがとうございます。このシロップは、どのように扱えばいいのでしょう?」

「お茶にかしたり、パンケーキやスコーンにつけるとおいしいですよ。それから、肉料理のソースに混ぜてもいいと思います」

「それはいい。さっそくためしてみることにしましょう」


 神父の先導でだんとおけて救貧院へ移動すると、小さな子どもたちがいっせいに集まってきた。


「ソフィーお姉ちゃんだ!」

「今日もご本読んでくれるの?」

「お外であそびたい!」


 十歳にも満たない子どもたちが、ソランジュの足元にわらわらと集まってくる。

 離宮を抜け出して教会を訪れるのは容易でないため、子どもたちに会えるのはせいぜい月に一、二度ほど。たまにしか顔を出さないソランジュをこうしてしたってくれるのがとても嬉しい。


「みんなのやりたいこと全部やりましょう。順番にね」


 ふと、視界のはしに見覚えのない女の子の姿が見えた。談話室のすみで、ひざかかえて座り込んでいる。


「神父様。あの子は?」

「アンといいます。つい先日ここへ来たばかりの子ですよ」


 ソランジュは、子どもたちに「ちょっと待っててね」と言いえてから、アンのそばへ歩み寄った。年の頃は七歳くらいと思われる。


「こんにちは、アン」


 両膝をついて声をかけるが、返事はない。うつろな表情でだまり込んでいる。

 見れば、アンの身体からだほそっていて、衣服からのぞく白いはだにはあおむらさきいろあざ火傷やけどあとがあった。

 思わず息をのんだソランジュに、神父が小声で告げた。


「両親をくして、親類の家に引き取られたのですが、そこでひどい目にったようで。ここへ来てからまだ一度も口をきいていません」

「こんな小さな子に、なんてむごいことを……」


 なんの罪もない子どもが、どうしてこんな目に遭わなくてはならないのだろう。ソランジュはやるせない気持ちでアンを見つめた。


「神父様。ブランケットを貸していただけますか?」

「それは構いませんが……」


 不思議そうな表情を浮かべながらも、神父はブランケットを貸してくれた。

 ソランジュはアンに近づき、折れそうなほど細い身体にブランケットをかけた。アンは一瞬、おどろいたように目をみはったものの、いやがるりは見せなかった。


「アン。手を貸してね」


 やさしく声をかけ、傷だらけの小さな手をそっとにぎる。


(アンに眠りの加護を)


 ソランジュは心の中で守り神にいのりをささげた。

 すると、アンの小さな頭がすとんとソランジュの肩にもたれかかった。

 同時に、ソランジュも眠りに落ちた。

 ほかの子どもたちのはつらつとした声がひびく中、二人は寄り添うように眠る。




 ソランジュの意識は、アンの夢の中にいた。

 小さな金色の羊に姿を変えて、ぷかぷかと夢の中を泳ぐ。

 夢の中のアンは一人ぼっちで泣いていた。

 幼く小さな身体では抱えきれないほどの傷を負っている。

 ソランジュは、アンの身体と心の傷がえますようにと強く願った。




 目が覚めると、ソランジュの身体にブランケットがかけられていた。

 一緒に眠っていたはずのアンは、子どもたちの輪に入って一緒に遊んでいる。

 がおはまだぎこちないけれど、新しい家族と少しずつきょを縮められるだろう。

 ソランジュがあんの息をつくと、ジャックがしかめっつらを浮かべてこちらへ来た。かたひざをついて、小声で言う。


「力を使ったのか?」

「どうしても、必要だったんです」

「お父上に禁じられているのに?」

「ごめんなさい」


 ソランジュの持つ「眠りと癒しの加護」は、手をれて祈ると相手を眠らせることができる。

 そして、相手の夢の中へともぐり、身体と心を癒す。多少のならできるし、軽い風邪程度の病気も治すことができる。また、夢の中で相手の心に触れて精神的な負担を取り除く力がある。


「お父様に報告したければ、好きにしてください。わたしは間違ったことをしたとは思っていません」


 ソランジュはまっすぐな目でジャックをえた。


「やめておくよ。俺がだっそうの手引きをしたことがバレたら降格ものだからね」

「あっ」


 ジャックは毎回、ソランジュを離宮から連れ出してくれるだけではなく、使用人たちとの口裏合わせにも抜かりがない。彼のおかげで家族に知られずに、離宮の外を見て歩くことができるのだ。


「ごめんなさい。迷惑ばかりかけて……」

「本当にね」

「うっ……」


 ジャックは、さらっと痛いところをついてくる。


「でも、あのままアンを見捨てていたら、俺はあなたをけいべつしていたよ」

「団長……」

「自分の正しさを信じるといい」


 ソランジュはうなずき、消え入りそうな声で「ありがとうございます」とつぶやいた。



*****



 教会にシロップの瓶詰を納めて、からになった荷馬車で王宮へもどる頃には午後の三時を回っていた。

 正門の衛兵の目に触れないように遠回りして裏門へ移動する。


「団長。今日はありがとうございました」

「次は、レモンが入る頃に市場へ行こうか」

「はい!」


 ジャックを乗せた荷馬車が緑の小道の向こうへ消えていくのを見送ってから、ソランジュは離宮へと戻った。


「ソランジュ様、おかえりなさいませ」

「ただいま、リディア。留守番ありがとう」

「そんなことより、今すぐおえを」


 普段は冷静ちんちゃくめっに表情を変えない侍女のリディアが、今日はめずらしくあわてていた。


「どうかしたの?」

「国王陛下よりお召しがございました。ただちに本宮へ来るようにと」

「ずいぶんと急な話ね。何かあったのかしら?」


 リディアと一緒にろうを歩きながら、ソランジュは首をひねった。

 ソランジュは四歳の頃から離宮で暮らしているが、父との交流はほとんどない。

 母や二人の姉たちはひんぱんに顔を見に来てくれるけれど、父は家族の誕生日でもない限りソランジュと顔を合わせようとしない。

 最後に父と会ったのは先月、ソランジュの十八歳の誕生日だった。

 自分の部屋へ戻ると、侍女たちが衣類を身に着ける順番に並べて待機していた。はだにコルセット、ドロワーズ、ばんさん用のドレス、アクセサリーにくつ

 侍女たちの手を借りて気持ち急いでコルセットを締め、ドレスと靴を身に着けて髪をととのえ、しょうをほどこしてもらう。

 馬車で本宮へ移動すると、王妃である母の部屋へと案内された。


「ごきげんよう、お母様」

「まあ、ソランジュ」


 母は、かざのない若草色のドレスを身にまとっていた。王妃にしてははなやかさに欠けると思う人もいるだろうが、りんとしたたたずまいの美しい母が着ると、上品で洗練されたよそおいに見える。

 ソランジュと同じあわい金髪に薄紫色の美しいそうぼうを持つ母は、あきれたように言った。


「また、あなたはそんなひんそうな格好をして。としごろの娘なのだから、もう少しおしゃれに気をつかったらどうなの?」


 ソランジュが着ているのは、シンプルなもえ色のドレスだった。長く波打つ金髪は編み込んでアップにしており、つぶの宝石がついたピンを申しわけ程度にしている。


「お母様がそれを言う?」

「私だって若い頃は、それなりにがんっていたのよ?」


 そう言う母は、視線をらして何もない窓の外を見た。

 ソランジュがな装いを好まず機能性を重視するのは、明らかに母親ゆずりである。


「お母様。今日は一体何があるの?」

えんだんですって」

「縁談?」


 ソランジュは首をかしげた。

 一番上の姉コラリーはすでに結婚しているし、二番目の姉エステルも今年に入って|婚《こん

約》《やく》が決まったばかりだ。


「まさか、わたしにじゃないわよね?」

「そのまさかよ」


 ありえない。

 ソランジュは誰とも結婚しないまま、あの離宮でしょうがいを終える宿命を背負っている。


くわしい話はお父様に直接聞くといいわ」


 にわかに信じがたいソランジュは、母の話を右から左へと聞き流しつつ、連れ立って食堂へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る