第1章 箱入り羊姫

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 レアリゼ王国。

 大陸の北方に位置する小国で、険しいさんがくと深い森に囲まれている。

 りょうどなりには、西のコルドラ王国と、東のテネブール王国。

 広い国土と強大な軍事力をほこる二国にはさまれているレアリゼは、中立国として各国とのきんこうを保っている。

 東西の国に挟まれているため、両国の特色が入り混じった文化が根付いており、旅人の間では「大陸の中心」と呼ばれている。

 レアリゼの国王とおうの間には、三人の王女がいる。

 第一王女コラリー。二十一歳。そうめいと評判で、次期女王になることが決まっている。

 第二王女エステル。十九歳。社交的で芸術面にけた、だれからも愛される

 第三王女ソランジュ。十八歳。幼少のころから病弱であるため、おおやけの場に姿を現したことは一度もない。


 レアリゼ王宮。庭園の奥にひっそりとたたずむ小さなきゅう

 川から引いた水路には古い水車小屋があり、多種多様なハーブを植えた薬草園と、色とりどりの果樹園が広がっている。

 庭園をいろどるのは、きゅうていくバラのようにそうごんれいな花ではなく、タンポポやシロツメクサといった、野に咲くささやかな花だった。

 黄色いタンポポ畑に座り込む少女が一人。タンポポのように明るいきんぱつに、アメジストを思わせるうすむらさき色のひとみをしたれんおもちの少女である。

 タンポポの花をんでは、とうかごに集めている。手籠の中はあっという間に黄色いタンポポの花でいっぱいになった。


「ソランジュ様。お湯の用意ができました」

「ありがとう」


 じょに呼ばれたソランジュは水路の水でタンポポの花を洗い、つちぼこりと花粉を落とす。

 かまどに用意されたなべに砂糖を入れてじっくりとめ、リンゴのじゅうと香りづけのハーブを加えてからタンポポの花弁をふわりと散らす。

 ひとちして灰汁あくを取り除いたら、タンポポシロップのできあがり。


「いい香り」


 ソランジュは立ち上る甘い香りに目を細めた。

 熱が冷めないうちにガラスびんに注ぎ入れる。ふたの部分にはわいらしい布とリボン。ラベルには羊の絵がちょこんとえがかれている。

 ソランジュはシロップを一さじすくって味見をした。


(おいしいけど、本当ならかんきつの果汁を入れるともっと味がまるはずなのよね。レアリゼで柑橘は実らないから仕方ないのだけど)


 もったりとした甘さを引き締めるために、酸味が強いリンゴの果汁を入れているけれど、想像通りの味に仕上がらないのがもどかしい。

 ソランジュが頭をひねっているところへ、一台の荷馬車がやってきた。


「おはよう、ソランジュ様」

「団長。おはようございます」


 赤がみで長身の青年がゆうな身のこなしで馬から下りた。宮廷団長のジャックである。


「今朝もいいものができたみたいだね」

「はい。でも、やっぱり一味足りなくて。城下の市場で柑橘って手に入りますか?」

「柑橘か……。これからいっしょに探しに行くかい?」

「え? でも……」


 ソランジュはいっしゅん、顔をかがやかせたものの、すぐに思い直して視線を落とした。


 ある事情から、ソランジュは離宮の外へ出ることを父王から禁じられている。

 公には、病弱なため人前に出られないということになっているが、当のソランジュは一つ引かずにピンピンしている。


「もちろん陛下にはないしょにしておくよ。いつも通りね」


 ジャックが悪戯いたずらっぽく笑うと、ソランジュは顔を上げてはにかんだ。


「できたてのシロップを雑貨屋におろす用事もあるし、製造者が同行してくれると俺としても助かるんだ」


 ソランジュの作るシロップやジャム、キャンディに野草茶といった手製の品物は、ジャックが朝のうちに城下町の雑貨屋と数てんのカフェと、教会へ運んでくれる。売上金からちゅうかい料と店舗の使用料を差し引いた金額が、ソランジュの収入となる。

 羊のマークが刻まれた品物は、城下町の若い女性を中心に評判を呼んでいる。

 ソランジュ王女の手作りであることはせられており、「ひつじ堂」というたくはんばい店の名前だけが公に記されている。


「団長がごめいわくじゃなければ、お供させてください」


 本当は今すぐにでも外へ出かけたいソランジュは、そわそわしながら言った。


「荷積みは俺がやっておくから、出かけるたくをしておいで」

「はい!」


 ソランジュはエプロンドレスのすそひるがえしてした。

 庭を駆け回る子犬のような後ろ姿を見送りながら、ジャックは目を細めてほほむ。

 活発でこう心がおうせいひとなつっこい、加えて真面目で向上心が高い。


(こんなところに閉じ込めておくにはもったいない王女様だよな)


 やっかいな加護の力さえさずかっていなければ、いまごろは姉王女たちと一緒に公務に出て、国民から愛される立派な王女になっていただろう。

 ソランジュにはもっと日の当たる場所で輝いてほしいという願いと、このままずっと自分だけをたよってほしいという浅ましい気持ちが、ジャックの中でこうさくする。


(何を考えてるんだか)


 ジャックは首を横にり、金色にきらめくシロップのびんづめを荷馬車に積み始めた。



*****



「まあ、ソフィーさん、おひさしぶりね。来てくださってうれしいわ。ソフィーさんのお品物はいつも、お客様からの評判が高いのよ」


 雑貨屋の主人は、ちんれつされた羊堂の商品を絶賛してくれた。


「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」


 ソランジュは深々と頭を下げた。城下町では、ソフィーというめいを使っている。


「王室ようたし」などといった、品質とは関係のない評判が広がらないように、ジャックも名前と身分をいつわって民間の商人にふんしている。


「そろそろベリー類のしゅうかく時期なので、新しい商品ができたらお持ちしますね」

「ええ、楽しみにしているわ」


 ジャックと一緒に納品先の店舗を回ってシロップを卸した後は、お待ちかねの市場に連れて行ってもらった。


「わあ、オレンジがこんなに」


 あまっぱい香りがこうをくすぐる。


「夏になれば、西のコルドラ王国からレモンが入ってくるよ」


 お店のおばさんがそう教えてくれた。

 ソランジュは、シロップの試作品に使うためのオレンジを十個こうにゅうした。


(レモンも使ってみたいわ。早く夏にならないかしら)


 オレンジがパンパンにまったかわぶくろをぶら下げて歩いていると、ジャックがひょいと取り上げた。


「うわ。こんな重いもの持ってたら、かたが外れるよ」

「平気ですよ」

「ダメだ。一応あなたはレディなんだから」

「ありがとうございます……」


 だんは手のかかる妹みたいにあつかうくせに、急に女性扱いされるとなんだか照れくさい。

 はばだって本当はソランジュよりずっと広いのに、歩調を合わせてくれている。


「団長の奥様になる方は、きっと幸せですね」

「どうしてそんなふうに思うんだい?」


 ソランジュが何の気なしにつぶやいた言葉を、ジャックが拾い上げた。


「なんとなく。すごく大切にしてくれそうだなって思っただけです」

「じゃあ、俺とけっこんしてみる?」

「え?」


 ソランジュは思わず足を止めた。

 ジャックも立ち止まって向かい合う。

 ざっとうが二人をけて、小川のせせらぎのように流れていく。


「悪いじょうだんはやめてください。わたしの身の上を知っているでしょう?」

「もちろん」


 ソランジュは幼い頃、レアリゼ王国の守り神から「ねむりといやしの加護」を授かった。

 しかし、それは聖なる力であると同時に王家ではまわしい力とされている。

 過去に同じ力を授かった女性があやまちをおかし、めつの道をたどった。

 ソランジュが同じちがいをしないとも限らない。むすめが破滅の道をたどるのをおそれたレアリゼ国王は、ソランジュを人の行き来がない離宮へと住まわせた。当然、結婚という未来のせんたくもない。


「わたしも『ぼうぎゃくの女王』みたいに、人の心をあやつって悪いことをするかもしれません。団長のことだって、いつか自分の操り人形にするかも……」

「俺は構わないよ」


 ジャックは真面目な顔つきで言った。


「あなたになら心を操られてもいい……って言ったら、結婚してくれる?」

「いいえ」


 ソランジュは首を横に振った。


「操られてもいいなんて言ったらいけませんよ。自分の心を大切にしてください」


 本当は嬉しかった。こんな自分でも、求めてくれる人がいることが。

 でも、心のどこかでもう一人の自分が「違う」とうったえている。


「ごめん。今の話は聞かなかったことにして」


 ジャックは肩をすくめて、冗談めかして笑った。


「行こうか」


 先を歩くジャックの背中は、ほんの少しだけさびしげに見えた。

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