僕は兄さんを信じてる

「――来たぞ!」


 サンケイが、内心の怯えを隠して声高に叫んだ。


 彼が目の前にしているのは焼け落ちた廃墟だった。


 海を一望できる岬の先端にある行き来には不便だが景観としては悪くない立地の建物――キノトの店だった場所。そこが、ボルドの指示した場所だった。


 招待状と銘打たれた脅迫状をサンケイが見つけたのはテンプス達が帰ってきたのとほとんど同時だった。


 それを狙ってそのタイミングにしたのだから当然の事ではあったが、テンプスのもとにルフが情報を送信したのと、妹の待つ会議室にフラルが到達したのは同時だった。


 消えた友人、荒れた室内、残された脅迫状。


 緊急事態だった。


 文面を見るに、襲っているのはボルド――前世での自分の兄だ、対処する必要がある。


 兄……テンプスに頼れればこれほど頼もしいこともないが、そうもいかない。彼は療養中だ、無理はさせられないし、連絡の手段がない。


 文面を見るにテンプス――と謎の人物を連名で脅迫する内容。おまけに、自分の妹と友人をさらっている。


 フラルはそれを見て怒りを覚えない人間ではなかったし、ネブラはそれを一人で行かせるような人間でもなかった。


 彼女は即座にサンケイに連絡を取った。テンプスはいない――あの一件で彼が背に負った怪我を治すためにどこかに行っている、連絡手段はない。


 そういった魔術は妹の担当だ、自分のような粗忽な女は何かを叩き潰すことしかできない。ネブラもだ。


 サンケイならば――と思ったが、彼もできないという。


 であるならば、仕方がない。


 サンケイはこの世界にきてから初めて、他人のために腹をくくることにしたのだ。


「――よぉ、裏切り者、ずいぶんと早いなぁ?」


 そういいながら、店から姿を見せたのは確かに前世の兄だと名乗る男だった――最も、ずいぶんと様変わりした様子ではあったが。


 まず、第一に容姿が変わった。


 眠れなかったのか、あるいは眠らせられなかったのか、目の下にはひどいクマが浮かび、病的なほど目がぎょろついている。


 まるで薬物中毒の患者のように見えるその姿は、自分に計画に乗れと言ってきたときの面影はない。


 何より、年を取っている。以前あった時は一つか二つ上程度だった年齢が明らかに老け込んでいた。今では二十台も後半に見える。


 その二に――雰囲気が違う。


 捕まる前までは明らかに自信にあふれた様子だったあの男の姿からは想像もできないほど、卑屈そうな態度を隠さない様子は明らかに以前の……前世での様子からはかけ離れている。


 まるで何か化け物にあって自分という物をなくしたかのように態度がおかしかった。


「友達がさらわれてるんだ、急ぎもするだろ。」


 腰の愛剣に手を掛けながら、サンケイはぶっきらぼうに答える。この男の加速対策はすでにしてある、問題は人質の確保だ。


 剣呑な雰囲気で声を上げるサンケイを、ボルド鼻で笑って見せた。


「友達?誰にも本当の自分を見せてないくせによく言う……ずいぶんと他人行儀な友情だなぁ?それとも、おにいちゃまに何とかしてもらうつもりか?この前俺から助け出されたみたいに。」


 そういって挑発的に笑うようすも、以前とは異なる――前なら、もっと自信に満ちた物言いだったはずだ。


 いったい何が兄を変えたのかはわからないが、どうにしたところで「計画」は代えられない。


 おもむろに腰を落として剣を剣帯から引き抜いた。


「――兄さんがいなくたって、俺はおまえを倒せる。あきらめて投降しろ。」


「はっ、お前が?どうやって?俺の事を目で追うこともできないくせに……」


 桁けたと癪に障る声でボルドが笑う、やはり様子がおかしい――が、どうでもいい。


「本当にそう思うか?試してみろよ――」


 言いながら、サンケイは靴の底に仕込んだ魔術円に魔力を流し、口の中で魔術を唱え――


「――ああ、キノトの霊体から時刻魔術でも学んだか?」


 その一言に、喉から驚きとともに呼気が漏れた。


 なぜこの男が――


「なんで俺が知ってるのか。って顔だな。」


 にたりと、性格の悪い顔で兄が笑う――いつもの顔だった。


 まずい、と思うのと霊体のキノトから叫び声が聞こえるのは同時だった。


『――サンケイ!逃げなさい!こいつ、玉櫛笥に!ネブラとフラルもつかまった!』


 それは計画の失敗を意味していた。





 三渓の計画は単純だった。


「自分が兄の注意を引き付ける間に脅迫状を見つけた瞬間に共にいたフラルとネブラに人質を救出してもらう。」


 これだけ、三渓司の脳みそで考え付く能動的な戦略なんてこんなものだ。


 しかし、同時に取りえるうちでこれが最も効率的だろうという自負もあった。


 時刻魔術をある程度扱えるボルド相手に戦うのならば自分だけだ。何せ使


 そう、テンプスはキノトの報復の報酬に『弟への助力』を指定していた。どこまでも弟のためにしかならない要求にキノトとマギアはあきれていたがテンプスからすれば、これは必要なことだった。


 その結果、サンケイはマギアによって薫陶を受けたキノトの指導によって、器物なしでの時刻魔術の発動を可能にしていたのだ。


 それが、作戦の肝だ。


 相手が時刻魔術を使っていれば、自分はそのまま時刻魔術を使用して戦闘に入る。勝算はあった、兄の話ならこの男の戦闘能力はそれほど高くない、倒せるはずだった。


 もし使っていなければ――そのまま倒せばいい。


 そして、もし、自分が勝てなかったとしても、時間稼ぎはできるだろう。手傷だって負わせられるはずだ。


 その隙に、フラルとネブラに人質を助け出してもらえれば、活路は開ける効果時間が切れた時に、この男をタコ殴りにしてもらえればいい。


 三渓から見て、この計画に不備があるようには思えなかった。自分と戦っている以上、この男はフラル達に手が出せない、必ず人質を逃がせる計画だった――そのはずだったのだ。





「お前……フラル達に何を……?」


「あん?なんで知って……ああ、キノトか、霊体なら俺には見えねぇからな。」


 そういって、以前と同じように笑う――先ほどまでの様子は演技だったのだろうか?


「お前の兄貴……ああ、あの味噌っかすじゃねぇぞ、フロリスの方だ、あいつからもらったんだよ、『魔術極性を逆にした』玉櫛笥、これの効果は――」


「『時間の減速』」


 幽鬼界と物質界の声が重なる。


 キノトだ、傍らに戻ってきたキノトがひどく深刻そうな顔でぶつぶつとつぶやく。


『……一体どういうこと?フロリスの奴が私より時刻魔術に詳しいのよ……?』


 それは、彼女の人生の否定に他ならない――人生の大部分をあの装置の設計に費やしてきたのだ、他人にそうそう簡単にいじられるなど考えられない。


「ま、あの兄貴だし……?」


 そんな彼女に、サンケイが引きつった笑みと共に告げる――そうとしか言えなかった。


『……それで納得できんのがあの兄弟の厄介なところよね。』


 そういって複雑な顔を見せるキノトに苦笑する――実際問題、フロリスはテンプスに匹敵する知性があり、同時に魔術にも精通している。


 フロリスはテンプスの方が単純に利口だと語ったこともあったが、余人には同じように異様な頭脳をしているようにしか見えない。


 その頭脳をもってすれば、目の前にある魔術器具を改造する程度の事、問題なくできるのかもしれない。


 何より、彼はアニメ本編でも儀式用の道具をいじり、本来12人必要な儀式を一人でやるくだりがあった、太古の魔術を扱えるあの男なら玉櫛笥の魔術を操るのは簡単なのかもしれない。


『それより……』


 あの男がここにいるというのなら、何かしらの『悲劇』が待っているはずだ。


 ゲーム版での活躍は知らないがアニメ版ではあの男は出るたびに何かしらの悲劇をもたらしていた。


 主人公の故郷を地割れで壊そうとし、魔女の遺産に手を出し、主人公を陥れ、マギアを投獄させすらした。


 何よりも、このアニメのラスボスは――


「――いいか、サンケイ。チャンスをやろう。」


 その一言に、サンケイの意識が浮上する。


「一度限りだ、わかってんだろう?フロリスはこっちについてる、テンプスごときには止められない――もう一度こっちに来い。」


「!」


「あの男をおびき出せ、何ならお前の手で殺したって良い。首を俺に届けるんだ。」


「……」


 まるで、できの悪い部下を諭すように。


 まるで、どこかの司教が異端者を諭すように。


 まるで――兄が、弟を諭すように。


 ボルドが……三渓祐介が三渓司を諭すように言った。


 前世でも、今世でも、この男はこうだった。


 自分が最も正しい存在だと信じてやまない。自分の計画が崩れれば他人のせいであり、自分の計画がうまく行けば自分の手柄。


 自分の褒章を弟に渡すなど、あり得ない男。


『サンケイ。』


 キノトの声が聞こえる。


 深く息を吸った――答えは決まっていた。


「――断る。」


「……わかってんのか?フロリスだぞ?この世界で最も強い生き物だ。」


「知ってる、僕の兄で――兄さんの兄だ。」


「それがなんだよ、だから加減してくれるってか?」


「違う、あの人は『人の助けなんて必要としない。』あるのは「利用する奴」と「面白い物」だけだ。」


 それが十数年弟で居続けた男の見解だった。


 だから、この男はフロリスに利用されているのだ、彼にとりボルドは「使い道のある置物」でしかない。


「あんたを倒したって、どうにもならない。それに……」


 それに、彼が知る限り、この世で唯一長男が警戒し、目をかけているのはテンプスだ。


 それが、危険性からなのかは、サンケイにはわからない。わからないが――


「俺は――僕は兄さんを信じてる。」


 少なくとも、目の前の男よりはよほどだ。


「……っち、あんな味噌っかすが、フロリスに勝てるとでも思ってんのか?」


「さぁね、ただまあ――あんたより、弟でいたい人ではあるよ。」


 そういって笑う――本心からの言葉だった。

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