復讐の幕
「――では、入り口の警備と貴賓席の警備はシソーラスの皆様にお願いできますか?」
祭りの運営委員会の席で、警備隊長は普段の彼を知る人間には驚かれるだろう丁寧な様子で言った。
その姿はアネモスやチームのメンバーが初日に見たものやテンプスに食って掛かった時とは打って変わって低姿勢だった。
まるで借りて来た猫のようなその仕草は明らかにこちらを怖がっている。わかりやすい男だった。
とはいえ、この会議の場において、大抵の人間は彼と同じ様子だった。
それは、この街を揺るがしたテロ行為を学生の身分でありながら食い止めた存在への畏怖であり、同時に自分達がテンプスとその兄弟であるサンケイに行ってきた行為によって機嫌を損ねているのではないかという危機感からくる防衛反応だった。
『やりずらいわね……』
そんな様子を、アネモスはひどく煩わしそうに見つめていた。
彼女からすれば、この連中のへりくだった態度にはうんざりだった。何を考えているのか透けて見える上に、その理由が利己的なところが鼻につくのだ。
「……大丈夫?」
そういって、気遣いを見せるのは傍らに座ったセレエだ。
この場にいる自分の身内は彼女と背後でにらみを利かせているテッラだけだ。後のメンバーはそれぞれの担当で作業をしている。
ネブラとフラルは祭りの設営を手伝っているし、サンケイは警備の確認に行っている。
特に何の報告も入っていないあたり、どうやら何も問題は起きていないらしい、あとはここの仕事を片付けてしまうだけだ……
『先輩、きちんと休めてるのかしら……?』
ふと思い返す、確か今日がテンプスに与えた休日の最終日だ。
ノワに治療されたとはいえ、彼の体についた傷の深さは並のものではなかった、背中の皮膚がすべてケロイド状になっているさまはなかなかにグロテスクだったとアネモスは思う。
悪くすれば一生物の傷跡になるだろう怪我がきれいに治ったのは、ひとえにノワに治療能力の高さとテンプス本人の終焉によって作られた肉体のたまものだ。
それに、いくら対外の怪我を治せても、体内に怪我がないのかはわからない。何日かして、体調が悪化して体内の怪我に気が付く――なんてことも聞かれる話だ。
それらの状況と、あのテロリストを確保した際にテンプスがつかった蒼い鎧がアネモスに彼の療養を許可させた。
彼女たちはテロの一件をテンプスが解決したことは知れている、サンケイから説明があったからだ。
その際に彼はこの件のほとんどの内情――自分が異次元からの来訪者であることを除いたすべて――を暴露した。
この男が自分と過去につながりがあり、それを利用して自分に犯罪の片棒を担がせたことも含めて。
驚きはあった、が、彼女達からすれば、それは些細なことだ。
それを言い出せば、テッラだってじょうきょうがわるかったとはいえ、人を殺してしまっている、テンプスも殺しかけた、人を責められる立場にはない。
アネモス達からしても、テッラを受け入れてるのだ、思うところはあるが同時に非難できる理由もない。
それよりも問題だったのはテンプスだ。
テッラとセレエの話が正しければ、彼がテロリストを確保する際に使った蒼い鎧は彼がザッコの一件の際に追った体調不良の原因だという。
それを使用した以上、彼が再びあの反応を起こす可能性は十分ある。
だからこその休養だ、マギアとの協議の結果、決定したうえでの話だったのだ。
『今回、先輩にはあまりにも負担をかけてるものね。』
彼にとっていい思い出の少ない故郷への帰還、安全性を加味し強行軍と呼べる旅程、極めつけがあの爆発だ。
子供を救うために爆発に自分の身をさらすのは人が思うよりもずっと精神に負荷をかける、死の恐怖で立ち上がれなくなる人間もいる。
学園にいればよく聞く話の犠牲者、それが、自分の知り合いがなるかもしれないといわれれば多少の苦労も感受しよう。
「わかりました、では、この条件で構いませんね?」
「ええ!皆様のお力をお借りできて、今回の祭りも成功間違いなしですな!」
そういって、こちらを持ち上げる警備隊長に作り笑いを返しながら、アネモスは気の重い作業を終え、部屋を出ようと――
「―――――アネモス!」
自分の後ろでテッラが叫んだ。
いったい何が――と、後ろを振り返るのと、自分の体すら見えないほど濃密な煙によって視界がふさがれたのは同時だった。
とっさに、得意の風の支配魔術を起動し、煙を吹き散ら――
『!?』
せない。
魔術が起動しないのだ、一体どういう原理かわからないが、魔術が使えない。
何かによって魔術が妨害されているのか?そういった技術がある問う話は聴いている、国の秘匿技術であったり国際法院の人間だけが使えると聞くが、それを使用された?
『――違う。』
これはもっとおかしな現象だ。
『魔力が――』
遅い。
まるで魔力が感覚的には二十分の一の時間で動いているかのように魔術円に流れていかない。
そのせいで、魔術が使えない。
より厳密にいえば――『魔術を使うのに十倍以上時間がかかる』のだ。
おそらく、今自分が使おうとしている魔術は二十秒以上後に起動し、部屋に吹き渡ることだろう。
なぜこんなことになっているのかはわからないが――非常事態だった。
一向に消える気配のない煙の中で、アネモスは身動きすら取れないまま、眉を顰める。
その動きすら、外から見れば、二十秒経たねば実行されないのだ。
そして、それはアネモスだけに襲い掛かる現象ではない。
部屋にいた人間すべてが、同じ状況だった。
警備隊長も、祭りの運営委員も、セレエも、テッラすらその現象に巻き込まれていた。
全員が二十分の一になった時間の中で、身動きすら取れずに固まっている。
まるで乱立する実寸大の人形のようだ、その光景は他人から見れば異様そのものだっただろう。
部屋を煙が覆ってから五秒後、煙が現れた時と同じようにすっと消えた。
部屋の中心に置かれた豪奢な外装の箱――玉櫛笥から出ていた煙が消え、その傍に目にも止まらない速度で現れたのは髪に白髪が混じった中年の男だった。
「――よっし、人質は確保、あとは――」
ぶつぶつとうわごとのように口を動かす男が懐から何かを取り出し、それを机の上に置いた――それが、手紙だとわかったのは置いた本人と、部屋の様子を外から見ていたルフだけだった。
ルフの電磁領域内に設置された擬似精神界は、この状況で彼が行うべき最も優先度の高い項目を正確に実行した。
現状の制限の解けていない自分が戦闘を行ってあれに勝つのは難しい、不可能ではないが周囲に被害が出るのは避けられない。
となれば、最も有効なのは、主人たちに情報を送ることだ。
幸いにもあの男の行動を見る限り、彼らをすぐに殺害するようなことはない、となれば、被害は少なくするべきだ。
冷静に――あるいは、機械的にそう判断したルフは自分の眼球に仕込まれたパターンを利用し、テンプスとアラネアに警告と情報提供を行った。
誰にも見えない鳳はひっそりと、しかし堅実に彼の仕事を全うしていた。
テンプスが僕から警報を受け取ったのは、天上界から物質界に帰ってきた直後だった。
テンプスとしては休みを三日もらったとはいえ、仕事に食い込むのがどうしても我慢ならなかったのだ。
マギアを説き伏せるのにはいささか時間を要したが、彼女としても、仕事を放りだすのは気が引けたのだろう、三日目の朝に帰還することを了承した。
そうして、彼らがこちらの次元界に戻った時、折悪しくルフからの警告が飛んだ。
オキュラスに移る景色は異様そのものだ、後輩たちが謎の力によって動きを止められている。
「――マギア。」
「ええ、アラネアも同じものを見たようです。」
言いざま、マギアが浮き上がる。風での高速移動――高速で移動するとき特有の動きだ。
「ノア、お母さん、走るけど――」
「ん、行ける。」
「任せて、ね。」
肉体派な二人が声を上げる、頼もしいことだ――
「――じゃあ、出るぞ、いいな。」
「いつでもどうぞ。」
その声に、テンプスは朗々と鍵を唱えた。
「e68891e3818ce6848fe381abe5be93e38184e38081e7acac3132e381aee7a5ade585b8e381aee7a9bae3818be38289e380813131e381aee69c9be381bee3828ce381ace6b5b7e381b8e38081e5b8b3e28095e280950d0a――」
唱えながら思う――
『――こうなるってことは、たぶん……』
自分のもっと合っていてほしくない想定が当たったということだ。
となれば……
『……覚悟しないとな。』
これから先、自分が無事でいられる保証はどこにもないということになる。死にはしなくとも、どうなるのか……
そうなったとき、傍らの少女はどんな顔をするのか彼はただ、それが心配だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます