ある男の来訪

「―――俺の計画があんな屑につぶされるはずがねぇ、サンケイのやろう……裏切ってやがったか……俺の計画は完ぺきだった。あいつが、あいつが……」


 人の影すら残らぬ暗闇の中、いくつかある『繭』の中にいる男が陰気で不快な声を上げ続けていた。


 夜の闇とは違う、広がりと深みを持たない閉ざされた闇は、人の心にひどく陰気な影を落とす。


 この男がこの『繭』に入ったのは少し前の事だ、自分の信じた家族に裏切られ、自分とは比べるべくもない雑魚によって自らが作り上げた完璧な計画を破棄されたのだ。


 あのまま、騎士の詰め所に入り込めてさえいれば、自分は今頃、この薄暗く陰気な穴倉になどいない。


 それもこれも、家族が――弟が裏切ったのが原因だ。


 向こうの世界ではあれほど目をかけてやったというのに、あの男は恩を忘れ、高々創作物のキャラに入れ込んで、自分を裏切った。


 でなければおかしいじゃないか、自分は優秀だ、そういわれてきたし、実際優秀なのだ。だからこそ、大学にだって行ったし、大学院にだって行こうとしていた。


 院に入れなかったのは自分のせいではない、自分の論文を認めなかった学術誌と査読で自分を許さなかった査読者のせいだ。


 そんな自分が、こんな穴倉につなぎ留められているのはおかしい、あり得ないことだ。


 この世界の技術レベルはどう考えても中世のヨーロッパレベルだ、そのレベルの知性で自分の偉大な英知に勝てるはずがない。


 ゆえに、弟の裏切りは絶対の条件だ、でなければ、あの出涸らしごときに捕まるはずがない。


 弟がばらしたから、自分の場所は見つかったのだ。


 そのまま、信じた家族によって、彼は謀殺とテロへの加担を理由につかまった。


『許せねぇ……!許されるはずがねぇ!』


 いらだちが募る。


 が、その感情が彼をこの世につなぎとめていた。


 この『繭』――もしくは『帳の牢獄』と呼ばれる、ウェットウィルで最も厳重な牢獄だ。


 この場所に日の光は差すない。差すのは新たな住人が入る時だけだ。


 時間の感覚を失い、何も見えない状況に精神が摩耗する。四六時中囚人を包む暗闇が精神を侵し、心身を砕く。


 暗闇の裁きとうたわれるこの牢獄特有の洗礼は、容赦なく罪人の精神を破壊する。


 つい先ほど、繭から出た男もそうだった。


 一日目から妙な笑い声を発して――おそらく死んだ。死因は不明だ、わかりたくもない。


 いま、この牢獄にとどまっているのは男だけだ。


 そして、それを支えるのは、自分をここに入れた男――テンプスへの、そして、サンケイへの復讐心だった。


 男は自分の優秀さの証明のため、そして何より、あの裏切り者の弟を何が何でも血祭りにあげたくって仕方がなかった。


 そのために、彼は機会をうかがっている――そして、その時は唐突に来た。


 ガチャリと重いカギを回す音が響き、この部屋に続く唯一の扉が開いた。


 まるで火花がはじけて、空間が太陽に焼かれたかのような錯覚を受ける閃光が瞬く。


 暗いこの部屋では相手の姿など見えない。聞こえるのは足音だけだ。


 聞き耳を立てた男の耳にひびく足音は一つ、普段の看守のものではない。


 あの連中は訓練を受けた規則正しい足音を鳴らすものだが、この足音は違う、まるで踊るように軽やかで、ふざけているように規則性がない。


 明らかにおかしい。


 そう考えた時、足音が止まった――自分の牢獄の前で。


「――よぉ。」


「!?」


 掛けられた声に男が驚く――その声に聞い覚えがあったからだ。


「お前は……!」


「あん?知って……ああ、そりゃそうか、来訪者様には当然かぁ。」


 あっけらかんと、ゲームで見た時と同じように男がつぶやいた。


 その一言に、男が驚愕に目を見開く。


「!てめぇ、なんで知って――やぐりゅ」


 喉がつぶれるような衝撃、蹴られたと気が付いたのは少し後だ。


 地面に倒れ伏す男に最初に襲い掛かて来たのは驚愕だった――一体どうやって、自分に蹴りを当てたのだ?


 自分の身は『繭』――牢獄の格子に守られている、それは人の力で曲げられるような代物ではない。鋼鉄製なのだ。


「うるせぇよ、うちの弟なら無言で避けるぞあれぐらい。」


「ゲブ……さ、サンケイの事か……?」


「ああ?ああ、あの『異物』の方じゃねえよ、そりゃおめえの弟だろう?」


 そういって声はひどく胡乱な声で動いた――顔の前で手を振ったらしい、まるでごみでも払うような仕草だった。


「てめぇ、どこまで――」


「お前が想像もつかねぇほどだ。でだ、俺をよくご存じのお前なら俺がただでここに来たとは思ってねぇだろ?」


 そういってけらけらと笑う声に顔をしかめる――確かにそうだ、この男がただでここに来るはずはない。


 これはそういう男だ。


 徹頭徹尾自分のため、自己利益のために生きる。


 ゲーム中では『混沌にして中立』と表現されるこの男の行動は何にしても自分のためだ。


「何が、させてぇ?」


 顔をしかめて問いただす――この男には自分の姿もはっきり見えているのだろう、この男は『人類の到達点』なのだから。


「――復讐?」


 まるで尋ねる様に、首をひねりながらそんな言葉が響いた。


「復、讐?」


「そう言ったろう、聞こえてねぇのか?耳の穴、もう一個開けてやろうか?」


 そういって、嘲るような言葉が響く。


 その一言はまるで、聞きⓌ変えのない子供に言い聞かせる酔うんだった、一瞬で、血液が沸騰し、男に向かってとびかかろうとして――


「おせぇよ。」


 ――相手の、足際によるより速い一撃に撃沈した。


 まるで相手の動きを呼んでいるかのような一撃、相手の喉仏が来る位置に即座に突き出されたつま先がのどを突き、声もなく男は倒れた。


「はっ、これで静かになるか……いいかよく聞け。今からてめぇをここから出してやる、おまけもつけてな。」


 そういって、男が地面に歩織出したのは鮮やかな――


「だ、まくし――」


「お前の――いや、お前が殺した女のおもちゃだろ。返してやるよ。ついでにちょいといじってお前に役にたつようにしといてやった。それがありゃ遺物の取り巻きぐれぇならどうにでもなるだろ。」


 まるで子供のお遊戯でも見る様に、声の主は楽し気だった。


 その様子に男が覚えたのは不信だ。


「なんのつもりだお前……」


 意味が分からない、自分が復習するのはこの男の『弟』だというのに、なぜ手助けをする?


 自分を殺しに来たのなら筋は通るが――


「さっき言っただろ?ご存じの通りの理由だよ――どうせ、それほど役には立たねぇだろうが、まあ、五分もかせげりゃ十分さ。」


 そういって楽しげに笑う声に男の怒りが頂点に達した――元来気の長い方ではないのだ。


 足元の箱を開き魔力を放出、煙にまみれて時間が加速する。


 軽く見積もって一万倍、自分にできる最大加速、一秒の発動でも数時間を経験することになる時間を飛び越えた必殺の技。


 ――これでもう誰にも自分は止められない!


「しねぇぇ―――ごぶぇ!」


 叫んで襲い掛かった男が手に入れたのは空気と衝撃だった。


 それが、振り抜かれた裏拳によるものだと男が気が付いたのは彼の意識がこの部屋よりも暗い闇から浮かび上がった時だ。


「だからおせぇよ。よくその程度であいつに喧嘩なんて売ったな、異物の奴だってもっとましに動くんじゃねぇのか――まあ、人様のもん使ってろくに使えてねぇ雑魚じゃこんなもんか……」


 ひどく、心の底からつまらなそうに男が言った。


「扉は開けといてやる、もし逃げたら――そこで絶滅だ。お前には死んでもらう。いいな、やれ。」


 そういって、声の主は消えた。


 後には、意識を失い、一万秒分年を取った男――ボルドだけが残されていた。


 広がりと深みを持たない閉ざされた闇はいつものように静かだった。

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