来訪者の気持ち
「――こちらになります、どうぞ。」
そういって半透明の番頭に通されたのは水晶でできた部屋だった。
全面が鏡のような輝きの水晶とも金属ともつかない物質で作られた部屋はテンプスの目から見た時、その見た目以上に重要な部屋であることがありありとわかった。
壁には魔術と思しきエネルギーの流動が見え、その色合いから見てそれが防衛術であることは明確だった。
転じて、部屋の中にも魔術はかけられている――どうやら、部屋の内部のものを占術から守り、それでいて内部から逃げられないように趣向が凝らされているらしい。
この空間から空間転移で逃げ出そうとすれば、鏡の中に閉じ込められるのだとテンプスの目と力が教えている。
『よその次元は部屋に瞬間移動の対策してるんだなぁ……』
と、どこか他人事のように感じながら、マギアの動きに従って足を動かす――やはり、直に見る異次元は極めて面白い場所だ。
彼の脳内にスカラーの英知として理解していた次元界の性質を利用して人が暮らしているというのは何か本の中にでも迷い込んだ気分だ。
『来訪者達もこんな感じなんだろうか……?』
思わぬところで、思わぬ存在の姿を思い返したテンプスは、彼らの心境を考える。
自分たちが想像していた――あるいは、想像すらしていなかった世界が突如として広がっていて、かつ、その世界が自分たちのよく知るものだった時。
あるいは、自分の事を特別な存在だと、世界を救う偉大な存在なのだと超自然的な存在に持ち上げられたとき。人というのはああなってしまうのだろうか?
『……どうなんだろうなぁ。』
テンプスにはよくわからなかった。
彼は自分が特別だと思ったことはない。
それは自分のどうしようもない兄や、あるいは目の前を歩くマギアのような存在の事だ。
運命に選ばれ、あるいは才能に選ばれた者たち。
そういった存在に比べて、テンプスは決して素晴らしい存在とは言えない。
確かに、スカラーの技術は使えるが、それは祖父のおかげだ。
あの人がいなければ七歳のあの日、祖父に抱きしめられる前に自分は死んでいただろう。
剣技では次兄に及ばす、それ以外の点で長兄に勝てない。
しいて言うのなら、頭はいい――のだろうが、それだってどこまでの物かはわからない。兄よりはいい……と思いたくて必死にやったが、勝てているのかどうなのか……
何より体質がある。
この時代、あの次元において、自分という人間は決して優秀ではない。
スカラーの技術で強くなったわけではない。
致命的なマイナスが軽いマイナスに戻っただけ、死に掛けの半死人が病弱な人間になっただけだ。
だからなのか、テンプスには来訪者の気持ちはわからない。彼は結局、どこまで行っても自分を認められない少年のままだった。
「――先輩、見てください。」
沈んでいた意識が、後輩の声に導かれて目覚めた。
掛けられた声に顔を持ち上げる、そこにいたのは――
「――どうです?似合うでしょう?」
――そういって、こちらに向けて朗らかに笑うマギアだった。
いつもの髪型で、いつもの声音で、いつも通りに笑う彼女だがその装いは大きく変わっていた。
頭には黒と赤の鮮やかな縞模様のついた三角帽子が乗り、首には包み込むような手のひらの形をした楕円形の延べ金で作られた首飾りが掛けられている。
が、最も目を引くのはその服だろう、体全体を覆うようなマントとローブの中間に見えるその外套はまるで夜を切り取ったように黒く、それでいて内部に星のような光が煌いている。
手には細長く暗い色のマホガニー材でできた杖が握られ。杖の上部には丸いにぎりがあり、そこに小さな逆さ五芒星が描かれている。
その美しい外套の内側で、マギアはどこかばつが悪そうに顔を赤くしていた。
「……いい加減、返事してくれないと滑ったみたいなんですが……?」
そういって唇を尖らせるマギアに、テンプスはほほ笑んで。
「――きれいだよ?いつもそう。」
とだけ答えた。他に答えに足る語彙はなかったし、同時にそれ以外必要になるとも思えなかった。
「ええ、大変美しくあらせられますよカレンダ様。お預かりした『閃語賢帽』『ウラエオスのアミュレット』『囁き夜の外套』『グレッドフィールドの杖』確かにご返却いたします。」
「確かに、あと、『天上山の指輪』と『囀り絹のチョーカー』を――」
テンプスの一言に機嫌をよくしたらしいマギアが上機嫌にこの部屋の主らしき三つ目の歩く雲に声をかけるのを見ながらテンプスは再び物思いにふけろうとして――
「――失礼。」
――背後からの声に止められた。
「ああ、ええっと……」
「失礼、ご所望の品を発見いたしましたので、ご報告に上がりました。」
そういったのは先ほども見た半透明の番頭だった、その手に持っているのは――
「アンビジウムとカルフォライトの合金――ホロカルコンになります。」
――テンプスが夢にまで見たパズルのピースだった。
「まぎあー……なんで三人もいるの……?」
「いませんよ、落ち着いてください。」
「んー……?」
自分の間隣で普段見せない小動物のような顔で力の抜けた笑みを見せるテンプスに、マギアは内心の動揺を隠して、努めていつもの通りに言葉を返した。
自分の『忘れ物』を回収し、テンプスの問題を解決できるらしい不可解な金属を回収したマギアたちはいつになく上機嫌で気の抜けたテンプスと共に夕食をとることにした。
マギアからすれば慣れた「彼女の」居室は、彼女が一年前に出て行った時のままだ。
もう帰ることはないから好きにしてくれていいと告げておいたのに、気の回るこの城の住人は自分がいつか帰ってくる可能性を考慮してこの城を元のままにしていたらしい。
彼女が天上界で最も長く過ごしたのがこの城だ。ここには客人を泊めるための設備が存在し、相応の代償さえ払えばここに泊まることができる。
マギアは魔術の腕と魔術の道具を提供することを代償にここに居座っていたのだ――少なくとも千年以上。
そんな部屋に家族が、そして、数か月前には影も形もなかった少年がいるのは、いささか違和感のある話だったがマギアとしては喜ばしいところだ。
自分が与えた鈍い銅のような色でありながらなぜかぶれて見える不可思議な鉱石を見つめてキラキラとした目をしている、年下の先輩を見つめて、マギアは食事に移った。
天上界における食事の基本である――そしてこれしか種類のない――豪勢な食事を前にしていつものように朗らかに食事を始めた
飽きるほど食べた『聖餐』と『聖酒』も家族と食べると味わいも違うものだ、素晴らしい食卓だった、だったのだが。
「……マギア増えた……よ人目……」
――気が付いたら、テンプスがこうなっていた。
椅子の上でふらふらと錯乱しているかのように体を前後に揺らしているあたり、明らかに様子がおかしい。
ここに来てからという物、明らかに不自然だった様子が度を越している。
正のエネルギーの影響で気分が高揚しているのはいいのだ、それは狙い通りだ。
正のエネルギーの影響で、精神界の負荷を減らすのが麻衣アの計画だったのだから。それはいいのだが――こんな隙だらけにはならないと思うのだが。
妹と母は「兄さんがかわいい……」「お母さんとこ、おいで。」と言いながらこちらを見ている。
そこでふと気が付く。
この天上界の食事は、『聖餐』と『聖酒』を供される。つまり――
「……もしかして、先輩お酒弱かったりしますか。」
「……ん?んー……?」
首ひねりながら、テンプスがほほ笑んだ。
「のんだことないからしらない……」
そういって、ふらふらと笑うその顔は明らかに紅潮している。
見るからに酔っている。
「そ、そういうのに耐性あるって言ってませんでしたっけ?無思の法でしたっけ?」
「ん……?うん、ある……」
「じゃ、なんでそんな状況に……?」
「……?危なくないときは……ちゃんと酔えるって、書いてあった?」
へにゃっと、テンプスが笑う。
彼の中にある『無思の法』は基本的に彼を守るが――同時に、ある種の判断基準がある。
周囲の状況、予見の内容、周りの人間の反応。
そういったものを見ながら、何を影響させるのか、何を遮断するのかを決められるのだ。
テンプスという自我は緩んでいるが、彼が磨き上げた無思の法は十全に機能する。あるいはその逆。
そういった状況を作り出すようにテンプスはこの技術を磨いた……それが、今回のこの状況を生み出した。
空回りする思考に翻弄されつつ、マギアは本の魔術に手を伸ばした――中毒を取り除く魔術でアルコールさえ払ってしまえば元に戻るだろう。このままでは理性が持たない。
本来なら今すぐ抱きかかえて連れ去りたいのだ、ニンフの本能がやれと叫んでいる。
「マギア……?」
「ん、なんです?すぐ良い覚ましますから待っててくださ――」
「ありがとう、僕と一緒にいてくれて。」
驚くほどはっきりと、テンプスが言った。
上機嫌に笑うテンプスを困ったように見つめてマギアは彼の頭を抱え込んだ。
色々限界だった。
「三人で撫でてくれるの……?うれし……」
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