静かな町にて

「……なんて言うか、こう、全体的に活気がない。」


「ん、まあ、物質界と比較するとそう見られても仕方ないところではありますね。」


 街を歩きながら首をひねるテンプスにマギアが苦笑気味に答えた。


 実際、そう見られても仕方がないありさまではあるのだ。


 半透明の番頭から「部屋の用意ができるまで」と言われて城から出てきた彼らは何をするでもなく海岸線を歩いていた。


 城の前から続く岸辺の、町と呼べるような場所を歩くテンプスからすると、この場所はどこか……そう、活気がない。


 テンプスの思い描く町というのは、アプリヘンドにせよ、ウェットウィルにせよ、もっと雑然として、音にあふれている場所のはずだった。


 客引き、あるいは子供の遊ぶ声、はしゃぐ声が響き、そうでなくとも人の話す声が響いているはずだった。


 が、この場所には一切、そういったものがない。


 子供は走っていないし――というかそもそも子供がいない――客引きもいない、そもそも、人が話していない。


 人の絶対数が少ないというのもあるのだろうが、時たま彼らの脇を通る人々……いや、人間の体をしている不可解な存在達は、一言も話すことなく脇を過ぎ去っていく。


「……こういうもんなの?」


「ええ、この次元は『善と秩序の領域』、この場所においてマナー違反をする存在はほとんどいません。」


「というかできません。」といったマギアの顔はかすかな不快感がこもっていた――彼女がここにいたころは気にならなかったが、テンプスとの生活を経て、家族と過ごす幸福を取り戻した彼女にはあまり愉快には思えないらしい。


「彼らからすると『人の邪魔になるかもしれないのに音を出すのは悪』なんですよ。なので彼らは話しかけられない限り話しませんし、ついでに言うと用がないのに話しかけられるのも嫌います。ちなみに甘いものも悪です、『堕落をもたらす』らしいです。」


 昔――祖母が死んだばかりの頃のマギアにはそれがひどく楽だったし、今でもそういった面を好ましく思わないわけではない。


 彼女とて、それほど社交的な人間というわけではない、が、傍らにいる少年や、自分の家族と会話するのを阻害されるのはごめんだ。


「……難しい次元なんだねぇ。」


 しみじみとそういったテンプスに傍らで大きくうなずき、マギアは前を見る――この次元の存在である『エフィアルテス』や『プシュケー』達は基本的に悪をなしていても積極的に攻撃には出ない。


 それは、あの城の城主の来歴によるものであり、同時に、それによって支配される領域の存在である事にも関連しているのだろう。


 どうにすれ、テンプス達を連れて行くのはこの領域までにしておくべきだろう、療養ならここで十分だ。


 そう考えたマギアの耳に、テンプスの声が響く。


「スカラーの資料が正しいんなら、ここって上があるんだよね。」


「ん、ええ、この次元は七つの階層からなります。」


 反射的に返事をしていた――上の層に興味を持たれるのはまずいが、同時に、興味を持たれたのは気分がよかった。


「第一層――ここですが――ルアニから順にメルクア、ウニア、ソラニ、マルテオ、ジヴァル、クロニアの順に上に上がっていきます。で、それらをつなぐのが――」


「前、君が言ってたやつ?確か……」


「『輝ける天上山』、ええ、ここからも見えるでしょう?」


 そういって彼女が指さす先にあるのはごく薄く、しかし確かに発光する山だ。


「あれを通じて、七つの次元領域はつながり、無限の広さを持って次元界を形成しています、それの総称がサンクトスというわけです。」


「ほうほう……物質界とは違うんだよね?得寝るg-次元って書いてあったけど。」


「違う。ここは『正の次元』。」


 テンプスのこぼした言葉に訂正を入れたのは傍らのノワだ、あマンができなくなったのか、先ほどからテンプスの脇腹に顔をうずめて楽しそうにしていた彼女が気がつけば顔を上げている。


「地面がなくても強い風で空を飛べるのと一緒、強い力で落ちるのに逆らってる感じ。」


「あー……」


 要するに、圧倒的なエネルギーが重力に抵抗している状態だ。


 一つの次元の外には無限の広さがある久遠の海――テンプスが奉じる『闇の父』の領域――が広がり、それはあらゆる次元のさらに基底に位置する。


 無限の空間の上に無限の空間が乗るという意味不明な状態だが、それが次元界という物だ、特にエネルギーだけでできている空間は物質の常識が通用しない。


 そして、久遠の海はいつも泰然とすべての次元の下に位置し、あらゆる次元から落ちてしまった存在を最後に受け止める場所として存在する。


 逆に言えば、次元とは『久遠の海に落ちるのに何かしらの方法で抵抗することのできる領域』の事なのだ。


 物質界は物体としての性質が、そして、この次元では正のエネルギーがその役割をしている。


 そして、魔術がそうであるように、エネルギーはその姿形を変えることで物質のように振る舞うことがある。これもその一端なのだろう。


「ってことは、やっぱり、ここにあるものは――」


「ええ、厳密な意味では物質ではありません、物を構成する――原子でしたか、あれがないんです。」


 マギアが口なじみのない発言を記憶を掘り返すように語った。


 原子が発見されたのはあの物質界では800年ほど前の事だ――スカラーがそれよりも前に発見していたが二千年前に起きた消失の際に研究資料が消えた。彼女が口なじみがないのは当然だった。


 説明を聞きながら、テンプスは目の前の状況を驚きと興奮をもって迎えた。


 スカラーは正のエネルギーについて知見はあったが、テンプスがそれを目にしたのは初めての事だ。


 今の物質界に正のエネルギーを引き出す魔術はないし、扱える術者もいない。これは召還術の類であり、それは念入りにその存在を消されている。


 テンプスの優れた知性はその存在を理解していたがそれはあくまで「どこかにはある」ものであって「目の前に現れる物」ではなかった。


 体験することのないと考えていた領域に、自分がいるということに驚きを感じながら、テンプスはさらに言葉をつづける。


「僕が知る限り、正のエネルギーの中だと体がどうこうなるって聞いてたけど。」


 今のところ、彼にそのような影響はない。


 いつもと変わらない――いや、多少気分がいいが。


「一応、私の魔術で精神に来る影響は防御してますからね、出ないと、先輩の体質だとこの次元に来た時点で破裂してるはずなので。」


「……そんな危ないこと、僕に許可取らないでしたの?」


「私は失敗しませんから。むしろ、魔術を悪影響なしで使うの難しかったですね。」


「……」


 三白眼で見つめる――死なない確信はテンプスにもあったが、それにしたって何か言ってくれてもよかったのではないか?


「……ごめんね、兄さん、姉、どうしてもここに連れて来たかったんだって、兄さんの体なおすのここの方が都合いいから。」


「……どういうこと?」


「正のエネルギーは生物の体の傷を治すときに使うの、だから、ここに連れてくることにしたって言ってた。」


「……怪我してないけど。」


していても治っている。気にされるようなことはないはずだが……


「ん、兄さんが倒れた時から計画してた。ここなら、怪我は自然に治るし、痛みも感じにくくなるから。」


「……もう治ったよ?」


「でも心配、あと、時計のパーツの事も、ここなら見つかるかもってずっと頑張ってたの、許してあげて。」


 傍らで、背伸びしたノワが小さく言った――どうもずいぶんといらぬ頭を使わせたらしい。


 別段、怒ってもいないのだが、こういわれては何も言えない。


「む、なんです、さっきから。待ち人の庭とやら~妙に仲がいいじゃないないですか、内緒話ですか?」


 そういいながら、マギアが唇を尖らせる。仲間外れにされたと思っているのか、不満げな様子だった。


 まるで猫の威嚇のようにこちらを見つめるマギアに、テンプスは微笑んだ。


「マギア。」


「ん、なんです?言い訳なら――」


「――ありがとう、ここに連れてきてくれて。ほんとにうれしい。」


 そういって笑った彼に、気圧されたようにマギアがたじろいだ。


「……どういたしまして。」


 と、小さく赤くなったマギアがそう返したのはそれから数分後の事だった。

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