もしもの話

「やっぱり似てると思う。」


「……否定できませんね。」


「かわいい、ね。」


 大書庫に戻ったテンプスの耳に届いたのはそんな会話だった。


 はて、この部屋にかわいらしいものなどあっただろうかと考え、三人の声に向かって歩く。


 視界に映るのは何かしらの生き物を見てきゃいきゃいと騒ぐ三人の美女だ。


 おかしい、ここに生き物などいるはずが――


「ああ、先輩。見てください。」


 疑問に首をかしげるテンプスの存在に気が付いたマギアが足元の生き物を抱えて一言――


「先輩です。」


 ――ぬけぬけとそういった。


 腕に抱えられているのは、紫の光沢をした金属のようなもので構築されたみょおうな生き物――


「……キャス?」


「――に頼んでウォンバットを再現してもらいました。」


「……うぉん……?」


 突然飛び出した固有名詞にテンプスは首をさらに深くひねった――はて、どこかで聞いたことのあるような……?


「何かに似ていると思っていましたが、犬ではなくこの子だったんですねぇ。」


 そういいながらマギアがキャスを撫でた――待ってほしい、何と何が似ているというのだ?


「……マギア、もしかしてさ。」


「はい?」


「僕とこの生き物が似てるって言ってる?」


「ええ、そっくりでしょう?」


 そういってずずいと猫ではないキャスを近づけてくる。


 そこにいるのはずんぐりむっくりとしたつぶらな瞳の生き物だ。ちょっと鼻が高い。


 まじまじみれば――


「にてるかなぁ……?」


「そっくりじゃないですか!ねぇ?」


「ん、兄さんはかわいい。」


「撫でまわしたくなるよ、ね。」


「だ、そうですよ!自信持ってください、先輩はかわいいようですから!」


 そういって顔の横でキャスと自分を並べるマギアにとこちらを見比べて頷く二人はひどく楽しそうに見えた。


 それは1200年前に失われるはずだった物、マギア・カレンダが欲してやまなかったもの――自分が死んでも変わらずそこにあるもの。


 その光景にそっと微笑んで、テンプスは口を開いた。


「――マギア、ちょっと一緒に来てほしいんだけど。」





「む、なんです、ずいぶんとこじんまりとしたところに来ましたね。」


「ん、ここが庭の中心なんだけどな。」


 それは最初に降り立った庭園の反対側に位置する場所だった。


 四方を囲う大書庫を含めた建物に見守られるように位置するそこは先ほどまでいた庭園とは比べるまでもない小さな庭だった。その規模の差はまるでライオンと蟻だ。


 しかし、重要度という点で見れば、この場所はこの領域のどんな場所よりも重要な場所だ。


 何せ――


「……お墓?」


 ――ここには、最後のスカラ・アル・カリプトが眠っているのだから。


 いぶかし気なマギアの声は、しかし当然のものだった。


 そこにあったのは2000年以上昔に存在した偉人の刃かというにはあまりにも粗末だ。


 その辺にあるような石を平たく加工したそれはこの場所に似つかわしくないほど粗削りな造形で庭の中心を占拠している。


 そこに掛かれているのは先ほどテンプスが唱えた不思議な呪文と同じ言葉だ。

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 なんを書かれているのかは不明だが、それが彼を湛える物だろうことだけはわかった――墓石に罵倒を掻くような人間はいないだろうという希望的観測ではあったが。


「……ここで、僕は時計と手記を手に入れたんだ。その時、作った。」


「!」


 不信の声を上げたマギアに補足するように伝える。


 ここが時計と手記を持っていた最後の騎士の眠る場所だった。


 彼の偉業や力には似つかわしくないかもしれないが、野ざらしよりはずっとましだろうと考えての事だった。


「……お祈りって、私たちの形式でいいんですかね。」


「いいと思うよ、僕もそれでしかしてないし。」


 そういって、二人はほとんど祈りをささげた。


 双方、死人の前で祈りをささげないほど無作法でも恥知らずでもなかった。


 たっぷり数分間、沈黙の中で祈りをささげて双方が目を開く。


「――ここの書庫、読み切ってないだろう?」


 祈りが終わるのを見計らってテンプスの声がマギアの耳朶を打った。


「ええ、あれほど興味を惹かれる書架は初めてですよ。」


「そう?ならよかった――次から僕抜きで君にここに来れる様にしておく。」


「ほう、それは大変ありがたい話ですが……なんでまた?」


 不信そうにこちらを見るマギアに、本題を切り出した。


「……もし、もしもの話、僕が君の手伝いができない状態になったら、ここに僕の時計と手記を返して――」


「いやです。」


 それはずいぶんと食い気味な拒否だった。


「……もしもだぞ?」


「いやです。そんなことに必要だというならそんな権限はいりません。」


 にべもない。この少女は一度決めたことを決して曲げない。


 墓を見ていた視線を外し、マギアに向き直る。


 その目には明確な拒否がある、話を聞くことすら拒否しかねない強い意志、まるで金剛石のようなそれは打ち破る方法をテンプスは持たない。


 ただ、これはどうしても頼まなければならない。


 この手記に書かれていた『友人』ではない自分がこの時計を持ち続けるわけにはいかない。自分は所詮、誰かの居るべき場所を間借りしているに過ぎないのだから。


「遅くなってもいいんだよ、僕が……いなくなってから何年かしてからでもいいから――」


「いやです。そもそも、あなたが死んだ後にそんなことができるはずないでしょう?」


「……そんな長い付き合いじゃないだろう?」


「長くても死に際に泣かれないような付き合いだってありますよ、数か月だって人生を変えるような出会いはあります。」


「頼むよ、君にしか――」


「――いいですか、私は確かにあなたに比べたら頼りにならないかもしれませんが、これでも結構すごいんです……まあ、ほとんどそのすごいところをあなたに見せられてはいませんが。」


 そういって、彼女のほっそりとした指が頬を撫でた。まるで壊れ物に触るように優しいその触れ方は慈愛と思いやりに満ちていた。


「それでも、あなたに信じられていなくても、私の1200年に誓って、あなたを死なせたりしません。あなたは私の、私達のものです、たとえ死であってもあなたを渡すつもりはない。」


 その手は安心できる力強さと今にも壊れそうな気弱さがない交ぜになっていて――だから、テンプスは何も言えなかった。


「そう誓った君が自分を殺すんだ」とも言えず、さりとて「安心した」とも言えないまま、テンプスはじっとマギアの目を見つめていた。


 今日はいつもよりも深い黒になっている彼女の瞳は、いつもの人をさすような力強さはない、明らかに困っていて――かつ、どこか泣きそうにも見えた。


 だから、テンプスは結局一言。


「……さっきも言ったろ、もしもだよ。」


 とだけ言うにとどまった――それ以外、何も言えなかった。


「もしもでも……いやです。」


 そういって、拒否した少女の顔は何か決意を秘めて見えた。


 頬を両方の手で包むように持って、その形を感じるように撫でて――


「……アネチョットエッチ……」


「オトナナカンジダ.ネ。」


 ――傍らから聞こえてきたかすかな声にはねのいた。


 顔が真っ赤だった。勢いで何をしようというのか――というより。


「――そこ!何人の事のぞき見してるんです!」


「ん、その……台所の場所がわからない、の。」


「どこに行っても同じような場所だからわからない。」


 マギアの上げた大声に、跳ねるようにして二人の人影――タリスとノワが飛び上がるように言い訳を口にした。


 よくよく考えてみれば、そろそろ昼時だ、ここから何をするにしても、食事の後の方がいいと判断したのだろう。


「ああ……ここは慣れないとわかんないよな。」


 そういって苦笑するテンプスが、二人の方に歩み寄る――正直助かったと思っていた。あんな状況になったことがないからか、体が麻痺したように動かなくなっていた。


 心臓は早鐘のように鳴っていたし、足もちょっとふるえている。


 死ならいくらだって耐えられるが、ああいうのは……どうしても苦手だ。


「行ってらっしゃい、私は……あとから行きます。」


 赤い顔をそらすように視線を背けたマギアはどこか不満げにそういった。


「一緒に来ないのか?」


「あとで行きます、書庫に本を残していますし。」


 そういって憮然とした様子のマギアに苦笑しながらテンプスは食事を作る場所に向かって歩き出した。


 遠くに行く家族を見送って、マギアはぶつぶつと口の中で何事か文句を言っていた――もう少し、もう少しタイミングという物を見てくれてもいいのではないだろうか?


 そんな不満をぶつけるように、マギアは墓の後ろ、安易もない空間に向けて声を上げる。


「――出てきなさい、いるんでしょう?」


『……気づいていましたか。』


 そういって現れたのは不規則に揺れる不気味な光沢をもつ白と黒の縞模様の表皮した、顔のような凹凸だけがある不気味な生き物――彼女が縞模様の怪人と呼ぶ不可解の生き物だった。


「あまり、私をなめないことですね――で?の続きと行こうじゃないですか。」


 そういって、彼女は胡乱な視線を相手に向ける――この生き物がどこまで信用できるのかはわからない、わからないが……話には興味があった。


『ええ、いいでしょう――の話を続けましょう。』


 縞模様の怪人は、いつもとは違う口調で、しかしいつもより近しい距離でそう言った。

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