テンプスの知りたいこと

 この場所における全ての物事には決まった場があり、全てが意図されたとおりに機能しているようだった。


 木々は一糸乱れぬ列を成し、噴水から流れる水路は完全に平らな地面の上を複雑な数学的経路を描いて流れる。大きな幾何学的建築物は能率的な曲線と、美しい建築様式によって完璧に整備されている。


 まるで庭のように見えたそこは、まさしく『庭』だった。


 庭園のようになった機能美の具象化を、睥睨する様に巨大な建築物がそそり立っていた。


 その様子を珍しく、マギアが唖然とした様子で見ている、両脇の妹と母は完全に口を開けてあたりを見回している。まるで初めて都会の街並みを見た田舎者のような様相だ。


「――なんですか、ここ。」


 呆然とすることしばし、驚いた様子でテンプスを振り返るマギアの目には好奇心の色がにじんでいる――呪いの発露だ、近頃は多い。


「さっきも言ったろう?待ち人の庭だ。」


「それが何かわからないって言ってるんでしょうが!」


 そういって珍しくずいと顔を押し出してくるマギアにテンプスは苦笑交じりに両手を上げて見せる――少々驚かせてやりたかっただけなのだが、思ったよりも好反応だ。


「前に話しただろ?時計をどうやって手に入れたか。」


「ええ、確か、五歳の時に見かけた資料を基に時計のありかを割り出したとか。」


「二年かけてね。そうだ、暇なときにちまちまちまちまやって、ようやく割り出した。」


 思い返すに重苦しい幼い自分の記憶、希望の見えない二年の中で唯一燦然と輝く思い出がこれだった。


「爺さんに言って、ここにきて、秘密を暴いた。」


 その結果見つけたのがここだ。


 待ち人の庭、スカラー最後の最高執行官の霊廟にして誰かを待ち続ける場所――いつか、自分もここに眠るだろう場所。


「どうやってここに……まさか、空間移動したとか言いませんよね。」


「言わん、ここはあの岩場の地下……に、できた特異な領域だ。」


 侵入を阻む虚現現実性の壁を持ち、四人を超える賓客の到来を許さない、敵意と悪意を打ち滅ぼす『虚ろの回廊』を通ることで訪れる事のできる場所。


 このあらゆる場所が魔術によって暴かれた――ということになっている――時代における数少ない誰にもたどりつけない秘境。


 先立って口にした『スカラーの秘文』を使って開く『扉』の向こう側にある秘匿された領域。


 それが、待ち人の庭ここだった。


「君らなら気にいるかと思って。」


「?なぜです?いや、いいところだとは思いますが。」


「ここ、スカラーが魔法文明と戦ってた頃の魔術の資料あるぞ。」


「何してるんです!さっさと行きますよ!どこですか!」


 瞬きほどの間すらなく駆け出したマギアに苦笑しながら、テンプスは彼女の後を追いかけようとして――


「――兄さん。」


 傍らの少女に止められた。


「ん?どした。」


 視線を下げる、いつもの頭の位置に、いつも通りの顔がある。


 どこか眠そうな三白眼、先ほど駆け出して行った後輩と同じ顔立ちなのに印象の違う妹は、けれど、いつもよりも少しばかり目を輝かせてこちらを見上げていた。


「ん、ちょっとこっち。」


 そういいながら、こちらに手招きする少女に視線を合わせるようにかがむ――


「!?」


 ――瞬間、頬にやわらかい感触。


 明らかに接触しているだろう距離にいたノワの顔が離れる……何をされたのか、テンプスにはよくわからなかった。


 思い当たる行為はあるが、自分にそんなことをする人間はいない……少なくとも、いなかったはずだ。


「――ん、この前、助けてくれたお礼、ちゃんと言えてなかったから。」


 そういって柔らかく微笑んで少女は姉を追って走り出した。


 後には、呆然とした少年とその光景を見て普段の二割増しで微笑んでいる母だけが残されていた。





「――すごい!すごいですよ先輩!」


 彼女にしては珍しく、飛び跳ねる様に喜んでマギアが叫んだ。


 庭園を睥睨する建物の内部、二階建ての建物の二階部分に作られた大書庫は学園の大図書院に勝るとも劣らない規模でそこにあった。


「ん、喜んでもらえてよかった。」


「ええ、大変結構です、私たちがいた時代よりも前の時代の歴史的建築物なんてそうそう来られませんからね!」


 言いながら本の背表紙を眺めるその目は好奇心に爛々と輝いている。


 脇を見れば、ほかの二人も同じように本に吸い寄せられている――どうやらあの二人の呪いも起動したらしい。


『……ここに連れてくるのは早まったかな……』


 と内心で苦笑する――呪いが抑えられるようになるまで、マギアの落とし物とやらを取りに行けないかもしれないと、テンプスの能力がささやいている。


 彼の精神界に渦巻くどのパターンを選んでも時間がかかるのは必定だった。


 ではこの場所に連れてこなければいいのかというと、そうもいかない――彼女達にはここの存在を知っておいてもらう必要があるのだ。


 できるなら頼みたくはない頼み事をするために、顔所達はここに入れるようにしておく必要がある。


 それに、テンプスはここに来る必要があった。時計の修繕が完了した今、自分はここで『確認』を済ませる必要がある。


「それにしても、ずいぶんと立派な隠れ家じゃないですか!いいんですか、私たちに教えて。誰も知らないんでしょう?」


 そんな風に思考を巡らせるテンプスに上機嫌なマギアが言った――その傍らにはすでに魔術の研究資料が浮かんでいる、読みふけるつもりだろう、すでに彼女自身の背丈よりも高い。


 その様子に苦笑しながら、テンプスはありのままの事実を答える。


「まあね、僕と爺さん以外は知らん――だから、ちょうどいいと思って、今のところ、僕以外誰も入ってこれないし、それに――君たちには教えておいてもいいかと思って。」


「む……」


 その一言に、まるで魔術に掛けられたようにマギアの動きが一瞬止まった。


「……そう、ですか、光栄です。」


 とこぼしたその顔がかすかに赤くなっているのを見たのは、東医面で本を探す母だけだった。


「さて、僕はちょっと用を済ませて来る。」


「ん、ええ、了解です。ここにいれば?」


「うん、すぐ済むよ。」


 そういって、彼は書庫を出る。


 つかつかと白磁のような廊下を歩く、ここは以前――七歳に初めて訪れた時から変わらない。


 いつも通り静かで、いつも通り寛容で、いつも通りにさみしい。


 動物の一つもいないこの場所で、テンプスが向かう先は一つだ。


 階段を降り、まっすぐに向かうのは地下のある場所だった。


 明るかった地上から地下の湿った空気が肌を撫でる。


 冷たく、他者を拒絶するその空気は霊安室のそれによく似ていた。


 暗い廊下をまっすぐに歩き、彼はある扉の前に立った。


 この暗い区画の中でもひときわ暗いその扉はまるで隠されているようにも、人の侵入を拒んでいるようにも見える。


 そんな扉に、テンプスはためらわずに手を当てる――このビラの先に何が待っているのかはすでにわかっていた。


 ゆっくりと、口を開ける様に扉が開いた。


 流れ込む空気とともに、テンプスはためらいなく部屋に侵入した。


 そこは何もない部屋だった。


 机も、椅子も、ベットもない、本棚も、明かりさえないその部屋は、しかし、テンプスのsン乳を予測していたかのように光り輝いた。


『――ようこそ、テンプス・グベルマーレ。再びの来訪をうれしく思います。』


 声が響く――の声が。


「久しぶり――でいいよな、あんたは僕が今日来ることも知ってたんだろうが。」


『はい、最後の来訪から5年と4か月、14日と23時間が経ちました。お久しぶりです。』


 緩い友人にそうするように、テンプスは挨拶した。


 因果検出器、前生徒会長が扱う未来を見る装置の完全版。


 それが、この部屋の正体だ。


 この部屋に刻まれたパターンがテンプスの能力を拡張し、あらゆる因果とその結果を映し出す。


 これが彼がここに来た目的の一つだった。


 もう一つの目的には時間がかかる、今できる目的はこいつだけだろう。


 そう考えたテンプスに、部屋は当然のことのように告げる。


『エピソード18、終局について再現を行いますか?』と。


 テンプスはそれに同意する――いつも夢に見ていることではあるが、それが本当に変わっていないのかが確認したかった。


 始まるのはいつもの夢――彼の死。


 ――おや、まだ私の名を呼ぶ程度の理性が残っていましたか、驚きですね――


 ――早くあなたのおば様に合って誤らないとなりませんから……私たちが、あなたなど信じたからこのざまです――


 ――せめてもの選別ですよ……あなたのような男を信じてしまった私たちが引導を渡す。当然の事でしょう――


 ――あなたを?まさか――


 ――あなたになんて会わなければよかった――


 いつも見る夢、その確認。


 それ以上のものにならない結果を見つめながら、テンプスはそっと目を閉じた。


 十年前、この場所で初めて見た時から変わらない未来の光景。


 細部や人は変われど、いつも終わりは同じ、自分の死だ。


「……結果は変わらずか。」


『はい、あなたは一年後死亡します。』


「……わかった、もう一つ探ってくれ。」


『はい、すでに計測しています。マギア・カレンダはあなたの死後、数年間、この問題によって精神的問題を抱えますが、家族の助けによって快方に向かいます。』


「……そっか、よかった。」


 それが、彼の知りたいことだった。


 つまり、自分の死によって、マギアやその家族がどうにかなってしまうことはないのだ。


 それを、悲しくないのかと言えばうそになるが――ずっと引きずられるよりはいい。


 そう考えて、テンプスは小さく笑った。


 いつも浮かべる苦笑よりも、ずっと悲しい様子の笑みだった。


 それを見つめるのは部屋と、不可解に揺れるだけだった。

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