知ってるよ

「ぁぁぁっぁあああ!」


 叫ぶ。


 腹に力を込めて、腕に伝えた力が百倍に拡張した時間の中で驚くような速度で駆け抜けて――


「うるさい。」


 何の興味もなさそうな声とともに振りぬかれた足の一撃で貫かれた。


 単純な前蹴り――海岸で自警団相手に放ったそれと同じ技は、鎧の力によって強化され、ボルドの腹部に重く突き刺さる。


 地味な一撃、決して目を引くものではない一撃は、それでも男の腹部にめり込み、体を大きく後退させるに十分な威力があった。


 ごぼ、っと口から唾液と胆汁が漏れた。


 体ががたがたと痙攣している、立ち上がるために足に力を加えても体を持ち上げるつもりがないように沈黙している。


「――どうした?あれだけ派手なことしておいて、こんなもんで終わりってこともないだろ?」


 そう言いながら青い鎧が首を傾げた。


 ひどく癪に障る動き。面の内側でどんな顔をしているのかわかる気がした、今すぐその首をねじ切ってやりたくなる腹立たしい表情だろう。


 だが、肉体が言うことを聞かない――加速した時間の内部では彼はただの人だ。あんな鎧には勝てない。


『にげ、逃げる、逃げるんだ!逃げないと!俺はこんなところで終わる男じゃない。俺が!この世で最も素晴らしい人間なんだ!』


 震える体にムチ打ち、ボルドは彼自身すら予想外の行動をとった。


 体を完全に大気に溶かしたのだ。


 大気の生霊の《透過回避》、実体があるままでは逃げきれないと考えた彼の奇策。


 術が解ける一瞬の間に体を完全に溶かしきれば逃げ切れるのではという夢想の表れ――そして、意味のない行動だった。


「――つまらん男だ。」


 その声が聞こえた時、ボルドの体に鈍い痛みが走り、溶けていたはずの体が実像を持つ。


 複数個所に走る痛み――先ほどの砲撃だ、体をしたたかに打ち据え、体がその痛みに従って元の形に戻ってしまった。


「ゲームセットだ、敗者にはふさわしいエンドだろ?」


 そういいながら、テンプスが通常時間軸に戻る――襲い掛かる時間の衝撃を受け面の中で顔をしかめたことなどおくびにも出さない。


 すべてのものが音を取り戻し、日差しが熱を取り戻した――そこで気が付く。


 どうやら……


「匂いで追い払ったのか……」


 面の内側で顔をしかめる――広場には形容しがたい匂いが広がっていた。


 人工的にしか存在しえない不可解な化合物を二、三年着続けた服にまぶしてヘドロの中に付け込んだようなにおいが広場に充満している――面なしでここに居たら目がやられそうな異臭だ。


 匂いよりも早く動いていたテンプス達にはこの匂いの粒子がほとんど接触せずに、匂いを感じなかったが平常時間に戻ってきたことで臭気を感じるようになってしまったらしい。


「マギアめ……」


「おや、ご明察。」


 面白がるような声が響く、聞き覚えのある声――


「派手にやり過ぎじゃないか?」


「仕方ないじゃないですか、逮捕されるような魔術なしでこの広場にいた人間を全員退避させる方法なんてこれしかありませんよ。」


 そういって青い鎧の隣に立ったのは今日は銀髪の少女――マギアだ。


「まあ、時間がなかったのは認める。」


「でしょう?三十秒足らずでここまでやったんですから誉めてほしいくらいですね。」


「連絡した時、わけないって言ってたの君だろ?」


「……記憶にありませんね!」


「都合のいい奴め……」


 呆れたように苦笑する、テンプスから見れば八時間ぶりの後輩の後ろにいるのは――


「……にい、さん。」


 ――ひどくおびえた顔でこちらを見ている弟だった。


「……無事か?」


「ぁ、うん、全然。」


 兄の第一声は驚くほど平常だった。


「なんですかその質問は……私が仕事をしくじるとでも?」


「いや、君がなんかしてないかなと。」


「失礼な!確かに一発頭に張り手は食らわせましたがむしろけがをしたのは私の方ですよ!」


「いや、もろいな君。」


 呆れたようなテンプスの一言にさらに憤慨したマギアが彼に向けて放つごく小さな電気の矢を手で振り払う様を見て、サンケイ……三渓はどうしていいのかわからなかった。


 自分は、明確に彼を裏切っている。


 今回の一件だけではない。これまでの人生すべてでだ。


 彼が死ぬことを望み、彼の苦痛を見過ごした。


 彼は自分を弟と呼び、自分は彼を無機物のように扱った。


 そんな自分を、彼は心配して見せた――そんな相手に、一体何を言えばいい?


「……にいs……」


 それでも、何かを言おうとしたサンケイの言葉を遮ったのは倒れ伏し、体を震わせるボルドだった。


「――テンプスぅ!お前の知らねぇことを教えてやる!?てめぇの弟はなぁ――」


「!」


 その一言に、マギアの腕が蠢動する。


 この男の口をふさがなければならない、この男がこの盤面で語ることなど、彼の弟の秘密に他ならない。それをテンプスに知らせるつもりは――


「――来訪者だってんだろう?知ってるよ。」


「―――――――はっ?」


 瞬間、世界が止まった。


 時間は流れている、音も響いている、匂いはあいかわらず胸が悪くなるようなひどいものだ。


 だが確かに、テンプス以外の三人の世界が静止した。


 それは、マギアですら知らない事実だ。


「――しって、たんですか?」


 マギアが、彼女にしては非常に珍しくどもった。


 誰がどう見ても完全に動揺している――ここまで動揺しているのは、ノワとタリスが家で待っていたあの長い一週間の始まりの日以来だ。


 ボルドも言葉が出ないかのように完全に口を開けて呆然としているし、サンケイに至っては顔から色が抜けて土気色でへたり込んでいる。


「知ってた……そうだろうと思ったのはザッコの一件の時だが、まあ、昔からおかしな弟だったからな。」


 苦笑する――そんなに意外だろうか?あれだけヒントがあればいやでもわかると思うが。


「昔っから、こいつは頭がよかった。」


 テンプスですら知らぬことを知り、時として兄すら感心するようなことを語る。そんな弟だった。


「最初はてっきり兄貴や僕みたいに頭がいいだけかと思ってたが違った。」


 それに気が付くのにはそれほど時間はかからなかった。


「僕や兄貴のとは違う、ある範囲――未来のことに異様に鼻が利くんだとわかるのに時間はかからなかった。僕はてっきり、低位の占いみたいなもんだと思ってたが……違った。」


 それに気が付いたのはマギアから来訪者の事を聞いた時だ。


「あれは、この世界を創作物として理解したことがあるからあんな動きだったんだろう、だから、妙なところでわきが甘い。」


 オモルフォス・デュオの一件がわかりやすいだろう。


 彼はあの時最大限の防備をしているつもりだったが、ほかの来訪者から得たゲームの知識に惑わされ、不必要なことを行って術にからめとられた。


 この街での一件でもそうだ。


 彼はことが終わった後の事を考えない――結局、後始末は彼がしたのだ。


「じ、じゃあ、わかってんだろ!こいつはお前の弟じゃない人間の記憶を持ってる!」


「――それがなんだ?」


「……はっ?」


 ひどく興味なさげに、テンプスは相手を見つめてそう言った。


 テンプスからすればそれは考慮に値しない話だった。


「生まれが何で、誰の記憶があってもこいつは僕の弟だ。そう生まれている以上、こいつが僕を「兄さん」と呼ぶ以上、後輩で家族で僕の弟だ。お前が誰かも関係ない。」


 冷めきった視線を向ける。


 テンプスからしてみればそれは至極当然のことだ。


 マギアが彼の夢をかなた人物ならサンケイは夢を与えた人物だ、裁かれる罪がないのなら彼を拒否する理由などない。


「こいつは、もともとこの体に入るはずだった魂の場所を奪ってここにいるんだぞ!」


「それはない。もう調べた。」


「……はっ?」


「こいつが来訪者かもしれないと思ったときに調べてあるよ、転生者のパターンと比較すればいい。」


 その点において、スワロー・ミストシィザ――アマノの一件の際に倒した用務員はいいサンプルだった。


 あれは明確に異なる魂が一つの体に同居した時特有の不可解な磁界を持つ。テンプスがオモルフォス・デュオやジャック・ソルダムを好きになれなかったのはそれが原因だ。


「こいつの体にある魂は一つだ、周囲に与える磁界の影響が明らかに転生者とは違う、こいつの体にある魂は一つのパターンだ。」


 それがテンプスが弟に下した結論だ。


 本人たちすら知らぬ彼らの真実だった。


「こいつの中に何の記憶があるせよ、こいつは『こうであるべきもの』として生まれた。お前がどう言おうがこいつは僕の弟だ、手出しは許さん。」


 そういって、テンプスはボルドに砲口を向けた。


 これが彼のゲームセットだった。

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